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初恋探偵♡崖畑灘

ハツコイタンテイハートガケバタケナダ
 

 手元のビリヤニの湯気が私の眼鏡を白く濁らす。五月。春かと思えば、夏に進んだり冬に戻ったりと、忙しい季節だ。
 私の後には男子高校生が一人、二つのビリヤニ竹筒弁当を購(あがな)っていた。結構量があるというのに、二つも買うとは豪気なことである。

 或る湖を擁する山間部の自治体の、丁度、丘や森が遮蔽物となって湖が見えない公園。午後三時だというのに山脈の都合で、既に日照状態が危ういこの空間で、崖畑 灘(がけばたけ なだ)君は今日もビリヤニ竹筒弁当を売っていた。


 崖畑 灘(がけばたけ なだ)君。


 私の、初恋の人。


 灘君とは工業高校の窯業科で三年間一緒だったが、遂に会話を交わしたことは無かった。尚、私の学級は三年間ずっと女子六名と男子三十三名だったが、おかしなことに私以外の女子五名は、常に彼氏が一~三名居た。常に、と云っても、三年間を通せばそりゃあ、合計二十日程度は〝彼氏が居ない日数〟もあっただろうが、私の肌感覚からしてみれば彼女等は、〝常に〟彼氏が居た。一方で私は、物心がついてからというもの、彼氏が居た先例(ためし)が無い。これは妙だ。
 物心がつく前は彼氏がいたのだろうか?

 昔の事は扨置き、灘君ももう三十九歳で三児の父。だいたい、人生の折り返し地点に居るといった印象だ。
 私は幸い火・金が休みなので、平日にこの公園に居る灘君にいつでも会いに来れる。この公園は私達の母校が近いので、部活動をやっていない工業高校生達、または、そこまでガチガチに束縛される部活動に入っているわけではない工業高校生達が、メインのお客さんだ。
 この店では、持ちやすい紙袋に入れられたビリヤニ竹筒弁当が、圧倒的に人気である。店というか、移動図書館なのだけど。灘君は嘱託の公務員みたいなもので、移動図書館の館長でありながら、弁当屋も副業でやっている。キャンピングカーのような自動車で、この公園の「学」と「食」の両文化の発展責任を担っているのだ。
 私も普通自動車第一種運転免許とフォークリフト運転技能講習修了証(所謂〝フォークリフトの免許〟)を持っているのだが、妻さえ殺せばその車を代わりに運転する権利を得られるだろうか?

 灘君の車の近くのベンチに腰掛け、おやつ代わりのビリヤニ竹筒弁当を貪(むさぼ)り啖(く)う。今日も灘君は、
「いらっしゃいませ。」
「かしこまりました。」
「お箸は何膳にしましょうか?」
と、温かな声を掛けてくれた。十中八九、私に気が有るのだろう。

 私の本名は中田 那舵(なかた なだ)。同じ「ナダ」の読みを持つことから、よく学級でひそひそ声で灘君が揶揄(からか)われているのを見た。私は別に、灘君と一緒になれるのであれば、いくらでも改名するのに……。
 那舵子。那舵美。那舵世。那舵奈。小那舵、なんてのも良いかもしれない。読みは「サナダ」でも好(この)ましいし、「コナダ」も可愛いし、「オナダ」だって有りだ。「チナダ」でもOKだし、その他でも構わない。

 噫(ああ)。

 灘君さえ良ければ。



 弁当を使い終わり──嘗て弁当は「食べる」ではなく「使う」と云われたものだ──竹筒以外をお店用のごみ箱に捨てた。


「有難う御座居ました。」


 灘君のVoiceだ。正直、濡れる。
 竹筒は公園の水飲み場に付属している水道で洗い、持ち帰る。私と灘君との、愛の結晶だ──。

 公園を徒歩(かち)で後にし乍(なが)ら、私は『初恋探偵♡崖畑灘』(はつこいたんていハートがけばたけなだ)のプロットを、脳内で耕す。『初恋探偵♡崖畑灘』は、私が一度賞に応募して一次選考も通過しなかった官能小説だ。今、大幅に改稿中。因みに、主人公は崖畑 灘(がけばたけ なだ)。私の筆名も崖畑 灘(がけばたけ なだ)。モデルは論を俟(ま)たず崖畑 灘(がけばたけ なだ)。
 あは~ん。
 渠(かれ)と私が、一体化してゆく為の、聖なる営みだ。


