見出し画像

炭焼き日記

はじめに

令和の時代に炭を焼くことが面白くて、何かのカタチで残したいな、と想いこの日記を公開することにしました。

日々の出来事を書くのは、自分がしていること、するべきことを見るため。今日の何かが明日へと展開していく。その種を忘れない為にメモをとる。蒔かれた出来事は芽を出し伸びていく。川のように広がり、もしくは木々の枝のように可能性を伸ばし流れていく。

生きる+つくる=生活をつくる。



2024年1月6日(土)

炭の卸し先から電話。次はいつ納品できるか問い合わせがあった。去年から連続2回炭焼きに失敗して待たせている。これ以上引き伸ばすのも申し訳なく倉庫に眠っていた昔の炭を卸すことにした。持ち主に確認すると快く使っていいと言ってくれた。

朝8時30分ころに北茨城市の家を出て常陸大宮の道の駅に向かった。卸し先は、鮎の塩焼き店。国産の炭で焼くと美味しく仕上がると取り引きしてくれる。炭の焼き手が減って仕入れ先がなくぼくたちの炭をみつけてくれた。

11時ころに着いて納品を終えて、鮎の塩焼き菊地さんに「まだ塩焼きは続けられますか?引退はありますか?」と聞いた。菊地さんは「いま65歳だから70までやるよ。あと5年よろしくね」と答えてくれた。

午後から元・木こりの友達が来る約束。13時ころに来て、倒す予定の木を相談した。細い木を自分が倒すことになった。簡単だろうとやったらすぐにチェンソーが挟まってしまった。

元・木こりの友達は経験豊富だから「どうすっかなー」と笑いながら言って、倒そうとした木が反対側に反っていると教えてくれた。別の木を軸にロープで引っ張った。友達がチェンソーで傾きを調整しながら、楔(くさび)を入れて斧で叩く。木は少しずつ角度を変えて倒したい方向に揺れる。が倒れない。調整を続けるうちに木はミシミシと音を立てて倒れた。さすがプロレベルだ。

木が倒れたらバカ棒(75cmの目安になる木の枝)で測りチョークで印をつけていく。友達がそれを切る。枝をナタで落とす。炭焼きは枝まですべてを使う。バラバラにしたら軽トラックに乗せて炭窯の前に運ぶ。

今日は午後から2本のクヌギの木を倒してバラした。友達が言った。
「毎日木を2本倒すぐらいの仕事で暮らせたらいいのにな」

「ほんとうはそれぐらいの仕事で生きていけるのかもしれないよね。ほんとうっていうのは、誰かが間に入ってお金抜かなければ、搾取したりしなければ、自分が生きていくために必要な仕事で済むよね」

「月60万は欲しいな。2人で。そしたら何本倒すんだ?何回焼くんだ?」「月60万だったら窯も2つ3つ必要だな。人ももっとか」
「なんか面倒臭えな笑」

そんな話をしながら軽トラックで木を運んだ。窯について木を降ろして今日の仕事を終わりにした。仕事と呼んでいるけれど遊びかもしれない。お金が発生するかどうか曖昧だから。炭が焼けて納品できれば少しはお金になる。まあ、そんなことは問題でなく、遊んでるような気持ちで一緒に木を切ってくれる友達が有難い。

人生すべて「やるか、やらないか」でやりたいと言っていても実現しない。
"Life is all about whether you do or don't do what you want to. Just saying that you want to does not amount to anything."

1月7日(日)


朝7時に起きた。妻は犬の散歩に行っている。その間に薪ストーブに火をつける。お湯を沸かしてコーヒーを淹れる。去年ついた餅を薪ストーブで焼いて食べた。

8時に家の前の土手の木を片付けはじめた。去年持ち主に頼まれて木を切ったところ。蔦が絡まってた数本を残していた。昨日残りを倒したので片付ける。去年はたくさん切ったので運びきらなかった。炭焼きは新しい木を使うので、去年倒した木は半分に切って運んで薪にする。

10時には妻が疲れたと言うので休憩した。少し休んでひとりで再開。11時30分には片づいた。お昼は薪ストーブで煮たモツを食べた。昼寝して、午後は額づくり。昨日の夜、楮から作った紙に創作文字を書いた。額は薪で作った。

夕飯のあとオンライン英会話をやった。Netflixを英語字幕で観たけどハマらなくて辞めた。最近聴いたミュージシャンのYoutubeで映像づくりを研究した。Aja monetはアメリカの歌手でポエトリーをやっている。MVが映像のコラージュで参考になった。

