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そこそこの濁流に飛び込む

悟ったらだめだ。少なくとも20代では。

「人生、お金じゃない」とか、「成功しなくたって自分らしく生きていればいんだ」とか、「すでに身の回りにある幸せを嚙みしめよう」とか、10代、20代のうちに言っててはダメだと思った。

もちろん、大前提として今述べたことは全て正しいと思う。お金は不幸を回避させてくれるのに役立つがそれ自体が幸せを生み出すわけではないし、成功なんてのは他者からの物差しで測られた結果にすぎないので自分の価値観の軸を持つことが必要だし、感受性を高くもって日々の生活の中での喜びを感じることは大切だ。

だけど、それを行動を起こさない言い訳にしてしまったらダメだ。行動を起こして、しんどい選択をして、必死に挑戦していった果てに悟るモノだからこそ価値があるのであって、何もしないうちから達観した風に語っていてもただの怠惰な屁理屈マンが誕生するだけだ。

だから、深く考えすぎずにがむしゃらに向かっていける目標があるといいよね!!!

ただそれがないからこそ悟りモードに入ってしまうのだけどね!!

やはり、そこに対する一つの解は、自ら濁流に飛び込んでいくことなんだと思う。濁流の中ではどんなに怠惰な人でも必死にならざるを得ないので、結果的に力がつくし、そうやってもがく中で、頭で理解しただけではない本当の意味での悟りが得られるのだと思う。

そして、ここでのポイントは、「がんばれば泳ぎ切れそうな程度の濁流」を選ぶことだと思う。自分の力量とかけ離れすぎた環境を選ぶと、悟りをひらくどころか多分そのまま涅槃してしまう危険性もある。


次はどんな濁流に飛び込もうかなぁ。


とりあえず明日も油断せず飲み込まれないようにがんばるぞ〜。

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