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リハビリ07 無思考生活

ぼけっとしていたら、コーヒー豆を床にぶちまけてしまった。

めんどくさいこと終わらせとくから、分かったつもりにならないでくれ。
分かられてたまるかという反骨精神が常にある。

音楽しか愛せないし音楽さえあればそれで充分なので、ため息をついてその旨を伝えて、
それでもって、大好きなバンドのライブに行って、大好きなアーティストの言葉を受け取って、
そうそうやっぱり、だから好きやし信じられるし、音楽の趣味しか愛せないし、そんな人たちを信じたいとおもうんよな。ってまた納得して、
ぼけっとして挽きたてのコーヒー豆に間違って水をかけてしまうなどして、また日が暮れていくらしい。

文章を書く際の適切なプロセスを無視して、すべてを「て」でつないでしまうくらいには何も考えていない。

「ハロー、アディオス」と誰かがつぶやいたから、
届かない手紙をまた…と尋ねようとして辞める。おんなじことの繰り返しである。

指が勝手にキーボードをはじいて、出来上がっていく文章というか、ただの文字の羅列を、まるで他人が書いたものであるかのように傍観している。おっと、日が落ちてきた。

時の経過、季節の移り変わり、通りを横切る猫、みたいなそういう描写が好きらしくて、しょっちゅう言葉にしている。そういう生活を愛している。

そろそろ始まるすべてと引き換えに、すべてを終わらせたくなる衝動を取っ払うことに精いっぱいで、音楽が右から左に通り抜けていってしまう時もある。

はじまりのおわりのはじまりの話を、してほしい。


Chat GPTによる以上の文章へのダメ出し

文章の一貫性や構造に一部乱れが見られます。
一連の思考や感情がつながりを欠いている部分があり、読み手が全体の流れを追いやすいかどうかに影響を与えています。
また、一部のフレーズや表現が過度に省略されており、読解を難しくしている箇所もあります。
これらの点を改善することで、読者がより深く作者の内面に共感し、エッセイのメッセージをより明確に理解できるようになるでしょう。

その通りや、ほんまに…。

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