廼亥

つぶやきに関しては、敬称略で失礼を。

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つぶやきに関しては、敬称略で失礼を。

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船上で起きた事件、手掛かりめいた断片的なイメージ。決定的な何かは曖昧なまま、どこまでが本気なのかが分かりにくい映像が入り乱れる。「そういうことじゃないのさ」と呟くように切れ目なく紡がれる言葉も、「まだ終われない間違いの中」と歌われることも、それらの全てがまるで不条理な夢のようで。

    • 距離的に遠く離れた場所を指し示す言葉が多く、しかし歌われる心理的距離はひどく日常的。文学的なまでの広がりは、音のポップさと、それにそぐわぬ言葉が持ち合わせる意味によって真意が掴みがたい。「1000年先まで伸ばした手で」という声が、軽やかに、けれどどこか厭世的に私の中で響き続ける。

      • 全編がほぼグレースケールに貫かれ、彼らと演奏者が動かずに演奏し歌うシンプルな構造。歌詞にはどちらかといえば音を吸収させる景色が並ぶが、「うんざりするよ」と歌う、その奇妙に素直な感情の吐露が不意に耳を打つ。鳴る音とは対照的なその歌詞世界の静けさを、映像の抑えた表現が浮き彫りにする。

        • 演奏家たちが後ろに並び、一人彼は座る。途中に入る演奏シーンはどこか異質で、白い世界で対面に座る女性に同じ題名の紙芝居を歌と共に紡いでゆくシーンとは奇妙な対比を見せる。ラストシーンの唐突さと終わり方は、綺麗にまとまった歌詞とは異なるインパクト。「傷つかないのだろうか」それは、誰が。

        船上で起きた事件、手掛かりめいた断片的なイメージ。決定的な何かは曖昧なまま、どこまでが本気なのかが分かりにくい映像が入り乱れる。「そういうことじゃないのさ」と呟くように切れ目なく紡がれる言葉も、「まだ終われない間違いの中」と歌われることも、それらの全てがまるで不条理な夢のようで。

        • 距離的に遠く離れた場所を指し示す言葉が多く、しかし歌われる心理的距離はひどく日常的。文学的なまでの広がりは、音のポップさと、それにそぐわぬ言葉が持ち合わせる意味によって真意が掴みがたい。「1000年先まで伸ばした手で」という声が、軽やかに、けれどどこか厭世的に私の中で響き続ける。

        • 全編がほぼグレースケールに貫かれ、彼らと演奏者が動かずに演奏し歌うシンプルな構造。歌詞にはどちらかといえば音を吸収させる景色が並ぶが、「うんざりするよ」と歌う、その奇妙に素直な感情の吐露が不意に耳を打つ。鳴る音とは対照的なその歌詞世界の静けさを、映像の抑えた表現が浮き彫りにする。

        • 演奏家たちが後ろに並び、一人彼は座る。途中に入る演奏シーンはどこか異質で、白い世界で対面に座る女性に同じ題名の紙芝居を歌と共に紡いでゆくシーンとは奇妙な対比を見せる。ラストシーンの唐突さと終わり方は、綺麗にまとまった歌詞とは異なるインパクト。「傷つかないのだろうか」それは、誰が。

          画面の中、彼がずっと通りを歩いているという形で映像は進む。背景が変わり、人とすれ違い追い抜かれ、コンタクトを取りただ過ぎ去り、歌詞を直接的に、あるいは間接的に表現しながら曲が進行していく。「唾を吐き 誓いたい! それに見合う僕でありたい!」自らの未来への、楽しそうな予感を携えて。

          画面の中、彼がずっと通りを歩いているという形で映像は進む。背景が変わり、人とすれ違い追い抜かれ、コンタクトを取りただ過ぎ去り、歌詞を直接的に、あるいは間接的に表現しながら曲が進行していく。「唾を吐き 誓いたい! それに見合う僕でありたい!」自らの未来への、楽しそうな予感を携えて。

