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前世療法受けてみたレポ


そもそも前世療法とは?


退行催眠療法といわれる心理療法のひとつ。
ヒプノセラピーとも呼ばれます。
前世(とされる)エピソードを思い出していくことで、患者の心的外傷を取り除くことができるとされています。
対面で行っているところも多数ありますが、私は通話で受けました。
まず前提として、私には特定の精神疾患がなく、服薬等の治療を受けていないことを明記しておきます。
前世療法はカウンセリングの一環として体験してみました。
そのため心的疾患の治癒に関して、参考になるかは分かりません。


転生論を信じていなくても受けられます


一応転生論を前提としたものではありますが、前世療法を受ける上で、実際に前世を信じるかどうかは問題ではないと思います。
前世というテイで、いま自分の人生をどんな課題を感じているのか俯瞰するためのものだと感じました。

以下は3年前に前世療法を受けた際の、簡易的なメモに基づいた文章です。
そのため記憶が正確でない部分もありますがご承知ください。
これから受けてみたいと考えている方の参考になるか分かりませんが、架空の物語として面白半分で読んでみてください。


前世療法スタート


椅子に腰掛け、リラックスした状態で催眠をかけてもらいます。
5円玉を揺らしたりするいわゆる催眠術なんかと同じで、かかりにくい人とかかりやすい人で分かれるようです。
そのためいきなり前世療法を受けるのではなく、事前に催眠がかかりやすいかどうかのテストがありました。

前世療法が始まると、まずは子ども時代を思い出し
「何が見えますか?」
「どう感じていますか?」
などの問いかけに答えながら、だんだんと過去に遡っていき、前世を見ることになります。
身体はリラックスしているはずなのですが、終始手汗が止まりませんでした。


子ども時代

私が母校である小学校の廊下に立ち尽くしている光景がぼわっと浮かんできました。
昼間〜夕方くらいの時間に、小学校の図書室の前にいて、周りに誰も人がいません。

次は自分が赤ちゃんに戻って、おくるみに包まれているところが浮かんできました。
病院や両親の寝室で父と母が抱っこしてくれて、愛しそうに私の顔をのぞいていました。
(実際潜在意識の中でそういう記憶があるのか、幼児期の写真や、映画ドラマのイメージからそういう光景が連想されたのかは分かりません)
しかし突然、実家の二階の廊下から吹き抜けに向かって母親が赤ん坊の自分を投げ落としました。
ブラックホールのようなものが受け止めてくれて、怪我はありませんでした。
セラピストの方にその時どう感じましたか、と尋ねられたのですが

「誰かに頼ることを辞めさせてくれてありがとう」
「母親のしていることを責めるべきはずなのに、特に責めようと思わない」
という言葉が口から出てきました。

そして母親の胎内にいる感覚がやってきます。井戸が見えました。
黒い穴と明るいグレーか白の石でできた丸い井戸です。
(子宮口のメタファー?)

前世へ


次に周りを見渡すと目に留まったのは蓄音機、チーズケーキ、白い壁、コーヒー。
おそらく前世の私は、明治〜大正時代あたりのカフェに立ち尽くしていました。
人で賑わっていて、値段もメニューも見えませんがなぜかここは手頃な店だと感じました。感じたというより知っていたような気分、と言ったほうが正確です。
私はそのカフェに知識人が集まる憧れのサロンという印象を持っていたようで、存在を知ってはいたけど、初めて来て怖くなっていました。
店の外は人力車と馬が走っていて、昔の日本にしては洋風の街並みです。
ガラスの窓や扉越しに見える外は白っぽくて明るくて、今は真昼か冬かどちらかだと感じました。

はじめ、自分自身の身体が男性になったり女性になったりと安定しない映像が見えました。ホログラムのような感覚です。
スイッチを切り替えるように何度も男女両方のイメージがチカチカと見えていたのですが、そのうち男性の身体に落ち着きました。
私は紺色のトンビコートを着ていて、ベージュの帽子に丸メガネをした、25歳くらいの男性でした。

「ここには誰も知り合いがいない、受け入れてくれない、排除されている」
というような感覚がありました。

自分の家は白い石の壁でできた、四角い洋風のアパートでした。昔の銀行を想起させます。薄暗い階段を上り部屋に入ると、格子のかかった窓と本棚、ベージュのリネンのベッドが目に入ります。何となくフランスのアパルトマンのような印象を受けます。
(この催眠を受けた数年後、ダニエルキイスの『アルジャーノンに花束を』を初めて読んだのですが、主人公の部屋のシーンを読んでいるとき、なぜか前世の自分の家と同じ間取りの同じ部屋のイメージが湧いてきてびっくりしました)