昨日本を読んでいて、「芸」の字が「くさぎる」という意味だと知った。夏には草刈りばかりをしていて、人に話すとき、それのどこがアートなんだろうかと考えていたので嬉しかった。草刈りは芸の術だ。

夜寝る前に思いついた。生きるための芸術、サバイバルアート、生活芸術、ココニアル、と作ってきたコンセプトの最前線は、ワイルドアートに変化した。野生の芸術。自然から採取してつくられる作品。

1月8日(月)

8時に起きた。少し遅くて妻は犬の散歩から戻って薪ストーブに火をつけていた。コーヒーを淹れて餅を食べた。

コーヒーの歴史が気になって調べた。元々は実を煮ていたそうだ。現在のように濾すようになったのは1700年代。日本に伝わったのは江戸時代、鎖国の1860年ころ。シーボルトが一役買ったらしい。輸入が自由化されたのが1960年。缶コーヒーの発売が1969年。

そういえば映画「おいしいコーヒーの真実」を観たことがあった。今でもコロンビアでは美味しい豆を輸出して、残った豆でコーヒーを飲むから原地では美味しくないとか。世界の格差は広がっていく。毎日していることが実は加担していたりする。
参考
https://gentosha-go.com/articles/-/33223?page=3
https://spaceshipearth.jp/fairtrade_coffee/
https://note.com/yuma_lightup/n/n8f8cef03cd38

雪が少し積もって寒いので、額づくりの続きをやった。モノを作りながら考えごとするのが楽しい。閃いたことをメモする。モノを作りながら自分が作られていく。

コーヒーは自分で豆をダイレクトトレードで購入して、例えば5kg10000円だとして、それを自分で焙煎して飲めば、今自分が意図せずにしている格差を解消できることが分かった。まずは豆を焙煎してみることか。

午後は雑木を切って枝を整理した。軽トラックまで距離があって疲労した。冷たい風のなか身体を動かして、それが気持ちよかった。炭窯まで運んで、昨日運んだクヌギを割った。だいたい炭を一回焼く分を集めたことになる。

3時30頃に終わりにして、薪風呂を沸かして入った。まだ明るいのでニーチェ「道徳の系譜」を読んだ。

びっくりしたのは、人には自らブレーキをかける習性があるという。つまり道徳がそれをしていると。ブレーキをかけないと人は自分のやりたいように生きる。みんながそうなっては困るから道徳が従順な人間をつくる、と。従順になった人間は自己否定をして不自由になる。不自由であることを誰かのせいにする。ネガティブな要素、できない理由を並べる。自由な人間は命をかけて、それができなかったら死んでもいいとの覚悟で挑む。そして自由を掴む。というようなことが本の解説に書いてあった。

夜アートディレクターの友人とミーティングした。壁画の仕事の相談だった。ミッションを伝えられて、そのアイディアを提案する。アートディレクターがスパイ映画の司令官みたいでいい感じだった。

たくさん仕事をしたいと思わなければ、そこに自由が生まれる。お金をたくさん手に入れるためにたくさん仕事を抱えるより、毎日起きてやりたいことをやれる方が幸せに感じる。幸せに感じる日々を送ると気持ちよさが伝わって仕事が入ってくる。たくさんの仕事でなければ、ひとつひとつを大切に丁寧にやることができる。

1月9日(火)

朝7時に起きて薪ストーブをつけてお湯を沸かしてコーヒーを淹れる。お餅をストーブのうえで焼いて食べる。8時に炭焼きの師匠有賀さんが来る。一緒にコーヒーを飲んで打ち合わせ。

9時に炭窯のフタを開けてみる。去年の失敗の検証。原因は分からない。失敗の反省点は、窯のチカラで燃えるようにブロアー(送風機)の使用を控えたこと。だから次は盛大に燃やすことにした。燃やすための枝が足りないので近くの師匠の山の木を切ってバラして運んだ。週明け月曜日に火を入れることになった。

午後は昨日相談あった壁画の資料づくり。16時からオンラインで北茨城市の事業のミーティング。18時からフリーペーパーの編集会議。19半に時に帰宅して風呂に入って筋トレをしてこれを書いている。

壁画の資料を仕上げて寝る予定。図書館から借りているフーコーとフランツファノンの本は読んでおきたい。制作中の額をどう染めるかも検討中。

自然のもので着色する方法を調べると、木材を草木染めできる。その際、ミョウバンや鉄、銅などを主成分とする媒染剤を施すのがポイント。媒染しないと短期間で色落ちしたり発色しなかったりする、と分かった。

