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高校の英語教育は日本人に必要なのか

こんにちは。教員免許の取得まであと4カ月です。ノモちゃんです。

実際のところ、教職課程の授業を自分で選んで免許が欲しいです!って大学に申請するまでは大学生がするのですが、そこから免許をもらうまでは大学がまとめて国に申請をしてくれるので、細かい日時までは把握していない、免許取得希望生です。もう、大学様様です。

さて、このnoteは来週から教育実習が始まることを期に書き始めたものでした。高校での教育実習を予定しているのですが、新型コロナウイルスによる緊急事態で学校日数が少なくなったため、高校の秋学期が始まるのが早くなったんですね。そんなわけで来週の始業式から教育実習に参加させていただく予定です。

私は高校、大学とアメリカで一年留学を経験しておりまして、通っている大学の授業はほとんど英語で受けていることもあって、教職免許の科目は英語です。きっと教育実習が始まって、自分が高校生だった頃の英語教育とは違う授業を経験することになると思うのですが、私が今思う英語教育に関する考えをお話していこうと思います。教育実習が始まって、自分の意見が変わる前の記録的な意味もこめて。

英語ってなんでやる必要あるの?海外行かないならやる必要ないじゃん!

今まで自分が経験した学校生活でそう思われた方、または友達やクラスメートがそう言っているのを聞いたことがある方、いらっしゃいますね。挙手ありがとうございます。

私は批判能力が弱かったので、言われるがままに中学に入ってから英語を始めて、割と好きになっていったので自分がそう思う立場になることはありませんでした。だけど、クラスメートが大抵そう言っていたので、確かにそうだなぁと思うこともしばしば。確かに都会ならまだしも、地方の学校に通っていて普段から外国人と触れ合う機会ってなかなかないですよね。細かい文法とか難しい単語とか、なんで覚えなきゃいけないんだろうって思いますよね。

だけど、他の言語を学ぶことは巡り巡って自分の母語理解にもつながるので、より明確に日本語を使う能力の取得につながると思うんです。だから中学英語はなかなか良い役割をしているんじゃないかな、と。中学の同級生で英語の試験が得意じゃなかった友達も、海外旅行できてますし。

だけど、高校の英語って一気に、細かくて使用頻度低い文法になると思いませんか?

教職課程で、英語文学だったり英語の言語学だったりの授業をとる必要があったので「大学で英語を学ぶために使う英語」に触れていたんです。そこから高校の英語レベルに戻って考えてみたときに、自分の専門分野を英語として勉強するとしても、必要な文法のレベルを遥かに超えているんじゃないかと。

自分で言うのもあれですが、向上することは好きだし良いことだと思っています。それにしても、高校生の英語のレベルを上げるとしても力を入れるところが違うんじゃないかと。

文法じゃなくてなにをするの?というと、もっと読み物をしたり他文化に関する知識を深めたり(歴史や現代社会の情報に絡めたり)するほうが、アクティブラーニングにもなるし良い影響がでるんじゃないかなと信じています。

教育実習が始まって、イマの高校生の英語授業に触れてみての感想も随時ご紹介していく予定です。

それでは!