いきなり余命宣告

父は余命1年の宣告を受けたとのことでした。胃がんステージ4、肺にも転移しており、手術は無理で抗がん剤のみの治療とのこと。また抗がん剤治療をしても、余命を2〜3ヶ月長くする程度。
突然の話で茫然とするばかり。この年の2月に母の一回忌を迎えようとしており、前年母を失った悲しみも少し薄れていた頃でした。いまだに、家内から報告を受けたシーンを鮮明に覚えています。

週末急遽実家へ帰省し、週明け月曜に私たちも父が診断を受けた病院に同行して、医師と今後の治療方針について話し合うことにしました。

父の余命宣告の話を受けた後、生きるとはなんだろうと考えました。母の場合は、突然の脳梗塞で倒れて、リハビリで日常生活を取り戻しつつある矢先に心筋梗塞で亡くなりました。
人はいつか死ぬとはいえ、唐突に亡くなるパターンもあれば、期間を区切られて亡くなるパターンもあります。

いろいろと考えたりしているうちに、ある本を思い出しました。
随分昔に読んだことがある水上勉さんの「生きるということ」という本です。内容はすっかり忘れましたが、「生きる」ということについて当時考えさせられました。
SNSとスマホが普及してからは、本だけではなくYouTubeやブログなどで情報が発信されています。
中にはバシャールなど地球外の存在からのメッセージもアップされています。そもそも人間がどうしてこの世に生まれてきて、何をしに来たのでしょうか。いろいろな考えが提示されています。
その考え方の一つとして、私たちはこの現生に生まれるにあたって、自ら自分が今回体験したいシナリオを書いて生まれてくるというものもありました。

しかし、自分がつらく厳しい立場に立たされた場合、本当に生まれる前の自分がそのようなシナリオを書くのでしょうか、と理解しがたい感情が伴いました。今はなんとか平静でいられたとしても、翌週月曜にダイレクトで医師から現実を突きつけられた場合、どう感情が揺れ動くのかわからないと思いました。
ただ、どのような内容であろうとも、事実を受け止めて自分が出来ることを探し、後は父の自由意思に任せようと決めました。そのためにも、感情を統御して自分が出来うるベストの行動を選択することを心に誓いました。

実家に到着すると、年末に帰省したときと違って微妙な感覚を受けました。

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