媒染には先と後の両方あり、染料や目的、素材によって変わる。自作できそうだ。とりあえず鉄媒染をやってみることにした。

1月15日(月)

窯神様をつけた炭窯。


朝6時30分に布団から出て薪ストーブに火をつけてコーヒーを淹れて餅を焼いて食べた。7時には炭窯へ。窯の前に杉の葉っぱと木片が用意してあった。燃やす前に去年からの改善点/反省点として、窯神様を炭窯に飾ることにした。窯神様は、宮城県出身で北茨城に住んでいる炭窯を一緒にやる師匠のひとりで木工を得意とする。60歳で定年したら好きなことをやると決めていた平さんは、木工技術の習得のために宮城県の伝統工芸である窯神様の木彫を学んだ。平さんが一昨年炭窯に窯神様を飾ってくれたのを使うという理由で去年外して、それから窯の調子が悪く、原因を窯神様不在のせいにした、という経緯。半分は冗談だけれど半分は本気。というのも窯神様を飾ってみると気合いが入る。窯神様に誓って失敗しないぞ、という気持ちになる。信仰とは他力本願ではなく、祈った責任を果たす自力の魔法かもしれない。

炭窯に火を入れて1時間ほどで師匠の有賀さんが現れた。去年の失敗を繰り返さないために発電機とブロアーを持ってきた。本末転倒のようだけど炭を作るために少しのガソリンを使って発電する。ぼくは極力それを避けていたがそのせいなのか窯の火が途中で消えるという失敗が起きた。なのでやれることは全力でやってみようというのが2024年最初の火入れ。

窯神様に祈った甲斐あって、細部まで気を配って窯に蓋をできた。窯は煙をもうもうと立ち上げている。

最近は何をしているか、と聞かれると炭焼きをしている、と答える。反応が面白い。多くはお金になるのか、と質問される。それに答えるなら、たいしてお金にならない。けれど炭焼きはぼくにとってはアート研究のひとつで、そのうち大きなリターンがあると信じている。期待ではなく、これも信仰みたいなことだ。つまりリターンがある結果に向かっていくように取り組んでいる。現時点でお金になるかどうかでやる/やらないを選択するのだとしたら、それは未来と過去を繋ぐ社会的な意義を放棄している。

現在という一点で判断するのはあまりに小さいし視野が狭い。現在という、しかもその一点の経済的な理由なんて、人類のことや、社会の未来、地球環境のことを考慮するなら、あまりにもつまらなく小さくないか? もちろんお金は必要。だからこそ、大きく未来に賭けたい。よりよい方向に視界が開けていくように。(興奮してしまった。この日記は淡々と起きたことを書くつもりだった)

夕方に薪風呂を沸かして、妻がフリマで買ってきたヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を読んだ。本はあとがきから読んでしまう。面白かったのは、ヘッセは長いこと庭なんかを触っているから、次元が低いという扱いだったとか。言い方が違っているかもしれない。つまり、田舎に暮らして土いじりしてる百姓だろ、みたいな感じだろうか。自分も田舎に暮らして炭なんか焼いているから共感する。

夜は、新作の額を作た鉄媒染で塗ってみた。まず端材でテストすると色が薄かった。調べると、鉄媒染と木材のタンニンが反応して黒くなるらしい。タンニンが足りない場合は紅茶を予め塗っておくといいらしい。紅茶を淹れて飲みながら額に塗って薪ストーブの周りで乾かしながら、ストレッチトレーニングをした。お酒を飲む代わりに運動する。運動すると思考が整う。あらゆる誘惑に抵抗するチカラが手に入る。人間が生きることとは抵抗運動なのかもしれない。

鉄媒染。紅茶の下地ありと無しの違い

運動したら炭窯が気になり雪が降るなか様子を見に行った。真っ暗。クルマのライトを頼りに確認すると窯の入り口が赤く燃えている。ライトを消して写真を撮った。窯の入り口から灰を掻き出した。これで明日まできっと大丈夫。

家に戻って額を鉄媒染で塗ると、紅茶が効いて黒く染まった。ついに塗料も自作できた。

1月17日(水)

朝7時に起きて、炭窯の様子を見てきた。煙を上げて燃えていた。コーヒーを淹れてお餅を食べた。今日は幼稚園の講座。ぼくら夫婦は月2回、幼稚園の造形教室の講師をやっている。龍をコラージュする課題を妻が考えたので龍の下絵を描いた。色を塗った。教室は5歳の子供たちができるように構成するのが課題。

