わずかな予兆

2月に母が亡くなってしばらく父は塞ぎ込みましたが、7月には精神的に落ち着いてきました。私たち夫婦も時折岐阜に帰っては、外食を共にしました。
父は肉が好きであり、行きつけの焼肉屋にはよく弟と行ってました。夏に帰省した際、初めていきなりステーキにも行きました。
名古屋に住んでいた子供時代、ステーキのあさくまという店に家族で月1回行っていたのを記憶しています。
その時から父は肉が好きだったんだな、と思い出します。

この年の夏、父から胃にピロリ菌があるため除菌を何回か試したがなかなか除菌されないという話を聞きました。ピロリ菌は胃がんの原因として有名です。この時は気にも止めなかったのですが、後になってこの辺りでわずかな予兆があったのかもしれません。ただ、胃の痛みは全くなかったようでした。
年末年始は、いつものように伊勢神宮に参拝した後に岐阜に向かいました。師走の30日、例によって父と焼肉屋でビールと焼肉を楽しみました。その時、父は少しお腹の具合が悪いと言いながらもビールは飲んでいたので、何も気にしませんでした。

父がお酒を楽しんだのはこの日が最後となりました。

帰省にあたり、母がいないため家内が父の好みに合わせておせちを用意しました。
ところが、大晦日から父はお腹の具合が悪くなり、翌日元旦では家内が準備したおせちやお雑煮をほぼ食べられない状態になリました。心配をしつつ正月2日には帰宅して、その後電話で連絡を取り合うことにしました。
父は正月休み明けにかかりつけの町医者に行ったところ、大きい病院で診てもらうように指導され、行きつけの中堅病院で検査をしたとのことでした。ただ、その病院でもはっきりした説明を受けられず、公立の病院を紹介されました。

父のお父さん、すなわち私の祖父は105歳まで生きました。父は末弟で当時はその上に何人もいる兄も健在だったので、家内は父の家系は長生き一家だといつも言ってました。父は若い時から体を使う仕事をしており、この時点でも公園の清掃と駐車監視員の仕事を掛け持ちしていたので、体力はかなりあると信じていました。そのため、大事に考えませんでした。

数日を経て、関西出身の方であれば絶対に忘れない日が訪れます。1月17日の阪神淡路大震災の日です。この日、後に私にとっても記憶に深く刻まれることになります。

この年は金曜であり、コロナ禍前なので普通に出社していました。夕方、珍しく家内から携帯に電話がありました。家内は、勤務中には余程の事がない限り携帯に連絡をしません。しかもメールではないので、尋常ではないと感じました。

折り返し家内に連絡したところ、想像もできない内容でした。

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