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短編小説「蹴りたいちんこ」

 三時半のコンビニエンスストア。あ、午前の、ね。客が居ないうちに品出しをしてしまおう。商品陳列。賞味期限が切れた食品を回収もする。
 ジュースの先入れ先出しは、棚の裏から。客からしてみたら棚の奥から腕が生えてくるから、ホラーだ。
 弁当の類の入れ換えの時間までは、このコンビニエンスストアの場合、まだ時間がある。あたしは、グミやガムの品出しをし乍ら、横目で店長を見ている。

 店長は四十歳ぐらいの下縁眼鏡の痩せ気味の男。背は小さいが、痩せているので相対的に背が高く見える、遠近感の魔術師だ。スポーツ刈りというのか角刈りというのか、兎に角短髪。
 冷静な印象。たまに笑顔も見せるが、基本は冷静、ともすれば怜悧、更に言えば冷徹に見える人物だ。
 一方であたしは茶髪の二十三歳。店長は、女性専用トイレの深夜の清掃員が居なくて困っていたから助かった、と言っていた。あたしがバイトに入る前は、店長や他の男が女性専用トイレも掃除をしていたらしい。


 ところで。


 あたしは自慢じゃないが莫迦(ばか)で、日本一学力が低いと言われる短大すらも中退してフリーターをしてきたわけだから、物理学だとか、あとは……幻覚について? とか、そういうのは詳しくない。そういうのは、というか、そういうのも、というか。
 何についても詳しくない私が、それでも最近身の回りで気がついたことがある。

 下記の通りである。


 ・店長は店の調味料が買われた後、よく陰茎を数分間出す。スッ……と出している。

 ・この店は立地が僻地なだけあって、特に深夜はほぼ客が来ないのだが、私が勝手に自分の中で〝ごみ地蔵〟と呼んでいる短身の禿頭の爺さんと〝地獄伯爵〟と呼んでいる長身の英国紳士風の日本人離れした爺さんが、常連なのか知らないが……来店する。(認めたくはないが、常連と言わざるを得ない頻度だ。ほぼ毎日だもの。)

 ・〝ごみ地蔵〟が来店をすると、調味料を買う可能性が高い。そして、コンビニエンスストアの照明が若干白から橙へと近づく気がする。気がするだけかもしれない。

 ・〝地獄伯爵〟は橙へと近づいた(と思われる)照明を白に戻すことが出来る。出来る、というか、来店すると自動的に白に戻るような気がする。但し、必要以上に白くすることは出来ない。来店時に橙であった時のみ白く戻る、というだけで、橙でない時に来店したとしても、何時(いつ)もより白くなることもなければ、次回の〝ごみ地蔵〟来店の際に発動する、謂わば、一回分の橙化を予防するような持続作用が施されることもない。……つまり、〝貯白(ちょはく)〟は不可なのだ。

 ・少なくともあたしは、今までに、〝ごみ地蔵〟や〝地獄伯爵〟が声を出している場面に遭遇したことがない。

 ・〝地獄伯爵〟が店内にいる時のみ、店長は陰茎を露出出来ない。何時(いつ)だったか、若い婦警が二人やって来た時もお構い無しだったのに、だ。あの時ははっきりと、
「それは犯罪ですから、やめて下さい。」
と言われていたが、店長は無視して露出していた。


 あたしは店長の陰茎露出について何もコメントしていない。……そもそも、昨今のSNS社会は、〝全ての物事に対してコメントをしなければならない〟と考えているような猿ばかりで、うんざりする。マスメディアも蛆虫で、
「○○についてコメントを下さい。」
などという人として恥ずかしい言い回しすら平気で発声する。
 あたしはそんな言及中毒の浮世の病状に対してはNoを突きつけ続けていたい。
 勘違いして貰っては困るのだが、何時(いつ)如何なる時でも述べざることが美徳、等と云う心算(つもり)は毫(ごう)も無い。鳴かぬ螢として身を焦がすことを万人に強要する心算も無いし、〝秘するが花〟を自らの信条としてそれに殉じようと毎秒肝に銘じているわけでもない。
 ただ、何(なん)でもかんでも言及すればいいというわけではないのだ。そこらへん、分からんか? 世の中には、たいして知りもしないくせに言及を貪る連中が多過ぎる。


 扨(さて)。


 午前三時三十三分。

 あたしはグミやガムの品出し。店長はレジのところで、本社から来た書類をやっつけている。
 因みに、今、店の灯りは尋常。即ち、白。
 あたしがバイトしていない時に二人の高齢者の出入りがあったとしても、今、店内が白い灯りに煌々と曜(ひか)っているのであれば、二人のうちで最後に入店したのは〝地獄伯爵〟であることが分かるというわけだ。

 静かだ。


《ぴろりろ、ぴろりろ。ぴろりろ、ぴろりろ。》


 〝地獄伯爵〟だ!


「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませー。」

 いつものように、あたしが先、店長が後に声を出した。

 今宵は、〝地獄伯爵〟が先に来ちゃった。〝ごみ地蔵〟来店前に〝地獄伯爵〟が来店することは、これまでにも何度かあった。その場合、〝地獄伯爵〟はただのおじいちゃんだ。〝貯白〟はこの世に無い概念である故、是非も無し。少し洋風な、一般的な高齢者。サンドウィッチや無糖の紅茶を買って帰る。
 〝地獄伯爵〟は珍しく、トイレへ入った。

 あたしはふと、何気なく、玄関を見た。
 もしかしたら、ほんの少し、悪寒と武者震いの折衷案のような感覚が、あたしを襲っていたのかもしれない。


 嘘だろ。


《ぴろりろ、ぴろりろ。ぴろりろ、ぴろりろ。》


 〝ごみ地蔵〟だ!


