全体主義的非民主的な自治会でない事を祈る

自治体のゴミ当番が回って来たので、母親は今朝早くに近所のゴミ収集所の鍵を開けに行った。数ヶ月に一度回って来るこの当番の仕事は、父親か母親が普段からやっていた。そして今回も母親がやった。何時も事と言えば何時も事なのだけど、何故か今日に限っては、このゴミ当番と云う考え方がとても恨めしくなって困っている。

いや、普段から恨めしく思っていた。朝早く起きなくてはならず、かつ潔癖症で一度外へ出たらシャワーを浴びなくては気が済まない私にとってはこんな当番は一刻も早く無くなって欲しいもので、今は親が居るから親がこの仕事をしてくれているが、何れ自分もこの仕事をやらなければならないと思うと、非常に焦るし、恨めしくなる。大体仮に一人暮らしでかつ夜勤の人がこの自治会の範囲内に住んでいたら、この仕事はどうやって熟すのだろう。その様な人にとっては苦痛極まりない仕事であるはずである。

そもそも、私とて一応気分循環性障害と云う病気を患っている者であって、もし仮にこの当番が苦痛で症状が悪化した場合、自治会はどの様な態度を取ってくれるのだろうか。「いや、みんな我慢している事なのだから、貴方も我慢しなさい」とでも云うのだろうか。だとすればそれは全く保守的で進歩性に欠ける自治会であって、少数派意見の排除を厭わない、全体主義的かつ非民主的な糾弾されて然るべき自治会と云う事になる。

仮に、仮に、と言い過ぎた気がする。仮に、仮に、と、今起こってもいない事を問題にしすぎて、少々苦しくなった。この妄想で楽しく日々を過ごせている今を穢してしまっては勿体ない気がするから、これ以上この問題に触れるのはとりあえずやめる。しかし何れにせよこの面倒な仕事をこなしてくれている両親には非常にすまない。


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