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ラスクライト

 烏が啼いている。

 茄川 子児(なすびかわ こじ)。歯牙無い弱小零細AV制作会社に勤めている中年男性である。AV製作会社に勤めている、と云うと、誰もが二言目には、
「男優!? 羨ましい!」
と云うが、少なくとも二段階の誤解がある。一つは、AV男優はそう無条件で楽で楽しい職業ではないこと。もう一つは、AV製作会社に勤めているからといって、AV男優であるとは限らないこと。
 このおじさん、AVの動画編集員の一人である。この道一筋、ではない。様々な非正規雇用を経て、ここに辿り着いたのだ。製パン屋のラインで苦労もしたし、夜間の清掃業で嫌な思いもした。ホワイトカラーとして心機一転入った保険会社の営業部では、すぐさま重度の鬱病になった。……茄川の四十一年間の辛苦を微に入り細を穿つ描写にて長々と一億字に亘って綴るのも一興だが、腱鞘炎対策の為にやめておこう。
 この茄川という頭髪の心許無い太った低身長の男、会社では〝エッチじゃない場面〟(まあ、分かりやすく云えば、導入部の女子テニス部の更衣室へ透明化した男優が侵入するところや、ヒロインピンチものならば、敵の怪人の攻撃のエフェクトなどだ。湯けむりものならば、温泉旅館。そんな感じだ。)を任されているのだが、困ったことに〝凝り過ぎる〟。大雑把な脚本を、自己判断で過剰に脚色してしまい、台無しにしてしまうのだ。



 蜩が鳴いている。

 泥味 西輸(でいみ にしゆ)。姓名共に珍しいが、本名だ。
 事務用品を売っているチェーン店とピザ屋で掛け持ちをしているフリーターのおじさんだ。四十一歳。最新のスマートフォン開発の会社の求人募集に百回以上立ち向かっているのだが、書類でハネられなかった八回の面接も、撃沈している。
 日本国で最低の大学と云えばここだ、という大学の工学部を主席で卒業した泥味は、小学校高学年の頃から抱いていた〝自分は発明家である〟という想いを、より一層強くして生きてきた。廃段ボールの運搬のアルバイトが長らく主な収入源であった。他にも色々と、働いた。併(しか)し乍(なが)ら、その中には先進技術開発に携わるような業務は一切無かった。全てアルバイトだった。

(併し、アルバイトだろうが何だろうが、働いた金で食い繋いでいるのだ。仮に、万能に近い宇宙人が来て雇用履歴について指摘されようが、何の文句もあるまい。)

 泥味のその長い顔が貼ってある履歴書は、もう、或いは、初めから、先進技術開発に関係するような会社の先進技術開発に関係するような部署には、門前払いなのだ。書類でハネられなかった八回も、客観的に観れば、審査員の怠慢だったのであろう。

(己(おれ)の発明が世に問われておらぬのは、人類の損失に外ならぬ!)

 痩せこけた泥味の長い顔から、雫が、ぽたり、と、毛深い細腕に落ちた。汗だったのか涙だったのかは、判然としない。


 烏が啼いている。

 茄川は何故潰れていないのか分からない蕎麦屋に到着した。
 板張りの座敷であるにも関わらず、所謂フードコートのような様相を呈した食堂部分は、閑古鳥が絶叫している。だァれも、居やしない。
 老夫婦が横着をする為に始めたセルフサービス制度は機能し始めてからはや数十年。
 山菜蕎麦の盆を持って移動。水も自分で汲む。茄川は、窓際の日陰の一角に腰を下ろした。クーラーは存在していない。扇風機が機能しているのはここだけだ──もとい、ここと、あと、厨房だけだ。レジ打ちと料理提出を済ませた老夫婦は週刊誌やジグソーパズルの世界に既に帰っている。

 山菜蕎麦を平らげ、汁をも頂戴し終わると、茄川は、ノートパソコンで、先週から取り掛かっている大きな案件(ヤマ)の作業メモを見始めた。



 蜩が鳴いている。

 泥味は台所の激安食パンが尽きていることに気が付き、気が、狂いそうだった。やっとのことで服を着て、街へ出かける。

 夏。

 暑過ぎる。暑過ぎやしないか。蜩以外の蝉の声が混ざり始めた。いけない。

(土瀝青(アスファルト)は、己(おれ)を焼こうとしていやがる!)