「違うんだって!」

 折角私の脳内で主人公が二つの男根を持つ容疑者にペンション内で冒瀆されているところだったのに、不図(ふと)、野良老爺(のらろうや)の声に歩みを止める。

「私はレインコートをちゃんと着ているだろうが! 長靴だって履いているだろうが! そりゃあ、風が少し靡くことはあったかもしれないよ!? でも、そんな、露出狂だなんて、非道(ひど)い誤解だ! 抑(そもそ)も、あんただって制服や下着の下は全裸だろうが!」
「あーはいはい、続きは署で。」
 手錠による拘束が完了。男の県警一人が、野良老爺(のらろうや)をパトカーの後部座席へ押し込んだ。自らも乗り込み、扉を閉める。慣れたものだ。
 運転席の女の県警一人は、サイレンを鳴らさずに赤色回転灯(パトランプ)のみを働かせて、パトカーを操り走り去っていった。遠目にも美しさが分かるような、厭な婦警だ。出来る女、って感じで、見ているだけで吐き気がして来た。さっき食べたビリヤニが、上のお口から出て来そうだ。



 襤褸(ぼろ)アパートへと向かって歩みを進めると、今さっきのお縄地点からたいして離れていない場所に、財布が落ちていた。クソラッキー! きょろきょろせずに拾い上げ、歩き出す。早歩きだ。
 右手に竹筒、左手に長財布。ピンクの可愛らしい長財布。いくら入っているのだろう? 素人じゃあるまいし、ここで開けてもたもた吟味などは絶対にしない。歩行中は〝善意で交番まで届ける最中〟だ。もし、持ち主が走って来て押し問答になり、
「交番とは方向が違うじゃないか!」
と指摘されたとしても、〝一旦家に帰って原付に乗ろうと思った〟で済む。小癪なのは、この財布が大きいということ。私のパッツンパッツンの制服のポケットには、絶対入らない。チッ。背嚢の無い時に限って……。でもまあ、今は人通りも無いし、多分此儘(このまま)遁(に)げ果(おお)すこと能(あた)うだろう。神様からの臨時収──


「あ!!!!! ありがとうございま~す!!!!!」


 工業高校の制服を着た女子高生が、棚田を縫って畦道を駆けて降りて来る。
 ケッ。
 ガチかよ。

 私はこう見えても──何(ど)う見えるってんだ?──五十メートルを六秒ジャストで走ることが出来る美少女だ。しかし、チラッと三百六十度を見渡すと、後方に男子高校生が一人、居る。ビリヤニ竹筒弁当を私の後に二つ買っていた、渠(かれ)だ。かなりイケメンだったので、よく覚えている。遠目から見てもイケメンだ。畜生。スマートフォンで撮られても厄介なので、仕方が無い、ここは我慢する。

「いや~、ありがとございます!! ……ぜェ……ぜェ……はァ……はァ……ふう、今日は久し振りに全力疾走を、二回もしちゃいました。──改めまして、おじさん、財布を拾って下さって、ありがとうございます。それ、あたしのです。さっき、変態のお爺さんが現れて、レインコートの下から裸を見せて来て……お巡りさんが丁度通りかかってくれたので良かったんですけど、走って逃げちゃったんです~……。怖くて……。丁度メンクリも御寝坊しちゃったし、な~くん……あ、彼氏なんですけど……彼氏とも喧嘩するし……もう最悪な一日で、極めつけに変態糞爺(じじい)が出て来て、もう、泣いてたんですけど……それで財布も落としちゃって……もう、死んじゃおうかなって……でも、おじさんが財布を拾ってくれて、本当に良かったです。これから私の時代が、来るんですかね!? ありが──」