 初めて──。


 初めて店内に同時に二人が存在する状態になった!

 ……そう──うん、初めてだ! あまり意識しなかったけど……初めて一緒に……!

「……いらっせいまさ……!」
「……。」

 あたしは、動揺し乍らも、何とか挨拶をした。
 店長は挨拶をしなかった。珍しい。
 あたしは、高まる心拍を抑えながらグミやガムを陳列した──ただでさえ日頃から頻脈気味なのだ、落ち着け、落ち着け。

 コンビニエンスストアの照明が、一気に橙になる──これはもう、幻覚とか、思い違いとか、そういうレベルではないのでは!?

 店長の方を見ると……見たことのない表情をしていた。怒り? 闘志? ……喝? 何やら、全身から全力で何かを訴えかけるような──何らかの政治的な過激派の親玉が拡声器で怒鳴っているような、そんな〝表情〟で黙っている。
 店長は、〝ごみ地蔵〟から視線を突如として外し……トイレの方を舐(ね)めつけるように睨んだ。

 私も見る。

 ……静かに、〝地獄伯爵〟がトイレから出てきていた……! ハンカチをしまい、ゆっくりと私の死角へと向かう。
 私は、業務の風(ふり)をして、ゆっくりと移動をし、〝地獄伯爵〟が見える位置に移動した──調味料の棚だ! 調味料の棚へ向かっている!

 調味料の棚には……既に〝ごみ地蔵〟が居る! ……籠(かご)いっぱいに調味料を詰めていやがる! こんなことは初めてだ! 調味料の棚の調味料が、半分なくなっちゃった!
 その直後! 気がついたら籠を手にしていた〝地獄伯爵〟が、残りの調味料を籠へIN! な、な、何が起きているんだ!?

 私は、叫び出したくなるのを必死で堪えてら店長の方を見た。
 店長は──鬼の形相で、無音のラジオ体操をしていた! レジでラジオ体操をする店長は、初めて見る!

 再び老爺に目を向けると……二人は……二人は目を交わさずに、併し、〝明らかに連携が取れている動きで〟順序を交代した。レジの方に近かった〝ごみ地蔵〟が退がり、〝地獄伯爵〟が先になった。
 然程広くはない通路でこの、滑らかなフォーメーション・チェンジ──二人は知り合いなのか!?

 先頭の〝地獄伯爵〟がレジへ到達!


「レジお願いしまーす。」


 え……? あたしは一瞬戸惑った。一瞬で済んだか如何か判然としない。あたしは戸惑った。〝店長の声〟だ。店長、無音のラジオ体操を鬼の形相で続けてやがる……な、なんで!?
 ──ま、まあ、呼ばれたからには行かねばならない。

「はい。」

 私は、不自然な量の調味料を購(あがな)う気の二人の老人をパッパと処理した。いつも通りに、だ。このコンビニエンスストアは店長のポイントカード嫌いが高じて、一切のポイントカードと提携していない。フランチャイズなのに、やりたい放題だ。最早フランチャイズではないのではないか。

 二人が帰ると、橙の照明のままのコンビニエンスストアに静寂が再び訪れた。二人は不気味なほど、普通に、帰っていった。二人の間での会話も無さそうだった。
 そういえば、二人のどちらが先に帰ったか──即ち、〝どちらが一秒でも遅く店内へ残ったか〟は、気にしていなかった。おおかた〝ごみ地蔵〟だろう。もう、何か、あたしとしてはあまり気にならない。
 静かな店内。
 店長は店内放送も、嫌いだからかけていない。

 ふと、店長を見ると、泣いていた。

 照明が橙のままなのは、〝ごみ地蔵〟来店後のあるあるだ。次に〝地獄伯爵〟が来るまでは、ずっと橙。
 今日は何だか、橙がすごく濃く見えるけど。

 グミやガムの品出しに戻ろう。
 レジを出ようとし乍ら、もう一度店長を見る。

 涙を拭いつつ、陰茎を露出していた。

 何となく分かっているが、店長が陰茎を露出したら、調味料が〝自動的に〟増える。もしかしたら自動的ではないのかもしれないが、あたしに分からない理屈で、あたしの見ていない時に、通常の商品補充とは異なった経路──通常の商品補充ならば、発注履歴から、あたしにも把握可能なのだ──を辿って、調味料が自動的に増える。勿論、パッケージごとだ。醤油だけドバドバと棚から湧いて床に零れて広がるようなことはない。
 ここで或る疑問というか、推理が生じたが、あたしはそれをあたしの脳内で黙殺した。


 言及しない力。


 あたしの唯一の特技は、言及しないことだ。凡人なら言及してしまうことでも、あたしは言及しない。

 静かな店内。

 いつの間にやら、午前四時が近づいて来た。

 店長は鼻紙で涙を拭いながら、陰茎をぽろり。

 あたしは、グミやガムの棚へと戻る前に、店長のちんこを蹴りたくなった。あたしは店長のことが別に嫌いではない。強いていえば、好きなくらいだ。


 だが、ちんこを蹴りたい。


 蹴った。


                〈了〉


短編小説「蹴りたいちんこ」──非おむろ(2024/07/28)3766文字


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