休息とか、平穏とか 24/04/29

久し振りに何も無い日であった気がする。何も予定が無かったので、昼寝をしたり、湯船に浸かりながら長時間読書をしたりした。勿論午前中はスプラトゥーン3で遊びながら法話を聞いていた。昨日までの疲弊によって一周回転し感性がやや麻痺してしまったようで、敢えて辛い苦しいと嘆こうという気にはならなかった。今日の一番の盛り上がりは『フランス革命についての省察』を読んでいた時だろう。黙々と本を読んで、フムフムと頭を使っている時が、一番豊かであった。けれども、その時間を振り返る今になってみると、その時間の価値がとても大きいものであるように思えた。荒波が途端に怖くなった。怖くなった、と言っている時点で、荒波の影響を受けているような気もした。

今日の、休息、の二文字を具体的なものにする要素として、天気が挙げられる。今日は朝から雲が多く、一方でそよ風は吹き、あまり波の立たない天気であった。夕方頃からパラパラと雨が降ったが、それも、燃え盛る火を消化するような、平穏に紐付けされたような雨であった。休息とか平穏とか、そういう言葉を使うと、羨ましがられるかもしれない。けれども、その視線は大きな誤りであると指摘をしておきたい。何故に休息とか平穏とかいう言葉が目立つのか。これは、それらの言葉が稀有だからである。つまり休息や平穏という言葉から、休息や平穏という状態を想像してはいけない。今日の天気を穏やかであると称した背景には、穏やかでない日々があるのである。

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