 買った物が一秒で腐るような昼が、もうすぐ、訪れる。この片田舎、大して選択肢も無い。懐石料理なぞ食う金無し、ステーキも高い、カレー屋には行きたいが……高いし今日は定休日だ。

(是非も莫(な)し。)

 已むを得ず泥味は、廃業したのかしていないのかイマイチよくわからない蕎麦屋へ、そそくさと入店した。
 冷房なぞ、効いていやしなかった。



 烏が啼いている。

 茄川は熱中している。蕎麦屋の一角で、AVの編集。それも、所謂AVをAVたらしめる〝濡れ場〟に非ず。導入部のやりとりだ。

(紅一点×2! 理系女子の研究室での、イ・ケ・ナ・イ ♡ 必修演習──なわけだが、今一つ、導入部がぬるいな。)

 茄川は、主観的には最高の、客観的には最低の拘りで、編集を熟(こな)していった。──いや、メーカー名の入った飲料水の修正だとか、撮影時に入り込んだ個人名だとか、そういうものを消す技術に関しては正直、大企業の編集部隊にも何ら引けを取らないおじさんなのだ。それ故に、残念なのだ。何故、アドリブで、AV女優の一人が光源製品開発の研究者で、もう一人が小型化製品開発の研究者で──等ということを〝勝手に仄めかす〟悪癖を、神は、渠(かれ)に、与え給うたのか。小一時間程張扇(はりせん)でシバき乍(なが)ら問い質(ただ)す必要があるだろう。

(薄着の彼女達は、そうだ、こんな研究をしているんだ……。机のライト化、小型化……。本棚のライト化、小型化……。万力のライト化、小型化……。ドライバーのライト化、小型化……。バールのライト化、小型化……。スナック菓子の袋のライト化、小型化……。弁当箱のライト化、小型化……。しゅうまいのライト化、小型化……。ラスクのライト化、小型化……。胡瓜(きゅうり)のライト化、小型化……。ルーズリーフのライト化、小型化……。万年筆のライト化、小型化……。マウスのライト化、小型化……。学生証のライト化、小型化……。)

 キリが無い。扇風機があると雖(いえど)も結構暑いわけだが、茄川はそんな気温(もの)など眼中から除外し、一心不乱にAVの導入部の独善的加工に邁進(まいしん)している。
 尚、〝ライト化〟というのは、軽量化ではない、光源化だ。例えば、机がライト化したら、机型電灯になる。
 ……。
 まあ、そういうわけだ。



 蜩が鳴いている。

 扇風機が唯一効くであろう卓には小太りのおじちゃんが発生しており、あろうことか蕎麦は啜り終わったであろうのに、ノートパソコンとランデブーしていやがる。……いや、マナー違反ではない。冬はここは受験生や浪人生で賑わうのだ。空間定食。人類はここへ、空間をも摂取しに来ているのだから。

 鴨ざる蕎麦を頂き、蕎麦湯を飲み、冷水を飲みつつ、扇風機独占おじちゃんを見やりながら退転する泥味。
 ──そこで、泥味は衝撃を受けた。


 ラスクライト。


 一見ラスクに見える懐中電灯の開発を、この冴えない中年男性は、行っているのか……!?