《ズバギイッ!》



 折れた、と思う。鼻。
 
 私の渾身の右ストレートは、糞雌(くそめす)の鼻に直撃した。莫迦女(ばかあま)は数メートル吹っ飛んで、田植え前の、水を張っている水田に不時着した。
 右手に持っていた竹筒は、直前で、左手に託した。私は今、左手一本で長財布と竹筒を持っている。左手に、助演女優賞をあげるべきだ。

「おいゴリラ俺のナッチャンに何すんだぶち殺すぞ死ねガチでキショいなお前そんな可愛い娘にマジで何やってんの臭えんだよやって良い事と悪い事の区別もつかねえのか!!!!!!!!!!」

 イケメンがビリヤニ竹筒弁当をほっぽって、こちらへ全力疾走して来る。

 足元に阿呆♀(あほビッチ)のスマートフォンがあったので、取り敢えず踏み潰した。そして私は、男子高校生が迫って来ているのを知って、態(わざ)とのろのろと走り出す。男子高校生に、背中を向ける戦況(かたち)となる。

「おい逃げてんじゃねえ雑魚殺すぞデブくそキモおじさん!!!!!!!!!!」

 イケメンが私に迫る。



 三秒。

 二秒。

 一秒。



《ズバギイッ!》



 折れた、と思う。鼻。

 振り向き様のアッパーを鼻に食らって数メートル吹っ飛んだイケメンは、畦に不時着した。私の右拳が、恋とかいう一過性の病状に冒された二人の鼻血に塗(まみ)れて、真っ赤で、美しい。

 私はすぐさま鼻血塗れのイケメンへ駆け寄る。普通に、白目を剥いている。此儘(このまま)死ぬ可能性もあるが、それは個々の人生の責任だから仕方が無い。
 一瞬でイケメンのポケットからスマートフォンを取り出し、踏み潰し、左金玉を二揉み、陰茎を二揉み、右金玉を二揉みした後、財布を拝借した。
 

 全力で逃げる。今度は、本気中の本気。


 帰路を、家路を、驀地(まっしぐら)! 私という191cm・97kgの美少女が、火縄銃の弾となりて、夕間暮を覚えつつある浮世を裂き、進む! 山峡(やまかい)の時空間を貫く曜(ひかり)の矢! 農道は、私に凌辱される為に有る! 人間(じんかん)に矚(み)向きもせぬ、美(は)しき自己同一性のちゅぱちゅぱ! 自己同一性のちゅぱちゅぱ! 自己同一性のちゅぱちゅぱ! 走れったら、走れ! 甚(いと)疾(と)く! 甚(いと)疾(と)く! 一陣の薫風と相成り、四次元の捌佰壹孔(やおいあな)に挿(さ)し入れよ! ん! おお、形而(けいじ)の上の燃え上がるが如き接吻! 一切の冷笑を殲滅する閃(ひらめき)の、その鋭さを崇(あが)めよ! 噫(ああ)、現し世は謎塗(まみ)れ! み霊(たま)の長(おさ)の類(たぐい)は悉(ことごと)く皆、原罪に雇われた非正規雇用の探偵! 鬮(くじ)! 五月雨が緑色である内に振り子に細工を施せるだけ施せ! 全ての旅路(みち)は悪漢譚(ピカレスク)に通ず! 深淵を睨み返せ、深淵が目を逸らす迄!



