歩いて調整 24/07/23

この頃は、常に何かしらの緊張をしている。そもそもの不安が強いというのもあるし、軽躁を疑うレベルで思考が止まらないのである。次々とアイデアが出てくるし、少し時間があれば何かを頭に入れたくて堪らなくなる。活字中毒のような状態になっているのも、それ故だろう。読書量が圧倒的に増えている。癖である独り言も加速している。不安を、読書や独り言で掻き消そうとしているのかもしれない。ただし、休めていない訳ではない。ここ半年程で、意識的に電源を落とすという能力を身に着けたのは大きい。逆説的に、休めているから動けてしまうという見方も可能かもしれないが、兎も角、休めてはいるのである。ディーゼル列車の音を聞きながら眠ったり、読書は読書でも専門書や小説を読むのではなく中原中也の詩を読んでみたりして、気分を調整している。因みに言うと、こういう調整が必要であるという事を以て、私は障害者のだと思っている。

そういう調整の一環として、今日は朝に短時間、されどやや重要な用事があったのであるが、その用事が終了した後は、フラフラと散歩へ行った。暑いのは、知っていた。けれども、膝の悪い力士が四股を踏んで膝を治すように、私も歩いて気分を調整するのである。行き先は例のスーパーであった。この散歩道の側にある水田はここ数年で大幅に減ってしまったが、まだいくつかは大きな水田が残っている。もう、かなり稲が伸びていた。収穫の時はいつだろうかと、気になった。まだまだ先であろうが、気になった。勿論、空は青く、雲は大きく、蝉は活発であった。歩いたからとて、気分が改善する訳ではない。しかし、そういう日の散歩の事は、忘れないだろうと思うのである。因みに、今日は熱中症にはならなかった。

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