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No Joke Story

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冗談みたいな冗談じゃない物語を綴ります。 See you next No Joke...
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#楽しいが正解

「大丈夫、すぐマヒる!」

「大丈夫、すぐマヒる!」

仕事人間だった僕だが、唯一心休まるひと時が友達と過ごす時間だった。その中でも特に大好きだった時間が、通称“ゆとり会”みんなとの時間。

ゆとり会ってなに?ってことに関してはこちらの記事から。

年齢が近いこともあるし、この年齢層(25歳以下)でインドにいる人って、なんだか色々な境遇や背景があって来ている人たちが多い。ような気がする。会社の命でインドに来たわけではない人、いわゆる“現地採用”の人たち

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「秋平ついに1周年!…だけど」

「秋平ついに1周年!…だけど」

営業開始10分前まで水が出ない問題や、スープを焚いている最中にガスがなくなる問題、そしてお客さんがラーメン食ってるのに停電して闇鍋ならぬ“闇ラーメン”をさせてしまう問題などなど、様々な困難を乗り越えまくって、我が、いや、“みんなの秋平”がついに1周年を迎えた。

ここまでの道のりは想像を絶するほど過酷で、壮絶で、楽しくて…社長と僕(と拓とアッサムズ)で必死に走り抜けた1年だった。こんなに中身がぎっ

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「インド人よ、これがニッポンだ!」

「インド人よ、これがニッポンだ!」

秋平のあるVelacheryは、日本人客にとって非常に通いづらい場所にある、というのは前述の通り。

しかし、そんなことばかりも言ってられない。「日本人が無理ならインド人だろう!」「ってか元々インド人ターゲットにしないと成り立たないだろ!」ってことで、インド人の集客につながるであろう施策をいくつか試したことがある。

というのも、チェンナイ在住日本人は、日本人会への登録ベースでカウントすると約70

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秋平のお隣さん事情。

秋平のお隣さん事情。

拓が帰国し、店を回すのは基本的に僕だけになった。

毎日毎日、何かしらのトラブルが起こる、インドでのラーメン屋さん。今日はここに2つほど置いていく(書籍化の際には「インドでラーメン屋ブログ」を少しリライトして全て載せる予定)。

テーマは「お隣さん」お隣さんその1。
拓がいなくなったので、もう一人僕と同じような位置付け(マネジメント業務)でインド人を雇おうという事になった。インドには未だ根強くカー

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「再会を日常に」

「再会を日常に」

僕と拓の出会いは、2011年8月。
YMCAと言うNPO団体が行っている“ボランティアinタイ”と言うボランティアツアー、通称“ボラタイ”に参加した時。そのツアーは全部で10日間。参加者は全部で10人ほど。当時僕が21歳で一個下の拓が20歳。他の参加者は、僕ら世代が数名とあとは高校生など年下ばかり。大体が仲間と一緒に参加してきていた。

僕と拓は唯一の単独参加。さらに歳が近いと言うこともあり、必然

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「盲犬“あきこ”との、出会いと別れ」

「盲犬“あきこ”との、出会いと別れ」

秋平をオープンさせてから2ヶ月くらい経った頃。僕ら秋平に新たな仲間が加わった。盲犬の“あきお”だ。名前の由来はもちろん“あきべい”から。 当時秋平に通っていた方も、知ってる人と知らない人で別れるかと思う。それくらい隠れキャラだった。

店先にある木の根元に捨てられていたのを、社長が見つけて保護した。まだ目が開いていないくらい小さく、雨に濡れて震えていた。タオルに包んで温めて、ミルクを飲ませたら少し

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「あ、ジョーさんですか?"ゆとり会"で今度飲みましょう」

「あ、ジョーさんですか?"ゆとり会"で今度飲みましょう」

前回、秋平初期の巻き返しについて語ろうと思ったら「やっぱり…」な結末しか書けなかった。詳しくはこちら。

今日は僕の、インドでのプライベートについて話そうと思う。

日本にいた時は毎日のように飲み会。飲み会に次ぐ飲み会で、少しばかりだが戴いていた作家のお給料は全てお酒に消えていた。気心知れた仲間と馬鹿話してる時間が大好きだった。普段のご飯は基本的に先輩方にご馳走してもらって、日本での極貧生活は生き

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「洪水からの生還。しかし落ち続ける業績。」

「洪水からの生還。しかし落ち続ける業績。」

100年に一度の大洪水を乗り越えた僕たち秋平。

最後に載せた動画にもあったように、洪水発生から1週間は営業できず、水が引いて、1日がかりで復旧作業をし、その翌日に営業再開。お客さんとのトークはもっぱら「大変だったね〜、自分のところはこれくらい(水位を体の位置で表して)冠水してたよ〜」だった。

聞くと、日本人の中にも家の中まで水が入ってきて、大切なものだけを持ちホテルに避難せざるを得なかったと言

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「100年に一度の大洪水で“死亡説”流れる」

「100年に一度の大洪水で“死亡説”流れる」

インド人客の出入りがちょこちょこと増えてきて、我が秋平のインド人スタッフもある程度仕事ができるようになった2015年12月1日。僕がインドに渡ってから5ヶ月目の出来事だった。

忘れもしない。「100年に一度の大洪水」の最初の日である。

その日は朝から雨が降り続いていた。僕は遅番だったので昼からの出勤。昼頃に、もう一度目を覚ますと目の前の道路が冠水していた。その時はおそらく足首辺りまで水が来てい

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「SUSHIはねえのか?じゃあ帰るわ」

「SUSHIはねえのか?じゃあ帰るわ」

秋平開店から3日後。

僕も拓も社長もヘロヘロになっていた。そりゃそうだ。朝から晩まで仕込み〜調理〜接客などなどなどなどを、日本とは全く勝手の違う“インド”という国で人類で初めて挑戦しているんだから、そりゃ疲れる。

水はなくなるわ、ガスはなくなるわ、停電なるわ、チキンは来ないわで、日本で普通にできることが全く進まない状況。なんとも刺激的だった。

さらに問題だったのはスタッフ。ミナまで言わずもが

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「100円のモノを売る仕事も、100億円を動かす仕事も、結局は人。」

「100円のモノを売る仕事も、100億円を動かす仕事も、結局は人。」

2015年6月某日。僕は社長宅にいた。

これより前のお話が知りたい方はこちらへ

社長とは、日産辞めた方の社長である。この日は、インドで戦うメンバーの初顔合わせだった。参加者は僕、拓、インドに行く社長(秋元社長)、インドに行かない社長の4名+それぞれのご家族。

顔合わせの内容は、それぞれの意思の確認と、インドで実際に販売するラーメンの試食。拓以外の2人とは、はじめましてだった。インドで名を挙げ

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