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夜中まで教育を語りあう仲間が出来たことは幸せだ

教育を甘くみるな
軽くみるな
専門分野だ

だけれども
その専門性とは
がんじがらめになって教え込むことでもないし
叱ってやらせる感たっぷりに推進するものでもないし

一番大事なことは
知りたいもっともっと
と学ぶことを楽しくすることが
教育の理想、目標ではないだろうか

結果
様々な分野の専門家や実践者が
わんさかわんさか増えていくみたいなイメージだ

教員でもない私が言うのはおこがましいのだけれども
私はそういう大好きな教員との学校生活の中で
学校に行くのが好きだった
だから体現者なのだ
多くの人が体現者かもしれない

そこから言ったら
良い体験をしたかしないかも
とてもとても重要なことなのだろう

なので必然なのだろう
そんな私は高校時代まで
教師になりたかった

だけれどもならなかった
言い訳と言われるかもしれないけれど
バレーボール部が地獄だった

その頃は
今で言われる虐待は日常茶飯事だった
それは当然
そんなものだという認識だから
我慢して頑張るのが善と思いこまされていた
でも誰かに言われたかというとそうではない気がしている

3年生の総体前に
いよいよ私は耐えられなくなっていった
ある日の練習中に、上手い子が過呼吸になって倒れた
監督は
「お前のせいだ」と言った
だからそれからは
メンバーがなんだか私にきつくあたるようになった

こんなの耐えられるか!!!怒
となり
親に言うまででもないのだけど
それまでの苦しかったこととか
散々ぶちまけた

中学校からやってきたバレーボールを
親は簡単に
「やめろ」
と言って笑った
「よく頑張ったな」とまで言って
泣けたな
あの頑固な父親が 、、、

あの時代は本当に辛い日々で
朝夕10キロを自転車で通っていたから
夜は8時ぐらいになると
自転車を車に乗せて自宅に送ってくれるという
実はそんな監督で
練習が終わると天使に代わるのだ

私には
その車の中の会話も嬉しく楽しいという側面も
実はあったのだ

結局
チームのこと
監督のことを考えると辞めることができなくて
3年間辞めずに「がんばった」という誇りが残った

大した虐待じゃないんでしょ?と思われるかも?
相当大変な虐待でしたよ

この辺にしておく
この話は止まらない

結果
こんな状況で
勉強なんて面白いと思えなかったということで

部活が終わった9月の初めからは
遊ぶのが面白過ぎて
勉強なんて面白いものではなく
遊ぶことが面白くなったのだ

共通一次で教師を目指していたが
年をあけて1月
やめた

3月に就職をしたのだ

時を経て

職場結婚をして
二人の子どもが授かり
夫の仕事の関係で転勤族で
子どもたちと家族みんなで各地域を転々として
地域の人に助けられながら
みんなで楽しく成長してきたのだろう

そんな中で
教師のサポートの仕事
放課後のサポートの仕事
学童、障がいのある子のボランティア
特別支援、病院学級、などの子どもと関わり
多くの社会課題に遭遇した

近くは
地域運営の社会教育施設の責任者(館長)を担うこととなって
学校や幼稚園や多くの企業、地域丸まる知ることとなって
今がある

長くなったが

教育を甘くみるな
軽くみるな
専門分野だ

このことについて強く思うのだ
人に向かっているのではない

教師は専門分野なのだけれど
そのソフトで人の成長に関わる
すご~く大事な 
教師としての天職を発揮できない
そんなシステムに教育環境がなっている今
教師がある意味軽く見られていると感じるのだ

教師は人間の理想
子どもたちが出会う
一日に長い時間を過ごす
とっても大事な人なのだから

甘くみるなという意味は
システムを作っている国に向けているのです

現場は教師みんな真剣
どうして疲弊して辞めていくのか
国が甘くみている
としか言えない
言うことが出来ないのです

子ども時代に見ていた学校と
今大人になって見えてきた学校は
大きく変わったのではないかと思う

何が変わったか?
もう言うまでもないかもしれない
経済の発展に見合う人材の育成
いわゆる「勉強ができる子」にするための管理が
勉強や学習という産業を生み
教師を縛り
デジタル化は負担減にはならず

親の任務が大学入学みたいになって
学校自体もそういう圧力の中で
歪んだ教育環境が創られて行って

被害者は教師と子どもだ

もうそろそろ気づくべき

教師を甘くみるな
教師を守って
子どもを守ってこそ
理想の人間社会ができる

それは
誰もが教師になれるということの中に
とっても難しい子どもの人権を守り
心身の健康を育み
主体性を奪わないという
大きな大きな難しい関りを担うというミッションがある
ということが優先順位だ

ということは
適任者は選別が必要ということにもなるし
そうした選ばれた人と共に子どもたちは一緒に成長する
ということなのだろう

長くなったけど
まだまだ想いは終わらない
みんなで話し続けよう

今日はこの辺で辞めとく

最後の最後に
私は教師をリスペクトしている
教師への想いをいまだに抱いている

教師が大好きだ!






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