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同窓会報

 先日、アルバムの整理をした。高校時代の写真には、友と肩を組み大笑いしている写真があった。

 それから数日後、同窓会報が届いた。ページをめくると、活動の状況や会計報告などと一緒に訃報の欄があった。

 数日前、写真の中で笑顔だった友の名がそこに書かれていた。同姓同名ではないかと思い、卒業年度(第何期卒業)を確認した。

 間違いない。その名は写真の中の笑顔の友の名だった。 

 彼と出会ったのは高校一年の時。高校を卒業しても会うことが度々あった。

 時間と言う流れの中でも、時間隔を開けながらあっていた。お互い、社会人になり、仕事についても、異業種でありながら、仕事の話をしていた。

 福島県のフリーアナウンサーと話をした時、「知り合いや親族が旅立った時の悲しみは計り知れない。その悲しみの1万倍以上もの悲しみが起きたのが東日本大震災。それほどの悲しみがあの地で起きたんです」と伝えてくれた。

 もう一度、アルバムの中の彼の笑顔を見た。
 この悲しみの1万倍以上、想像もできない。この悲しみだけで精一杯なのに。

「親しい人が死ぬということは、自分が変わる
だから、変わった自分が、なにを感じるかは分からない」
 養老孟司氏は言う。

 私は、どう変わるのだろうか。
そして、変わった自分は、なにを感じることができるのだろうか。

 どうか、もう誰も死なないで欲しい。

一人の友の死の悲しみだけでもこんなに深い悲しみなのに



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