抗がん剤治療
実家を離れたのが1月21日、その後は電話で状況を日々確認しました。通っている病院では、抗がん剤の治療しか選択肢がありません。1月29日から2月3日まで入院し、そこで初めての抗がん剤治療に入りました。その後、3週間間隔で通院して投与する予定です。
抗がん剤はオキサリプラチンとTS-1という名称、説明書も普通の薬みたいな内容でした。
父は、煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と開き直っておりました。私は、暗く落ち込むよりは心構えとしてはよかったとその時思っておりました。ただ、母の一周忌が2月8日に予定されているため、1回目の抗がん剤治療の副作用が少ないことを祈るしかありませんでした。
入院前に父から聞いたところ、入院当日は血液検査だけ、抗がん剤投与は入院翌日からということでした。その後入院中も電話やメールでやりとりを続けました。
1月30日の午後抗がん剤投与が3時間に渡って開始され、投与後は心電図を測る装置をつけられたと言ってました。医師からは後遺症が出るとしたら翌日以降とのこと。
その時、父からのメールでは「後遺症が楽しみ」とあったので、まだ気持ち的に余裕があってほっとしました。さすがに会社を何回も潰しては立ち上がってきた精神力の賜物なんだと、息子ながら感心しました。
2月1日、浅草にある待乳山聖天(まつちやましょうでん)様を本尊にしている本龍院に行きました。遡ること3年前、母が脳梗塞で左半身付随の事態になった際にも訪れた場所です。
当時脳外科の院長からは、一生車椅子か、歩けても蟹歩きくらいしかできないと言われておりました。この時の浴油(よくゆ)祈祷にて、日常生活ができる程度まで回復することを祈願しました。
そのおかげか半年後の母の誕生日では、左腕が不自由ではあるものの、自力でトイレに行くことや、杖で何とか歩行できるまでに回復しましたので効果はあると信じていました。
そこで、今回は父のことをお願いしました。転移までしているため、寛解ではなく以下のお願いとしました。
「体内のがん細胞が縮小し、少しずつ身体が元気になり、寿命を全うすることを祈願します。」
退院予定の3日、弟から連絡がありました。父の胃の痛みが激しく、退院は延期とのこと。
父にメールしてみると、腹部がとても痛くて24時間の点滴を受けている、と返信がありました。私としては、病院にいるからまだよしとすると思うしかありませんでした。
この時、他人に対して対応できることはなんだろうかと考えて、以下の3つしかないと自分なりに結論づけました。
1 自分が直接対応する。
2 自分以外の人に対応を依頼する。
3 祈る。
離れている状態では 祈ることしかできませんでした。
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