記事一覧
羽衣の家 天女の巻 1-4 (修正版)
第一章 乙鶴
応安元年(1368年) 世阿弥(鬼丸)5歳
四、大和川
垣内{がいち}の庭での稽古を終えた鬼丸を含む七人の子供たちは、「川へ行く」と言って、結崎大明神の四社のひとつ、糸井宮の裏を抜けて北に進んだ。細いけれどしっかりした踏み跡が、子供たちの背丈より高い荻の原の間に続いている。
「この道からはずれると、はまると抜けられない底無し沼があるから、絶対荻の原に入ってはいけないよ。」
十歳のス
羽衣の家 天女の巻 1-3
第一章 乙鶴応安元年(1368年) 世阿弥5歳
三、垣内{がいち}の庭
翌朝未明のことである。垣内{がいち}のジイもその連合いの越前もまだ眠っていた。家の戸をそっと叩く者がある。耳聡く目を覚ましたジイが音もなくはね起きて戸口を窺うと、
「太郎です。」
と押し殺した声がする。土間に降りるのももどかしく、急いで突っ支い棒を外して男を中に招き入れた。
「こは如何に。直冬{ただふゆ}殿か。」
と遅れて起
羽衣の家 天女の巻 1-2
第一章 乙鶴応安元年(1368年) 世阿弥5歳
二、結崎{ゆうざき}
奈良の都から南へ四里と少し下ったところに、観世座の母体の結崎の郷はある。
万葉集に詠まれ、西行法師が「見渡せば佐保の河原にくりかけて風によらるる青柳の糸」と詠んだ佐保川は、奈良の都の中、東大寺の北を西に流れ、左に曲がって西大寺の東を南へ流れる。やがて都を抜けてさらに南へ下ると、初瀬川から続く大和川と合流して西へ流れるが、そ
羽衣の家 天女の巻 1-1
第一章 乙鶴応安元年(1368年) 世阿弥5歳
一、孺子応安元年(一三六八年)は室町幕府三代将軍足利義満の時代が始まった年である。
前年十二月に二代将軍義詮が亡くなり、嫡男の義満が後を継いだ。後に南北朝を統一し、今日までつながる和の文化の礎を築いた義満も、この時はまだ年が明けて数えの十一歳になる少年であった。そして義満のもとで能を作り出した世阿弥は、この年ようやく五歳ほどの童子であった。
三
羽衣の家 天女の巻 0-2end
序 2/2至徳元年(1384年)5月18日 世阿弥21歳
かたわらで見守る観阿弥を始めとする一座の者たちは、当然のことながら曲舞の構造を知悉している。ここまでは詞章の一句一句の流れ全体に、決まりの音律が乗っていく、いわゆる拍子に合わない謡であるから、言葉の巧拙に差異こそあれ、三郎ならずとも何とかなると思っていた。即興での所望を受けて観阿弥が逡巡したのはこの先である。
そしてここからが曲舞の本体
羽衣の家 天女の巻 0-1
序 1/2至徳元年(1384年)5月18日 世阿弥21歳
観世三郎(後の世阿弥)が謡い始めると、それまでの座興を楽しもうとするくつろいだ雰囲気が、たちまち厳粛なものに変わり見所の人々は襟を正した。場所は三保の松原近くの御穂神社の客殿、二三日降り続いた雨が上り、強い日射しに暑さが増した日の夕刻のことである。開け放った客殿に、風が心地良く吹き始めた。見所には、今は九州探題として太宰府にある駿河の守