愉快田なあ

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前世療法受けてみたレポ

そもそも前世療法とは? 退行催眠療法といわれる心理療法のひとつ。 ヒプノセラピーとも呼ばれます。 前世(とされる)エピソードを思い出していくことで、患者の心的外傷を取り除くことができるとされています。 対面で行っているところも多数ありますが、私は通話で受けました。 まず前提として、私には特定の精神疾患がなく、服薬等の治療を受けていないことを明記しておきます。 前世療法はカウンセリングの一環として体験してみました。 そのため心的疾患の治癒に関して、参考になるかは分かりません

    • 63円の命を生きる就活生

      令和4年、学生の私は63円。 『一戔五厘の旗』を読んだ。 著者は花森安治。 彼は『暮しの手帖』を創った初代編集長である。 先日倉俣史朗展目当てで足を運んだ世田谷美術館で、戦後の雑誌にまつわる展示が同時開催されていた。 そこで目にしたのが花森安治の随筆と「一戔五厘の旗」の写真だった。 その旗は、一張羅の背広のような立派なものでは決してなかった。 ぼろを継いで接いだものだと一目でわかるような、けれどこれがシンボリックでいいじゃない!と誇り高く見せつける、高潔なぼろ布だった

      • 月の代役

        そうして月は じぶんの仕事がもういやになってしまった 旅にも行けないこんな役割つまらないという すこし休めと太ったレモンが一月の夜空に浮かんだ 半月の夜にはレモンの断面から滴った果汁がみんなを泣かせた 満月の日以外は隠れることを強いられたレモンの片割れも泣いていた みかねて目玉焼きが二月の夜空に浮かんだ 竜骨座のカノープスがお腹をすかせて顔を出した めったに見つけられない南極老人の星をみんながおめでたいと馬鹿騒ぎした 羞しくなったカノープスは自殺していまいオリオン座は永遠

        • 五線譜がこわい

           6、7歳の頃にピアノを習っていたのですが、五線譜の楽譜の読み方がいまいち掴めないままレッスンが進んでしまい、ドレミで曲の音階を暗記して1年ほど誤魔化していました。  中学に上がっても音楽の授業は楽譜にカタカナを書き込んだり、メロディを覚えやすいパートを選ぶことで乗り切っていて、とにかく楽譜を読むのが苦痛でした。 ギターやウクレレのタブ譜はとても分かりやすく楽しいのですが、五線譜はいまだに苦手でコンプレックスに感じています。  五線譜はこれだけ長い間使われているのですから

        前世療法受けてみたレポ

          四角は豆腐、豆腐は白い

           卒業式の練習中、周りの目をうかがいながら、はりつめた背中をそっと甘やかしてあげた。椅子の背にもたれるとき、必ず背もたれがあるという無意識の確信がある。  大学受験を周りよりひと足早く終えた私は、恩師のすすめである寺を訪ね、雪山で帰りのバスを待っていた。そこには、千三百年にたった二人だけが成し遂げた修行を成功させたという僧侶がいるらしい。 「まだ進路が決定していない人の前で自車校がどうとか、引っ越しがどうとか言わないでください。先生は無神経だと思います」 と、校内放送で叱ら

          四角は豆腐、豆腐は白い

          煮えたぎる東北の夏が、やさしいままでありますように

           ままならないことばかりの世界で、いつまで食べるものを選ぶ自由があるだろう。学食の券売機の前で逡巡している友達の後ろ姿は、ハトよりも平和の象徴にふさわしい。 それがそこにあると忘れてしまうくらいに当たり前な、この暮らしのほうが嘘だったらどうしよう。  平成の夏休み、家の裏で育てたスイカを祖母が井戸水で冷やすのを、私は朝顔の陰に隠れて待っていた。扇風機のまえで河北新報を膝の上に広げて、運ばれてきたスイカに思いきりかぶりつき、縁側から種を飛ばしてみたりした。 同じ茶の間で七

          煮えたぎる東北の夏が、やさしいままでありますように

          透ける頓:味覚障害が生む薄い壁

          「やっぱりカフェインが向こう側にいる」  鉛玉のかわりにシャボン玉が出てくるオモチャのピストルを、新宿御苑で乱射しきったあとに立ち寄ったカフェで彼女がこう言った。なげやりに語る舌は、エスプレッソですらコーヒーの味を感知できないらしい。  七年来の付き合いになる友人・のんちゃんは、半年ほど前に新型コロナウイルスに罹患し、後遺症に味覚障害という置き土産を受け取ってしまった。  相互フォローしているTwitterのタイムラインには、のんちゃんの味覚障害に対する呪詛が連日連夜投下され

          透ける頓:味覚障害が生む薄い壁

          「結婚とは、契約?」 「相手の中で最優秀賞を取り続ける不断の努力を誓うこと」

           漱石の『こころ』を読んだのは、高校三年の現代文の時間が初めてではなかった。 そもそも高校の教科書に載っているのは、三部構成のラスト「下 先生と遺書」の部分に過ぎない。 三角関係、告白を躊躇う気持ち、Kの死、明治の精神に殉ずる。 たしかに国語の時間で何かを「学んでいる」感覚を強く残す章ではある。 しかし私が初めて『こころ』を読んだ高校一年の秋、心臓に杭を打たれたのは、たしか第二部の一節だった。 「世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと

          「結婚とは、契約?」 「相手の中で最優秀賞を取り続ける不断の努力を誓うこと」