作業をしていると、炭焼き師匠のひとり平さんが訪ねてきた。平さんは定年退職後、木工を勉強して窯神様を作るようになった。平さんは言った。

「70代も後半になるとやっぱり60代とは違うな。いろいろやるのが難しくなってくる。終わりの不安もあるしな。しかし実際自分が老人になって分かったよ。老後の不安ていうのは中学生みたいなもんだな。経験がないから漠然とした不安みたいな、ね」とてもなるほど!と思った。

今回の炭焼きは失敗したくない。窯を見にいくとき胸が騒ぐ。煙は上がっているのか。朝/昼/夕/夜/深夜。一日5回ほど窯の様子をみている。ムスリムは一日5回礼拝する。イスラム圏に行ったとき、その姿を見て、一日5回、自分が目指すことに集中すれば達成できると思った。まさにそれをしている。

1月18日(木)

頼まれていた土手の木を切った。田舎の人は木を切りたがる。田舎というか、ぼくが暮らす集落では大きな木は切ってしまえ、と言う。引っ越してきたときどうして大木がないのか不思議だった。木は枝を伸ばし広がって成長する。大きくなり過ぎると手に負えなくなる。そうなると大金を払って切ることになる。そうなる前に切った方が次世代のためになる。

道路脇の土手の木を師匠が方向を定めて切った。ところが予想とは逆の方へ倒れて、道路側の電線に引っかかって、跳ねて別の木に引っかかってしまった。道路を塞いでしまうので、大慌てで、落ち着いて!落ち着いて!と声を掛けながら、師匠は木を切って短くして緊急事態を回避した。ああ危なかった。怪我がなくてよかった。この集落の前世代では何人か炭焼き仕事で亡くなったと聞いている。窯を開けるのが早くて噴き出した炎に焼かれて死んだ、とか、木が落ちて喉に刺さって雪の降る朝に凍って発見された、炭窯に落ちた、など。

午後は安全に安全に。木を切ったら、枝を鉈で落として、丸太にして運ぶ。がしかし、土手の下から上に木を運ぶのがひと苦労。なので土手の下から上へと投げ、また土手の途中から投げて、道路へと搬出した。

炭焼きの仕事をしながらいつも感心する。枝も使うから捨てるところがない。無駄がない。きっと自然を利用してきた人間の姿がここにある。そして今どきそんな非効率な仕事もないだろうから、炭焼きは10年後、20年後には別の意義を未来に伝えるだろう。

1月19日(金)

すべては自分のペースで日々を運んでいるつもりが日記を書く余裕がなかったりする。時間は伸びたり縮んだりする。

「寒くて家から出たくないね」と平さんが言ったら有賀さんは「寒いから外に出て動くんだ」と答えたそうだ。80歳と74歳。炭焼き師匠の会話。

今日も昨日の続き。土手の木を切って運ぶ。昨日の反省で、慎重に安全にやりましょう、ということになった。木は枝の伸びている方、幹が伸び方向に重い方に倒れる。いつもだったら、すぐにやってしまうところを枝を落として軽くしてから木を倒した。午前中から友達が手伝いに来て合流した。同年代で炭焼きに興味を持つ人はいても実際にやってみようという人はかなり稀。そんな友達と80歳くらいになって炭焼きやっていたら楽しいね、と話した。

午後は1時間やったら片付いた。時間に余裕ができたので師匠に漆の木について聞いてみた。身の回りから作品をつくるシリーズで漆をやってみたいと企んでいる。漆に興味があるからどんな木なのか調べて特徴を覚えて探しているが、これだと断定できなかった。師匠はすぐに山に入ってあれかなこれかなと探してくれた。探してみるとないね、と言ううちに「これだ」と教えてくれた。がしかし、特徴が曖昧でほかの似ている木とぼくには区別がつかない。にしても山漆の木があることは分かった。

1月20日(日)

朝から大雨。8時ころ起きて、窯の様子を見に行った。まだ煙を出して燃えている。窯の様子を見に来た師匠・有賀さんがウチに寄った。薪ストーブにあたりながら、お喋り。むかし裏山に鉱泉が湧いていた話しになった。一昨年その池の水を採取して水質検査したけどただの泥水だった。がしかし、一旦溜まった水を全部出して、湧いてくる水で検査したら結果は違うかも、という話になって、師匠があそこは元々田んぼだから水が溜まっている土手を切れば水が流れるだろう、と教えてくれた。

諦めていたけど、また可能性が見えてきた。家の裏山に鉱泉あったら最高だろう。

去年展示した中学校のひのたてギャラリーから今年の取り組みの動画が送られてきた。今年展示しているアーティストたちが喋る動画だった。作家が中学生に向けて絵のこと、制作のこと、美大のこと、アトリエの様子などを伝えていた。生きている作家を中学生が知れるのは素晴らしい。

