見出し画像

「名前」は 免罪符 なのか。それとも、呪縛 なのか。

 私は、高校にも大学にも、ほとんど通っていない。高校は2年の初めから不登校になって休学・留年を経た末に退学し、せっかく入学した大学にも全く足を運んでいない。

理由は、私が「鬱病」で「睡眠相後退症候群」だからだ。

 私は高校2年の初めに、酷い無力感と著しい無意欲、そして昼夜逆転を訴えた。登校する日数はどんどん減っていき、夏には全く家から出なくなった。
 病気でもないのに何故こんなにも物事に対して意欲が湧かないのか、体内時計が狂ってしまうのか、自分でもよく分からなかった。分からないし、そんな自分が酷く惨めで、毎日自己嫌悪に苛まれていた。罪悪感と自責で気が狂いそうだった。
 世間の目や両親から浴びせられる冷たい言葉に耐えきれず、私は救いを求めた。自分の状態に、何か名前をつけて欲しかった。"私は「○○」という病気だから学校に行けないんだ" と弁明するための名前を、私は求めていた。
 しばらくして、私は心療内科を受診した。

・学校に行けない
・夜眠れない
・朝起きられない
・何もやる気が起きない
・何にも興味が持てない

 これらの状態とやや難アリの家庭環境を鑑み、医師は私に「軽症うつ」という名前をつけてくれた。学生なのに学校に行かないという 普通 とは違う状態が、この「軽症うつ」という名前のおかげで説明できるようになった。
 高校提出した診断書は無事受理され、私は高校を正式に休学した。両親も渋々ながら私の状態を受け入れた。

 時が経ち、私は結局高校を退学した。復学してからの1年半で、私は何度も死のうとした。自傷行為も増えた。毎日、日が出ている間は死んだように眠り続け、日が沈むと目を覚ました。
 「軽症うつ」だった名前が「鬱病」に変わり、「睡眠相後退症候群」という新たな名前も加わり、文字通り私の病状は悪化していた。
 何とか大学には入学したものの、結局ほとんど通うことが出来ず今に至る。

 鬱病の診断には明確な基準はない。けれど、私には明確な、それも自殺未遂に至るほどの希死念慮があり、気分の落ち込みで3日間自室から出られないようなこともしばしばあった。
 睡眠相後退症候群とは、24時間の中で身体が自然に睡眠を求める時間帯が後ろにズレてしまう病状を指す。どの程度ズレるかは個人差があるが、今の私の場合、自然な眠気が来るのが午前4~6時、そして自然な起床が14〜16時になっている。
 一般的に学校で授業や講義がある時間帯に、人々が忙しく働いている時間帯に、私は眠ってしまう。そして、夕方になると私はようやく目を覚まし、アルバイトや買い物といった活動を始める。

 言ってしまえば、私にとっての「睡眠相後退症候群」は昼夜逆転に医学的な名前をつけたものだ。昼夜逆転と言うと、多くは不摂生とか深夜のゲームのし過ぎとか、怠惰や堕落といった印象に結びつきやすい。私も実際、「睡眠相後退症候群」と診断される前は両親によく罵られた。怠け者、穀潰し、ゴミ、色々言われた。
"大学には行けないのになぜアルバイトができるんだ!" 
"大学へ行け!怠けるのも大概にしろ!"
と、アルバイトを終えて帰宅する度に叱責された。

 けれど、仕方がないのだ。考えてもみろ。私が毎朝7時に起きて満員電車を乗り継いで大学へ向かい、16時過ぎまで寝ずに講義を受け続けるというのは、普段0時頃就寝する健常者が毎朝3時頃に叩き起され満員電車に揺られ、そのまま10時間活動し続けることと同義なのだ。そんなことを強要するなんて、非人道的だと思わないか?だって私は「睡眠相後退症候群」なのだから。 病気 なのだから。

 ここまで書いてきて思った。というか、最初から私が言いたかったのはこれだ。「名前」には説得力がありすぎる。

 高校2年の時、まだ私に名前がなかった時、私は何も出来ない自分を責め、もがいていた。普通の人に戻ろうとする意志があった。周囲の人間も、普通ではなかった私を責め、冷ややかな目を向けた。
 ところが私に名前がつくと、私は「普通でないダメな私」を「病気の可哀想な私」と言い換えた。"病気だからー"を言い訳に、学校に通えないことや朝起きられないこと、死にたくなって動けなくなることを正当化した。「病気のせいで思うように生きられない、可哀想な自分」を作りあげ、そこから抜け出す意志を失った。冷たかった周りの目も、哀れみや同情、諦めに変わった。

 私は名前を得ることで、人から受け入れられたかった。ダメな自分でいることを許されたかった。ダメな自分を認めて欲しかった。周囲受け入れられつつ、少しずつ普通の人間に戻る努力をしようと思っていた。
 けれど、名前を得た今、私はその名前に囚われてしまった。確かに周囲からの承認こそ得たものの、"変わろう"という意志が無くなってしまった。免罪符になるはずだった名前に、私は縛りつけられている。

 毎日学費を無駄にしながら夕方まで眠り、夕方から終電までアルバイトをし、好きなことをしてまた明け方に眠りにつく。死にたいと思ったら死のうとしてみる。周りの人間も何も言わない。私も今の生活が心地よい。

もう一生、このままでいい。

私は病気で、可哀想で、ろくでなしでも死にたがりでも仕方がないのだから。

皮肉なものだ。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?