 呆然と立ち尽くす泥味。
 目の前の男性は、その間も、我関せずといった風で次々と、作業を熟している。
 ふと、男の鞄から、男の社員証がはみ出ていた。有限会社一ユボワセ。HAJIMEYUBOWASE、と、ロゴ。あの無人駅のあたりに、そんな襤褸会社の社屋が建っていた筈だ。
 あそこの社員か。

 泥味は、食器を返却し、真っ直ぐ帰宅すると、すぐさま各種道具を引っ張り出した。半田鏝(はんだごて)、基板、小型バッテリー、コンデンサ……。
 自分でも何故かは分からなかったが、ラスク型の小型懐中電灯を創らなければ、〝自分の人生は嘘になる〟と思うた。泥味は、頭脳をフル回転させ、藁半紙に作図し始めた。




 烏が啼いている。

 蕎麦屋に行った翌々日の夕方。会社にて。

「何がいけないんですか局長!?」
「茄川君、あのねえ……。」

 老いた白髪の局長は、口調は穏やかだが、手に素振り用の木剣を持っている。眼が血走っており、非常に危険な状態だ。
 偶々居合わせたAV女優甲が、口を出す。
「もしもーし、ナッさん、あのね、あまり導入部が壮大だとヌけないって前局長云ってたでしょ? だからさあ……。」
「うん、まあ、ねえ……。」
 偶々居合わせたAV女優乙が、ラ・フランスを差し出し乍ら言葉を濁している。




「頼もう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 


 落雷か?

 否、痩せた、死神のようなおじさんの闖入(ちんにゅう)であった。

「な、何だねキミは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 ノイローゼ気味の局長は既に、木剣を構えている。何時(いつ)、逆袈裟が飛び出すか分からない。

「自分、こんなものを創りましてね!」

 痩せたおじさんは、アタッシュケースを開くと、ラスクを数枚取り出した。

「最期の言葉が、それでいいんだね?」

 局長は斬撃前の弛緩状態に入っている。

「これ、光るんですよ。」


 痩せたおじさんが、ラスクを光らせた。局長は、ぽかん、とした。AV女優たちはというと、先程の皿とは別の皿のラ・フランスを食べている。結構沢山貰ったらしい。
 太ったおじさん──茄川はというと、滂沱の涙を流していた。潸然と下るとめどなきその液体は、西日を受け、紅に煌めいていた。

 茄川は叫んだ。


「やっぱり、本質の、勝ちなんだ! 実存は本質に先行する、なんていうのは、詭弁なんだ! 贏輸(かちまけ)は、こうでないと! 本質だ! 本質が、最後に、その、末脚で、差してくるんだ! 本質は実存に先行する! 本質は実存に先行する!」

 茄川は踊り狂った。

 泥味はというと、ぶっきらぼうに局長からやる気無く投擲された木剣をヒラリと躱(かわ)したのち、卓上に置かれた光るラスク達や狂喜乱舞している茄川には目も暮れず、アタッシュケースを閉じ、AV女優二人にツカツカと駆け寄り、赤いマッキーを差し出し乍(なが)ら、こう云った。

「まさか、と思いましす(原文ママ)が……このような状況でお目にからかれる(原文ママ)とは! 以前から大、大、大ファンでしゅ(原文ママ)。付き合っ(原文ママ)……おふ、お二人とも、サインを下されませんられひぐはらほれひれはれ(原文ママ)……?」

 AV女優二人は、慈愛ではなく、慈悲の微笑みを湛(たた)え、アタッシュケースの表裏に、こう、記した。





 実存。




 本質。






 今や、朱(あか)き落陽が曜(て)り曜(かが)やき、室内を赭(あか)一色に染めていた。
 机の上、ラ・フランスの皿の横に置かれた、アタッシュケース。

 文字の赫(あか)と暉(ひかり)の共産(あか)が混じり合い、嗚呼、表裏のどちらに「実存」と書かれたのか、表裏のどちらに「本質」と書かれたのか、判然としない。

 曖昧な黄昏を、只一勢力、ライトラスク等(ら)が、自由に冒瀆(おか)していた。





                         〈了〉

                  2023/07/21(金) 非おむろ

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