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せいぎとしんり・名は体を表す...のか

父の名前は「正義」、母の名前は「真理子」。

娘の名前は「純子」。

名前を付けるのは、とても神経がいる。と思っている。  言霊はある。と思っている。

父親は内弁慶外地蔵だった。家でのわたしへの暴力だけでなく、女癖も悪く、わたしが知っているだけでも4人いたので、きっともっといたのではないかと勘ぐる。わたしから見れば、父親のどこが良いのか解らないけれど、他所の女性から見ればイケてるメンズ、だったのかもしれない。うちは金持ちでは無い。持ち家もなければ、始終「うちには金が無い」と言っていた記憶がある。思い返せば、当時は「お前に使う金は無い」と言う意味だったのだと解釈している。今は本当に無い。しかも、呆けている。実は両親はまだ健在だ。父親は自分の妻の名前を忘れてしまうので、紙に「真理子真理子真理子真理子...」と書くけれど、目の前にいる妻を、昔の女の名前で呼んでしまう。

継母は世間体ばかり気にする人で、唯一早稲田大学の英文科を卒業して先生の免許を持っていることが自慢だった。英語を得意な事を自慢して、40年前当時珍しかった同時通訳の着いたTVを購入して、わたしの偏見とは思うけれど、これ見よがしに勉強していた。お陰でわたしは英語を聞くと頭痛がしたり、嘔吐してしまったりしたのだった。「私、料理も掃除も嫌いなのよ」と堂々と宣って、スーパーで買ってきた油でベタベタの揚げ物を食卓に並べ、カビの生えた風呂場をあまり気にしない人だった。

わたしと言えば、名前を「漢字でどう書くの?」と聞かれる度に、「単純の純です」と答え、「あぁ、純粋の純ね」と言われるのが、とても嫌だった。わたしのどこが「純」なのであろうか?と、いつもおろおろするのだった。

「正義」と「真理」という言葉は小学校で習う。世の中の正義と真理の使い方と、自分の知るその言葉が結びつかなくて、小さい頃から「正義」とは、「真理」とはと、こんがらがっていくつもコブの出来た言葉と意味を、頭の中で少しづつ解けてはいるものの、彼らと真っ直ぐに結びつかない事を、今では面白がっている。


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