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机には分厚い辞書や原稿用紙、万年筆が置かれています。
原稿用紙を覗くとマスを無視した落書きがありました。描かれていたのは実物より少し大きいくらいのレモンでした。
なぜか夏目漱石の顔が何度も浮かびます。
(小説家になりたいのか?)
このとき私は特に社会的成功はしておらず、実家の仕送りを受けているようです。
また、自分の存在を知っている師匠のような存在が一人いました。
(現実でも心強いメンターがいたので、その表れなのかもしれません)

「誰も認めてくれない、自分の言葉を聞いてくれない、届かない、自分が切り開ける余地がない」
と思っているようです。

結婚はしてないけれど、時々会っている女性がいました。だたどこかの道端で出会っているような感覚が強く、屋内で会っているイメージは湧きません。
髪が短く顔が整っていて背も高く、働いていて自立した感じの、いかにもモガという女性です。
この人といると楽しいし、誰かといる自分に安心するけど結婚したいとは思っていないようでした。

実家は田舎のようで、とても寒い地域です。
(現実の私も東北育ちです)
雪景色の中に寺子屋か旧制小学校が建っていて、紺色の着物を着た坊主頭の子どもがいました。
(前世の自分の幼少期なのかは不明)

「ここはみんな優しいけど誰も理解してくれていない、不気味、早く都会に行きたかった」
という気持ちがふつふつと湧きました。


35歳ごろ


和風の一軒家が見えます。
ガラス窓がたくさんある家で、立派な書斎に赤い布が掛かった文机まであります。達磨が置いてあるのも見えました。
(愛知県の明治村に保管されている夏目漱石の部屋にそっくりです)

結婚したようで、自分そっくりの子どもがハイハイしていました。
書斎で腕を組んでいる自分が見えました。メガネは無くなっています。

その時の私は家族を「保険」と考えていて
「周りの仲間(同僚なのか学友なのか不明)みたいに、自分も欧米に行ってみたかった」
と思っていました。
家庭にあまり愛着がなく、欧米へ行く足枷とまで感じているようです。
日本のことしか知らない自分は無知だと思われないか、と怯えています。

50歳ごろ

 
大学教授か何か、文系の教職に就いています。
結局欧米には一度行ったが定住はしなかったようで、日本に戻ってきています。
書生風の青年が自宅に出入りしている様子が見えました。
(現実の私に留学経験はありません。夏目漱石のイギリス留学のイメージと重ねたような気がします)

「きっと本心から求めてはいなかった」
と思っています。

65歳ごろ


足腰は丈夫で大きな怪我などもなく、外見は健康的なのですが、内臓があまり良くないようです。
(感覚的にそう思っただけで、映像のイメージはあまり浮かびませんでした)

「もっと楽しく幸せな状態があるんじゃないか、これでよかったのか」
とずっと不満を感じていました。


死ぬ間際


今までの懐古的な映像に比べると、だいぶ現代的な病院が見えました。
夜空と、プラネタリウムのようなドーム型の白い建物と、病室のイメージが交互に浮かびます。
私はベッドに横たわっていて、穏やかな微笑で亡くなっています。
「これでよかったんだ、もう幸福になる努力はしなくていいんだ」
と安堵し満足しています。
周りには家族らしい人は見当たらず、かわりにたくさんの弟子に看取られていました。



前世療法のその後


一通り前世を遡り終えて、セラピストの方からさまざまな質疑を受ける時間がありました。
前世のエピソードを使って現実の人生での課題を考えるところまで行います。

何か浮かんでくるメッセージはありましたか、と聞かれて私が反射的に答えたのは
「今あるものに早く気付け」
という言葉でした。何か考えてそのメッセージが浮かんできたというより、心からそう感じている状態でした。

ほかに出てきた言葉は
「現状にずっと満足せず、いつまでも幸福を追求するのをやめる」
「パートナーと愛し合うことや家庭よりも、師弟関係を重視している」
「歳をとってからも、同性の仲間と肩を組んでどんちゃん騒ぎすることに未練がある」
など。

前世の映像に映っていたモチーフには、自分がすでに持っているもの、つまり私の嗜好や経歴がかなり反映されていたと思うのですが
(現実でも日本史や近代文学史が好きです)

前世の人間関係や心情に関しては
「このまま生きていくと、自分はこうなる」
という不安感に基づいた推測が反映されている気がします。

前世療法は複数回受けることも可能なようなので、現実の人生観が変化すればそれに伴って見える映像も変わるのではないかと思います。

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