迷惑客

一人になりたくなって、ガストへ本を読みに行った。常に誰かと時間を共に過ごす事が全く苦にならない人も居るらしい。だから諸々の寮とか、後最近であればシェアハウスとか、そういう人と人との距離が非常に近い住居で生活する人が居るのだろう。叶うのであればそういう環境に身を置いても楽しいと思う。実際に、ひきこもり支援の一環としてひきこもりとかそう云う属性の人達の入居するシェアハウスの運営を模索している人を知っている。そう云う話を聞けば、楽しそうだなあ、と思わない事は無い。とは云え私はそういう環境に身を置く事が苦手な人種であって、それは今日のガストへ行くと云う選択をした事からもわかる。シェアハウス等夢の話だ。

祖母との時間が苦痛なのでは無い。祖母からは色々な話を聞きたいし、色々な話をしたい。それでも人と人とが一緒に何らかの時間を過ごす時、互いに一切武装をしないでその時間を楽しむと云う事は無いと思っていて、実際に私は武装をしてしまい、結果苦しいのだから、一人で居たいと思うのは仕方が無い。
私は服を着るのも武装の一環だと思っている。真に心を許している人間を相手にする時、服も何も要らないだろう。真に心を許す、とは、恥ずかしいとか醜いとか何とか思われる事も一切無いだろうと予想する事が出来る、と云う事だと思う。私は一切の人に対してそういう予想を一切出来ないし、一切の人は私と同じだと思う。一切の人は人と関わる時、必ず武装をしているのだろうと自信を持って予想しているのだ。どこかで武装をしてしまう、私はそういう状態に置かれるのが苦しい。

ガストでメニューを開くとハンバーグとか、唐揚げとか、そう云う美味しそうな食べ物がズラりと並んでいる。ただ生憎昼御飯はもう食べていたから、そういうものには用が無い。用があるのはドリンクバー及びスープバーである。ドリンクバーが450円。スープバーが170円。そして何かと一緒にドリンクバーを頼めば、ドリンクバーは250円になる。一瞬何かが可笑しい気がしたが、メニューの料金欄に書いている事が全てだと思い、スープバーとドリンクバーを両方注文した。伝票を見ると420円、と有る。確かにドリンクバーは割引されていた。これでドリンクバーを単品で頼む客が居るのだろうか。

結局420円で3時間半程店に居座った。本を読んだり、たまに飽きたらnoteを見たりして、どうも面白い事を云う記事は少ないなあとやや寂しさを覚えたりしたものだが、インターネットも使えて、更に電源まであって、それに加えてスープとドリンクが飲み放題なのだから、何かけしからん事をしている気分になる。チラチラ店内を眺めると、私の入店時からずっと給仕をしている店員さんが目立った。私はたったの420円でここまで有意義な時間を過ごしているのに対して、店員さんはずっと給仕をしているのである。無論、店員さんが楽しくて楽しくて仕方が無くて給仕をしているのであれば何よりである。そうであれば客である私は楽しく本を読んで、給仕をする店員さんもまた楽しくて仕方が無いという、素晴らしい店内空間が生まれる事になる。今日のガストの店内はそういう素晴らしい空間であった、と、自らに暗示を掛けるかどうか、今少し迷っている。

たっぷり寛いだ後、昔々一緒に遊んでいた友人の家の前を通るようにして、少し遠回りをしながら、祖母の家へ戻った。実を言うと幼い頃はこの辺りに住んでいた事がある。だから知っている仲の者も何人か居るのだが、もう私もすっかり近江人であって、こちらの人々とはすっかり疎遠になっている。だから仮にその友人と街や、或いはその家の前でばったり出会った所で、ああ工楽君久しぶりだね、とはならない。偶然に偶然が重なって互いに互いの存在に気が付いたとしても、どこか他所々々しい、それこそ何らかの武装をして言葉交わす事になるだろう。とは云え私は少し期待をしながら、その友人の家の前を通った。
当然のように再開は無い。当たり前である。
「そんな偶然がそう簡単に起こるのであれば、私の人生ももう少し豊かなものであるに違いない」と、自分の馬鹿々々しさを少し嘲笑いながら帰路を歩き、そして今に至る。

尚、明日には帰郷する予定である。今夜はぐっすり眠る予定だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?