中学生時代の保健室登校の経験

はじめに ちょっとした雑談

ついに沖縄県が梅雨入りしたというのを聞き、夏が本格的に近付いているというのをひしひし感じています。暑さが苦手な自分にとって、夏は来てほしくない季節No. 1(笑)ですが、美味しいものとクーラーを活用しつつ今年も何事もなく乗り越えられるようにしたいです。

しかし昨年はオンライン授業による課題やら何やらでだいぶ必死だったのか、気が付けば秋になっていたので、今年は夏を味わいつつも熱中症には気を付けながら過ごしていきたいと思います。では、ここから本題に入りたいと思います。

1 なぜ教室へ登校しなくなったのか

僕は中学2年生の1学期の終盤から2学期の終わり頃まで教室に行かなくなりました。理由は簡単です

人間関係に疲れてしまったからです。

中学に入ってから急に人間関係が難しくなり、段々メンタル的に無理を重ねるようになりました。その頃は家庭環境もあまり良くなく、家族にも八つ当たりするようになり、家の壁に穴を開けてしまうこともザラにありました。そして中2の1学期の終わり頃、決定的な出来事が起きます。

ちょうど梅雨も明けるかといった頃、それまで学校内では誰からも嫌われないよう、ある種のキャラの演じ分けをしていました。言ってしまえば誰から見ても思うように動いてくれる都合のいい人間と言ってもいいでしょう。そしてある日あるクラスメイトにこう言われてしまいました。

「お前、空気は読めるけどマジでキモイね」

この言葉まだ自分の中で非常に印象に残っています。これを聞いた瞬間自分の中で何かがプツンと切れました。気が付けばその生徒を突き飛ばし、殴ろうとしたところで数人の教師に取り押さえられました。当時の教師もびっくりしたでしょう。なんせ、それまで問題行動と呼ばれている行為の類は一切起こしていませんでしたから

その後は自暴自棄になり(演技をする必要もなくなり気が抜けたのでしょう)、1学期の終わりまで問題行動を起こすようになります。といっても授業を妨害するというようなことこそしませんでしたが、授業中も教科書すら出さず寝るようになったり、ある嫌いな授業は参加すらせず、抜け出して校内のどこかでくつろいだり

恐らく当時の教員の皆さんには人生で一番迷惑を掛けたと言っていいでしょう(笑)

なんせ授業に参加しないとすぐに情報が伝わるのか、いつも数人の教員が僕のことを探し回っていた状況で、思い出すだけでも申し訳なくなってしまいます(汗)

2 問題行動を受け止めてくれる教員との関わり

問題行動を起こすようになってから周りのことを考えなくてもよくなったため、ストレスから一気に解放されたような感じでした。ついには全ての授業に参加しなくなり、状況的には先ほども書いたように、授業を抜け出し校内で自由にくつろいでいると必ず誰かしら教員が僕のことを見つけ、

「今日はここにいたか~~笑」

色々パターンはありますが、こういった会話から教員との世間話がスタートします。教員も無理に授業に入れようとせず、あくまでも必ず誰かは僕に付くように言われていたのでしょう。日によって先生も違うので今日はどの先生が来てくれるんだろうという楽しみのようなものもありました。ある日はスクールカウンセラーの先生が来てくれたこともありました

話の内容は様々です。友人関係のこと、家の愚痴といったようなこと、本当に色んなことを話しました。先生のほうからも色んな話を聞けるので

「なんて楽しい時間なんだろう」といつも思っていました。むしろ話をするために学校に来ていると言っても過言ではありませんでした。

振り返ってみると当時の自分は誰かに構ってもらいたくて仕方がなかったんだと思います。家に帰っても喧嘩ばかりで何も楽しいことがない自分にとって、自暴自棄になったといっても学校はある種の居場所で、どの教員も一切嫌な顔をせず僕の話を聞いてくれました。そのあたりから大人を信頼するようになり、教員との関わりが一気に増えました

ある日いつものように授業を抜け出し、先生達と雑談をしていたとき、僕はあることを話しました。

「これ以上先生達に迷惑掛けるの嫌だし、俺もう2学期から学校行かない」

この頃になると迷惑を掛けているという罪悪感に襲われるようになり、再び自分の中で葛藤が起こります。お世話になっているからこそ迷惑は掛けたくないと当時の自分は思っていました。

今までの自分のことを話しました。キャラを演じ分けて都合のいい人間を演じていたこと、問題行動を起こしていたのは先生達に構ってもらいたかったからということも全て話しました。先生は何も言わず、僕の話をずっと聞いてくれました。

そしてある日担任の方からある提案を受けました。

「教室には無理に入らなくていいから、教室ではない別のところに通わないか」

そして夏休みが明け、2学期が始まるのと同時に人生で初めての保健室登校が始まります。

3 保健室登校の体験

学校自体には通っている状況ではあるので、不登校とは違うような感じではありましたが、2学期に入ると気持ちもかなり落ち着き、だんだん心の余裕もできてきました。この頃は保健室とカウンセラーの先生が居る場所を往復していて、自分でも必要最低限の学習(といってもサボり気味でしたが)は一応していたので、落ち着いた日々を過ごしていました。

この頃はよく保健室で養護教諭の先生と話をしていました。むしろ事実上の2学期中の担任のようなもので、怪我の処置等で忙しくない時はいつも色々な話をしていました。なんなら2学期の半分以上は話をしていた気がします(笑)あと結構な頻度で僕のことを気にかけてくれた色んな先生や、担任も話しに来てくれるので、孤立感も全くありませんでした。幸い僕の通っていた中学校は教育に熱心な教員が多かったので、そういった部分にも救われたと思っています。

そして3学期から再び教室に登校できるようになりました。理由は今でもあまりわかりません。ふと「教室戻るか」と考えたらいつの間にか教室へ戻れていました。トラブルを起こした生徒とも和解でき、ようやくある種のスタートを切れたと言っていいでしょう。こうして僕の3ヶ月以上に渡る保健室登校は終わりを迎えました。

最後に 自身の行動を振り返ってみる

今改めて振り返るととても恥ずかしい思い出(笑)ですが、問題行動を起こすことで、自分自身を押し殺さないように表現していたことが改めてわかりました

僕のように非行歴のない生徒が突然問題行動を起こすのを突発型非行と言いますが、当時は目の前を生きることに一杯一杯で、なかなか言葉にして表現をするというのができませんでした。その時の心の葛藤などが積もり、無意識に行動化という形で現れたのかもしれません。ある種のストレスのコーピング(回避)にも当てはまる気がします

僕の場合、きっと問題行動を起こしていなければもっと自分自身の状況は悪くなっていたでしょうし、問題行動をきっかけに自分自身のことを心の底から理解できた気がします。

そして自分が教員やカウンセラーと同じ立場として立ったときに、相談をされることは迷惑ではなく、むしろ話を聞いてくれる人というのは絶対に必要だということを改めて認識でき、より身が引き締まりました。

最後になりますが、コロナなどで様々な楽しみがなくなるといった喪失体験等、ストレスが溜まるような日々がまだ続くことが予想されます。

逃げることは絶対にダメなことではありません。心が叫びたがったら逃げても全然いいんです。自分自身はこの世にたった一つしかない、かけがえのない存在ですから。少なくとも僕はそう考えています。



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