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ストーマ閉鎖の手術から1年が経過した頃、10年以上住んでいた場所から引っ越しました。家内…
家内のケースは、かなり異例です。抗がん剤治療がないのは不幸中の幸いとしても、癒着の影響が…
6月は私たちにとって二つの特別な日があります。28日は私たちの出逢いの日、30日は家内の…
6月に入り家内の体調も安定したため、ストーマ閉鎖手術の日程が決まりました。手術日はこの年…
春、日本は桜の季節を迎えます。近くの公園では桜が咲くので、お酒とおつまみを持って夜桜を楽…
退院した翌日、家内が無事帰ってきた安堵感とこれまでの心労も重なり起床が遅くなりました。こ…
一日一日が経過し、口を含めた身体の穴から管が少しずつ外れていきました。慣れないストーマの着脱も看護師から学んでいきました。退院してもストーマのある生活に加えて、普通の食事も取ることはできないし、ストーマも一時的のため3ヶ月から半年後には閉鎖する手術を迎えます。 通常の生活に戻ることは夢のまた夢ではありましたが、まずは退院が第一の目標ということで家内は必死にリハビリをして、ストーマの着脱にも慣れるよう努力しました。 なんとしても早く退院するという強い意志を持って。 本来3月
病院に着いてナースステーションに問い合わせたところ、家内の携帯含めた貴重品を渡すだけで面…
事故を起こさないようスピードに気をつけました。慌てないつもりが、運転免許証を入れた財布を…
3月2日入院、4日に手術となりました。 コロナ禍のため入院、手術、退院の日以外の付き添い…
2月のはじめ、総合病院での検査が続きました。検査期間の間、家内とも複雑な心境で過ごしまし…
衝撃の出来事から1週間が経過し、組織の病理検査を聞く日を迎えました。先週の雨の天候とは違…
実家を離れたのが1月21日、その後は電話で状況を日々確認しました。通っている病院では、抗…
2月に母が亡くなってしばらく父は塞ぎ込みましたが、7月には精神的に落ち着いてきました。私たち夫婦も時折岐阜に帰っては、外食を共にしました。 父は肉が好きであり、行きつけの焼肉屋にはよく弟と行ってました。夏に帰省した際、初めていきなりステーキにも行きました。 名古屋に住んでいた子供時代、ステーキのあさくまという店に家族で月1回行っていたのを記憶しています。 その時から父は肉が好きだったんだな、と思い出します。 この年の夏、父から胃にピロリ菌があるため除菌を何回か試したがなかな