不器用な花
さだまさしさんの『心の時代』というアルバムに入ってる曲。
初めて聴いたのは、高校一年のとき。
テレビの歌番組で披露されていたのを聴いて、歌詞に感動したというより『納得した』というのが、あの時の感想に近いだろう。
アルバムの中の曲なので、高校の時のお小遣いが5000円だった私には1枚3000円のアルバムは手に入れれず、レンタルも岐阜のど田舎じゃメジャーな曲しか店頭にないため、母がビデオ録画していたのを一時停止をしながら、ノートの空いてるところに歌詞を書き写していたのを記憶している。ただ、その時は『いつか誰かに言ったらカッコええやろうなぁ』とかそんな浮ついた考えだった。
しかし、なにぶん高校生で部活のソフトボールと勉強に忙しく、だんだんとその書き写した歌詞のことも忘れていった。
高校卒業し、大学に入り成人式が終わってすぐのことだった。
父が癌で余命1年というのを本人から聞かされた。
実は私は成人式をスーツで参加している。写真を撮るからと、成人式前日に晴れ着姿になり、検査入院していた父に見せるため病院に連れて行かれ屋上で父と写真を撮った。母からは、「お父さん、ちょっと体調悪いから検査してるだけ」と聞かされていたので、私も『他の人にも見られてるやん。恥ずかしいなぁ』と思いながら写真を撮った記憶がある。ただ、看護師でもあった母はまだ検査結果が出ていないが、父の症状からたぶん結果が良くないということに気がついていて、私と撮った写真を父の遺影の写真にすると決めていた、と亡くなってから聞かされた。
父の余命が1年と言われてからは、生活が一変した。
夜は居酒屋でバイトをし朝まで働いて、車の中や友達の家で仮眠させてもらったりして大学に通っていた。と言っても、講義もほぼほぼ寝ていたが…。
父は癌になる一年前に会社を辞めていて、ちょっとした事業をやっていたのだが、始める前に事業の資金を渡した人に夜逃げされて、また親戚から借金をして事業をやっていた。
癌も高額医療費で返ってくるとはいえ、一度は支払わないといけなかったから、私は母に通帳と印鑑を渡していたので、稼いだバイト代はほぼほぼそれらに消えていた。
母は私が父の入院、治療費を払っていることを父には内緒にしていた。
父はとてもプライドが高いので、娘に自分の治療費を払わせてるのを知ったら「治療をやめる、退院する」と言い出しかねなかったからだ。
とても辛かった。居酒屋の深夜の酔っぱらいの人のクレームとかで心はすり減るし寝てないから体調も悪いし、自分に余裕がなかった私は、父に
「大学を辞めて、働いていいか」聞いたとき、頬を叩かれて、父にめちゃくちゃ怒られた。
とても理不尽だと思った。でも、父には私が治療費を払ってるなんていえないし…
疲れていたんだと思う。生きてる実感がなくて、自分の腕を切って血を見てると安心していた。
「痛い」という感情があるということに安心していた。
まわりのお金に困ってない友人たちには、理解されないと思っててどこにも自分の気持ちのやり場がなかった。
母が耐えてるのに自分が泣くのも違うし…弟も進路を変えて夜学で頑張ってるし、私はお姉ちゃんだから我慢しなきゃとも思ってた。
そんな時だった。
ふと、思い出したのが『不器用な花』だった。
Amazonで『心の時代』のアルバムが中古で安く売ってるのを見つけた。
聴いたら、とりあえず涙が止まらなかった。
『がっかりするな 笑い飛ばせ
なんとかなるさと言い聞かせ
一生懸命 暮らしてる
止まない雨などあるものか
必ずいつか報われるだろう』
歌を聴きながら
「大丈夫、大丈夫。」
「あなたは頑張ってる。」
ずっとそんなふうに言ってもらえてるような気がしてた。
『誰かが見ててくれてる。』
そんな気にさせてくれて、私は腕を傷つけることもなくなった。
さだまさしさんの曲で、メジャーな曲は幾つでもあるし、他にも好きな曲もあるが、
私の心を救ってくれたのは間違いなく
『不器用な花』という曲である。
#思い出の曲
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