眠れない夜は、ただ書こうか。
クリスマスイブだ。
この後、寝て起きたところで何か特別な予定があるわけではないけれど。
せっかくのクリスマス気分を味わいたいのも本音だから、カフェにでも行こうかなと思っていた。
クリスマスの過ごし方は、年齢と共に特別でなくなってきたのかもしれない。
子どもの頃、サンタさんがいつ来るかと必死に眠気と戦っていたことを思い出すと懐かしい。
とはいえ、大人になってからも「サンタさんが両親のあたたかな愛情であった」と理解したこと以外は特に変わらなかった。
美味しいチキンやケーキを食べたり、プレゼントを交換したり、イルミネーションを見たり。
街が楽しげにクリスマス一色になっていくのにつられて、私も浮かれ気分で楽しい時間を過ごしていた。
その中で唯一異色だったのが、数年前ニュージーランドで過ごしたクリスマスだ。
ニュージーランドでは、クリスマス当日までの1、2週間はそれはもう文字通り"お祭り騒ぎ"だった。
パレードやらパーティーやらが街中で催されていて、現地でできた友達とあちこちに遊びに行った。さすが海外、それもキリスト教の根付いた土地では、クリスマスは一大イベントで大盛り上がりなのだと感心していた。
しかし、いよいよクリスマス当日を迎えた時、それまでの華やかなムードとは一転、街はしんと静まり返ってしまったのだ。
どのお店を見てもシャッターを閉め切っていて人の気配がしない。
それどころか街を歩いている人すらまばらだった。
ツリーも、煌びやかなイルミネーションも、街を歩くサンタやトナカイの姿もどこにも見当たらない。
そこで初めて、ニュージーランドでは
「家族と一緒に家で過ごすこと」がクリスマスで何より優先される過ごし方であると知ったのだった。
それからだろうか、クリスマスは「大切な人と一緒に過ごすこと」が達成できていればいいのだと思うようになった。
特別大きなプレゼントや豪華なディナーは、きっとあってもなくてもどちらでもいい。
もちろん、小さなサンタさんの乗った大きなケーキは見るだけで心が躍るけれど。
特別な過ごし方をしなきゃいけないわけじゃなくて、そう、たぶん、
ただ大切な人を思い浮かべながら、机に向かって一人紙にペンを走らせてみるだけでもいいのだ。
ちょっと格好つけてしまったけれど。
本当はクリスマスイブなのに眠れないのはなんだか落ち着かなくて、思わずペンとノートを手に取ってしまったのが本音だ。笑
なんとなくロマンチックにしたくてYouTubeでプレイリストを再生しているあたり、まだまだクリスマスに夢を抱いているのがバレバレだ。
雪のように白い(と思いたいだけ)、まっさらな紙に考えを書き出していく。
これから何がしたい、こうやって人と関わっていたい、何が好きで何を怖がっているかとか、
クリスマスらしくもないむしろ人間くさいことを、素直に乗せてペンを走らせていく。
そうするうちに、不思議と心は落ち着きを取り戻して、すとん、と自分の気持ちが整頓される感じがする。
書くこと。
何も特別なことじゃない、クリスマスらしいわけでもない、何気ないことだけれど。
きっと書くことで、私は大切な誰かとの繋がりを求めているのだろうし、大切な誰かとの時間を捻出したいのだろうと思う。
誰と一緒にいたい、どこで過ごしたい、何を一緒にやっていきたい、そんなことを書くことで、私と、私と出会ってくれる大切な人たちとの関わりを想像しているのだと思う。
それはそれでクリスマスというか。
大人なんだし、そういう過ごし方もありなんじゃないかとか。
思って見たのだけれど、どうかな…。
もし、大人になって特に予定のないクリスマスに焦りを覚えている人がいたら、
ぜひただ「書く」ことを試してみてもらえると嬉しい。
自宅でもカフェでもよくて、いい感じのプレイリストとかいい感じの照明と、あと大切な誰かの顔が少しでも思い浮かんだら、
きっと、大人ないい感じのクリスマスの夜になると思う、なぁ。
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