午後はバンドでリリースする予定7inchのアートワーク作業。まず絵を描くパネルを作る。

夕方、頭をクリアにするためストレッチと筋トレをした。そのあと、この日記を公開するための序文を書いた。そのあと、炭窯の様子を見に行った。まだ煙を出しているが、かなり薄くなってきた。今夜辺り窯を止めることになるかもしれない。

夜、壁画プロジェクトについてアートディレクターの友人とミーティング。そのあと21時、炭窯の様子を見に行く。

1月25日

昨年展示した水戸第一中学校の今年の展示を見に行った。中学校の教室ひとつを展示会場にする試み「ひのたてギャラリー」。学生は休み時間に鑑賞できるし、美術部は展示の手伝いもする。今年はグループ展で、作品の貸し出しもあったらしい。壁には家に作品を飾った学生のコメントが書いてあった。

夜、妻がアールブリュットの展示の映像を見せてくれた。映像では、既成の美術の枠の外で表現されるアールブリュット(生の芸術)と説明していた。妻が「既成の美術って何だろうね」と素朴な感想を言った。

1月26日

紙も顔料も額も採取して自作した。


今日はアイルランドに作品を郵送する予定。パピエマシェ(ヨーロッパの張り子)の師匠トム・キャンベルが、パレスチナへの寄付を集める展示を開催する。それに参加する。どうして戦争するのか。国家を個人の規模に縮尺したとき、誰かがぼくの持っているモノが欲しいとか、ぼくの能力を利用したいとか、あるいはそれは元々我々のモノだと関係ある/あった人から見返りを要求されるようなことだろうか。もしくは、先祖からの土地を巡る憎しみだとか。

だとして、平和のためにできることは、少なくとも他人のものを欲しがらないことだ。そもそも欲望はこの社会のなかで醸造され続けている。例えば身の回りを利用して生活することは、戦争の反対側にあると言える。それは過去に向かうことで採取生活の自給自足になる。けれどもそれを追求することが解決とは思えない。

ぼくはまだ新しい音楽を聴きたいし、毎日コーヒーも飲みたい。Netflixも観たい。それでもできるだけ欲望しないこと。略奪や搾取は社会に標準装備されていて、ぼくたちは知らないうちに暴力を作動させている。

1月30日(火)

北海道のプロジェクトでお世話になっている先輩から、看板のオブジェの修理を請け負っている。その作業に取り掛かった。ぼくたちはヨーロッパ式の張り子づくりの技術を持っている。送られてきた立体のオブジェも似たようなものだけれど、誰かが作ったものの修復はまた別の技術が要求される。とは言え、いつもモノづくりはどうやってやるのか、自問自答と技術そのものをつくることからスタートする。だからぼくらにとっては同じ。

妻が夕方の犬の散歩に一緒に行って楮を獲ろうと言った。楮は和紙の原料で、炭焼きの木を伐るために山に入ったとき師匠が教えてくれた。楮は桑の木に似ている。歩きながら、楮を探したけど、目当ての場所まで見分けられなかった。目当ての場所で楮を10本くらい伐採した。伐採してみると楮を見分けられるようになって、家の近くにも見つかった。

夜は薪ストーブで楮を煮た。楮は蒸すと皮が剥きやすくなる。皮を剥いておけば保存できる。

1月31日

薪風呂に入りながら本を読んだ。これがまさに日記を書く意味だし、生きるための芸術だ。

自分が何をすべきであったかを忘れている。真実を思い出す、忘れられてきた真実を取り戻すという問題。それを自分の内部にみつける。そのために都市から田舎へ引っ越す。それは修行生活であり自己鍛練でもある。それは自己を放棄するでもなく、現実を放棄するのでもなく、現実へ接近するために。何かするべき出来事に立ち向かう準備ができているか、確かめる、問いかけるために。
瞑想と鍛練。頭のなかの鍛練と、現実のなか身体の鍛練。思考と行為の鍛練。そのために書く。書き記すこともまた自己への気配り。主要な特徴として、読み返すために自分自身についてメモを取るとか、友人宛に手紙を書くとか、自分が必要とする真実を自分を再活性化する目的で記録を作るとか。
自分自身に気を配るために。自分自身に専念するのが遅すぎることは決してない。自分自身のなかに引きこもるために一日に短い時間を、もしくは数週間、数ヶ月とっておくべきだ。

ミッシェル・フーコー「自己のテクノロジー」抜粋/意訳





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?