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誰もが正しいことをできるようにするために...読書記録

尿酸値があがってきたのに飲み会ではついついビールを飲んでしまう、ってよく聞く話。正しいと分かっていても実践できないことはいっぱいある、誰にでも。

私たちはなにも考えずに享受している

蛇口から出てくる水は綺麗だし、病院に行けば(ちゃんとした)医師が診察してくれるし、学校に行けば授業があるし、社会保険料は給与から差し引かれて将来年金を受け取れる。

将来について真面目に考えてる人も、面倒くさがりな人でも、これは同じ。

やるべきだと分かっていても出来ない

貧困地域ではこんなのは当たり前ではない。

家に上下水道が通っておらず、運んできた水はそのままでは汚いので毎回消毒液を入れないと下痢になる。わかった、じゃあ消毒液を測って必要な量を入れよう。それから、年金はないので将来のための貯金をしよう。銀行は手数料が高すぎて(あるいは最低預け入れ金額が高すぎて)利用できないので、手元に貯金しよう。

・・・なんて、わたしたちが当たり前として受けているもの一つ一つに、判断力や意志の力が必要となる。もちろんそもそも貧困で苦しんでおり明日のお金にも不安を抱えながら。

生真面目な人でも一日中こんなこと全部やりきることはできないだろう。

実行しやすくする手助けが必要

明らかにすでに正しいとわかっていることでも、実行できないことは、誰にでもよくある。

いよいよ太ってきたから運動しようと思い、会社の福利厚生で安くジムに入会した。それでも1回、2回と行った後、通わなくなる。などなど。

誰でも目先の利益に惹かれ判断を先送りしてしまう。これを実行に移させるためには、できるだけ人の判断力に頼らずに、正しいことがデフォルトの選択肢になるように工夫しなければならない。

たとえば、水汲み場に消毒液が置いてあり、1プッシュすれば水桶にちょうど良い量の消毒液が出てくる、など。

当事者の気持ちに思いを馳せる

支援として消毒液を格安で配ってるのに貧困地域から下痢による死者が減らないという事象があったときに、それをどう考えるか?

この支援について制度や仕組みの是非を上から議論するのではなく、当事者たちの行動を観察・あるいは気持ちをインタビューしてボトルネックを調べることが大切となる。

単に面倒くさい、ということかもしれない。

貧困で苦しむ人間は自分たちとは違う人間だと思っていないか・・・。


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