          ドアの開閉とともに始まり終わるMVの、全編を通して貫かれるセピア色は、廊下とその先にある太陽が見える窓で歌い演奏する彼らと混じり合い、曲に不思議な余韻をもたせる。「抱きしめた痛みから 僕が解き放たれなくても」と歌う彼の持つ距離感は、その言葉が含有する弱さに浸らせない強さがある。

          ドアの開閉とともに始まり終わるMVの、全編を通して貫かれるセピア色は、廊下とその先にある太陽が見える窓で歌い演奏する彼らと混じり合い、曲に不思議な余韻をもたせる。「抱きしめた痛みから 僕が解き放たれなくても」と歌う彼の持つ距離感は、その言葉が含有する弱さに浸らせない強さがある。

          踊る女性と集まった人々と歌う彼。祈りの気配が色濃く漂うその場所で彼と彼女を繋げるものは、密やかに共有されたハイヒール。わずかにずれながら、後ろで繰り返し伸ばされ、縮められる多くの腕の映像は、交わらない彼と共に印象に残る。「今でもあなたはわたしの光」ただそれだけが、耳に響き続ける。

          踊る女性と集まった人々と歌う彼。祈りの気配が色濃く漂うその場所で彼と彼女を繋げるものは、密やかに共有されたハイヒール。わずかにずれながら、後ろで繰り返し伸ばされ、縮められる多くの腕の映像は、交わらない彼と共に印象に残る。「今でもあなたはわたしの光」ただそれだけが、耳に響き続ける。

          飲み込みにくい現実を、それでも歩いていくのだと自分の中で繰り返す。答えなどわかっていると突き放しながら、肯定しながら、「違う人になんてなれない」と理解しながら。色がないから風は隠して、そして許してゆくけれど、冬は白く立つから見逃してくれない。同じため息への、その着眼点が印象深い。

          飲み込みにくい現実を、それでも歩いていくのだと自分の中で繰り返す。答えなどわかっていると突き放しながら、肯定しながら、「違う人になんてなれない」と理解しながら。色がないから風は隠して、そして許してゆくけれど、冬は白く立つから見逃してくれない。同じため息への、その着眼点が印象深い。

          全体的に黄色味を帯びた色彩やどこか異質な背景が、違う世界を思わせる。歌詞にはなく、また歌詞の内容を俯瞰する形で腑に落ちるRPGという題名を、映像の初めから作り上げている点は、歌との融合という意味でお見事。「愛しいこの地球(せかい)を」と歌う声の湿度の低さが、個人的にはハイライト。

          全体的に黄色味を帯びた色彩やどこか異質な背景が、違う世界を思わせる。歌詞にはなく、また歌詞の内容を俯瞰する形で腑に落ちるRPGという題名を、映像の初めから作り上げている点は、歌との融合という意味でお見事。「愛しいこの地球(せかい)を」と歌う声の湿度の低さが、個人的にはハイライト。

          様々に光は当てられる。彼だけに、周りに、降り注ぐように、照らし出すように、あるいは掻き消すように。大勢の中の個、ただ個であること、あるいは誰かと共にある個。それらの背景が変わっても、彼はおよそ変化なく彼自身で在り続ける。歌の中の主人公のフラットな在り方と、交わるかのように。

          様々に光は当てられる。彼だけに、周りに、降り注ぐように、照らし出すように、あるいは掻き消すように。大勢の中の個、ただ個であること、あるいは誰かと共にある個。それらの背景が変わっても、彼はおよそ変化なく彼自身で在り続ける。歌の中の主人公のフラットな在り方と、交わるかのように。

          猥雑、を映像にするとこれに近くなるだろう。大人の夜を連想させる舞台を中心に撮影されている。主として4人が歌うが、誰が歌っているのかを明確に見せ、また紹介されるスタイルは、逆featuringの意味と併せ、大変ユニーク。「アンバランスで一途な 本能への危うい誠実さ」が印象に残る。