 鹿が居たが、逃げて行った。

 雉が居たが、逃げて行った。

 狸が居たが、逃げて行った。

 猪が居たが、逃げて行った。

 チュパカブラが居たが、逃げて行った。

 猫がいたが、逃げて行った。

 熊が居たが、逃げて行った。

 鼬が居たが、逃げて行った。

 狐が居たが、逃げて行った。

 ニホンカモシカが居たが、逃げて行った。


 おお! 見よ! 襤褸(ぼろ)アパートが見えてきた!
 一気に速度を上げる。
 ウイニング・ランは、室内でやればよい。
 私は、ほんの一瞬だけ、殴り飛ばした未成年二疋の事を思い出した。




     紅の美しき畷の風呂ならむ


     クレナヰノハシキナハテノフロナラム



 回想は、刹那を以てして終焉と相成った。

 がちゃり。

 パトカーのサイレンが聴こえたような気がしたが、一句捻りつつ、何とか逃げ切った。遁(に)げ果(おお)せた!


 どすどすどすどすどすどすどすどすどすどすどす、どす、どす、どす、どす……どす……。部屋を、廻る。



 本日の収穫は財布二つ。こんな時でも竹筒は忘れていない。

 財布開封のお楽しみの前に、先ずはシャワーだ。風呂だ。
 押し入れに行く前に竹筒は、私の大小の陰唇と共に湯浴みを経る。

 禊。

 洗濯機へベルト以外の全てを放り込む。メッシュの靴下、メッシュのパンティ、メッシュの作業用ズボン、スポブラ、メッシュの作業用半袖、作業用丸天帽。全体的に紺だが、所々紅(くれない)だ。
 シャワーや角オナ、入浴をし乍(なが)ら、色々なことを攷(かんが)え始めた。

   ・『初恋探偵♡崖畑灘』のプロット。
   ・私と灘君は、何(ど)うやったら結ばれるか。
   ・今後、灘君に逢いがてらビリヤニ竹筒弁当を購入しにいく際に、本日のイケメンと塵芥膣(ごみちつ)が法的に復讐してくる可能性は有るか。(有るとしたら私は……純然たる被害者だ!)
   ・竹筒の収納スペースが愈々足りなくなって来たが、先程の番(つがい)対策も兼ねて、転居すべきか。
   ・「抑(そもそ)も、あんただって制服や下着の下は全裸だろうが!」という野良老爺(のらろうや)の発言は、全く以て、此世(このよ)の最奥(さいおう)へと通じる箴言(しんげん)に、他ならないのではないか。
   ・私の人生は此先(このさき)、何(ど)うなるのか。
   ・パトカーの音が、近づいて来ていやしないか。
   ・パトカーの音が、物凄く近所で急に、鳴り止んだのではないか。
   ・今、チャイムが鳴り、扉がガタガタ云っていやしないか。
   ・三名程、私の1R(ワンルーム)の牙城(ハウス)へ闖入(ちんにゅう)して来た音(ね)がしたのではないか。


《ガタガタタ……バンバンバンバン!!!!!!!!!!》



「中田ゴラァ!!!!!!!!!! 警察じゃ!!!!!!!!!! 開けんかオラァ!!!!!!!!!!」


 私は浴槽から出て、湯気が仄(ほの)かに漂って紗(しゃ)が掛かったようなこのお風呂場に踞(せぐくま)り、姦(かしま)しき喧騒──男三人で姦(かしま)しい、というのは、言い及ぶまでもなく此(この)上無き皮肉である──を無視し乍(なが)ら、竹筒をもう一度、手に取った。軽く接吻し、大小の陰唇へ当てがう。

 


 感じる。

 


 陰核を利き手ではない弓手(ゆんで)の拇(おやゆび)の爪の背で愛撫すると、陰唇から、清らかな粘液が糸状に溢れ始めた。


「……灘……君……。」


 

 《バッギドガァ!!!!!!!!!!》


 県警が雪崩込んで来る。扉を破った或る一人が、其(その)勢いの儘(まま)、私へ覆い被さって来る。クオリア! 噫(ああ)……。偏在する、灘君……。








 おお……!







 

 此(これ)が私の、破瓜(はか)の顚末である。







          非おむろ『初恋探偵♡崖畑灘』

               ハツコイタンテイハートガケバタケナダ    (2024/05/10)   5782文字

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