          猥雑、を映像にするとこれに近くなるだろう。大人の夜を連想させる舞台を中心に撮影されている。主として4人が歌うが、誰が歌っているのかを明確に見せ、また紹介されるスタイルは、逆featuringの意味と併せ、大変ユニーク。「アンバランスで一途な 本能への危うい誠実さ」が印象に残る。

          歌詞から想起される視覚的イメージは数多くの綺麗なものを含んでいるのに、その背景に絶望的な遠さを感じる。「自由の空は高く 僕には耳を貸さない」の言葉が耳に木霊し、激情を含みながらも節々にある潔癖にも似た公平さに虚を衝かれる。寓話的な全編アニメーションのMVが見つからないのが残念。

          歌詞から想起される視覚的イメージは数多くの綺麗なものを含んでいるのに、その背景に絶望的な遠さを感じる。「自由の空は高く 僕には耳を貸さない」の言葉が耳に木霊し、激情を含みながらも節々にある潔癖にも似た公平さに虚を衝かれる。寓話的な全編アニメーションのMVが見つからないのが残念。

          全部で3バージョンがある。全体の動きを余さず見せるダンス版、ほぼ止まらないカメラで歌い継ぐドラマ版、そしてダンスとドラマと、一枚の絵画のように統一感を持たせた全員が揃った場面を混ぜたもの。時々に見せる表情は切なさを表す。人数が多く、また全員が揃って見れることの貴重さを感じさせる。

          全部で3バージョンがある。全体の動きを余さず見せるダンス版、ほぼ止まらないカメラで歌い継ぐドラマ版、そしてダンスとドラマと、一枚の絵画のように統一感を持たせた全員が揃った場面を混ぜたもの。時々に見せる表情は切なさを表す。人数が多く、また全員が揃って見れることの貴重さを感じさせる。

          何かの映画を思わせる会議室の画面から始まる計画は、とても見事に虚構とリアルを対比させる。「誰も待ってないかもしれないけど」から、前半と同じく現実とリンクしたまま続く後半の展開、そして中心でありながら全てが他人事であった彼らの立ち位置を含め、幾重にも重なった物語として完成している。

          何かの映画を思わせる会議室の画面から始まる計画は、とても見事に虚構とリアルを対比させる。「誰も待ってないかもしれないけど」から、前半と同じく現実とリンクしたまま続く後半の展開、そして中心でありながら全てが他人事であった彼らの立ち位置を含め、幾重にも重なった物語として完成している。

          広い倉庫のようなところで、踊る姿がただ映し出される。後方からもたらされる柔らかな光と、自らの影と。そして裸足でとてもシンプルな白い衣装を着て大勢で舞い踊る、その姿は曲そのものより静かな佇まいを見せる。「理由なんて何も思い当たらずに 涙がこぼれる」その通りに、理由よりも雄弁に。

          広い倉庫のようなところで、踊る姿がただ映し出される。後方からもたらされる柔らかな光と、自らの影と。そして裸足でとてもシンプルな白い衣装を着て大勢で舞い踊る、その姿は曲そのものより静かな佇まいを見せる。「理由なんて何も思い当たらずに 涙がこぼれる」その通りに、理由よりも雄弁に。

          「窓ガラスに映った 大嫌いな自分が 疲れた瞳のまま泣いてた」という歌詞には、自己に対する距離の遠さと、自分を取り巻く絶望的な状況が描かれる。年齢を重ねるということが、大人になるということが、自らをこれ以上負の感情でも諦めでもなく、受け入れられるようになるということだと信じたい。

          「窓ガラスに映った 大嫌いな自分が 疲れた瞳のまま泣いてた」という歌詞には、自己に対する距離の遠さと、自分を取り巻く絶望的な状況が描かれる。年齢を重ねるということが、大人になるということが、自らをこれ以上負の感情でも諦めでもなく、受け入れられるようになるということだと信じたい。