のぎすみこ nogisumiko

1965年生まれ。30歳から美術活動をしています。作品や日常の事、過去や現在のあれやこ…

のぎすみこ nogisumiko

1965年生まれ。30歳から美術活動をしています。作品や日常の事、過去や現在のあれやこれやを書いていこうと思います。 「スキ」や「フォロー」して頂けると励みになります。 https://www.instagram.com/nogisumiko/

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最近の記事

あなたの「家族」とわたしの「家族」

何十年も前から 書いては消しを繰り返してきた 「家族」についての話しの ほんの断片 わたしには、26年共に過ごしてきた女性がいる。 親しい友人は知っているけれど、会ったことのある友人は少ない。 性的指向についてわたしはオープンだけれど、彼女はクローゼットだということも理由としてはある。けれど決定的だったのは、以前彼女の妹がわたしの名前を検索し、わたしの呟いたツイッターの内容を読んで、妹が姉、つまりは彼女に差別的な事を言ったらしく、その日実家から帰ってきた彼女はわたしの前で泣

    • みるちから

      ここ数年、美術館でも写真を自由に取って良い所が俄然増えた。SNSでどんどん美術館の宣伝をして来館者が増える事は、美術館側や作者にしてみれば、喜ばしい事... なのだろうか? 15年程前、友人がソロコンサートを行った際に、「どんどん写真や動画を撮って、宣伝してください」と、舞台上から言った時「おぉっ!すごいなぁ さすがだなぁ」と関心した覚えがある。当時はむしろ「演者を撮らないでください」と、携帯を掲げた人を制止しなければいけなかった。わたし自身、注意を促す側のバイトをしていた

      • 老害

        「老害」という言葉は好きな言葉じゃないから、使わないし忘れてた。 それでも、自分が無駄に年を重ねて「老」の文字に近づいて、他人事ともならぬ年になったのも事実。わたしも、そう言われてる可能性はあるだろう。 わたしは若い時、今よりもずっと生意気だった。今は生意気というのは、若者の特権だと思っているけれど、当時は何も考えずに、先生や先輩や上司に盾を突いて嫌われたりしながら、相手の器の大きさを測ったりしていた。それは、必ず順番が回ってくる。 50歳を過ぎると、自分は変わっていない

        • 重い手

          鶴岡政男の「重い手」の、実物を観た。おぼろげな記憶だけれど、小学生の時に美術の教科書で見たのが、初めてだったと思う。作者の名前も題名も覚えていなかったのに、絵だけはずっと忘れられずにいた。 東京都現代美術館へは、オラファー・エリアソン目当てで出掛けた。会場は大盛況で、携帯片手に「映える」事ばかりに精を出す観客に、早々に疲れそそくさとその場を後にした。作品を鑑賞するような雰囲気ではなかった。そして、その日のわたしには、足早で十分だった。 お陰で、その他の展覧会をゆっくりと観

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        • いまのわたしができるまで
          3本
        • 日常
          6本
        • 美術
          1本
        • 夢日記
          5本
        • こども
          3本

        記事

          ◯◯のために

          わたしは「◯◯のために」という言葉が嫌いだった。 人は自分の為に「何か」をやり続けた結果、誰かのために「たまたま」なっているのだと思っている。 なので、誰かにむかって「あなたの『ため』にやっているのだ」というのは、違うと常々思っている。思っている。 「誰かの為に『何か』をやれば、必ず自分に返ってくる」からやる。というのも、あまり好きではない。初めから見返りを求めるのは、どうもムズムズと気持ちが落ち着かない。そういうことを言ったり、実際に行ったり出来るのは、お金に余裕が無

          審査員

          わたしは、オーディション会場で審査員をしている。何のオーディションかと言うと、「犬のきぐるみを着た人達が『犬らしさ』を競う」という内容で、結構な応募者数がいる事に驚いた。そこで優勝した場合、映画なのかドラマなのか、舞台なのかイベントなのか...。いったい、どんなステージが待っているのかは分からない。 体育館のような場所に、満遍なく感覚をとった応募者達が、四つん這いになってスタンバっている。犬種というか、造作も様々で、本物に近い物から手作り感溢れる物、顔出しのマスクもあれば、

          みどりとあか

          4月の晴れた午後の柔らかな日が、心地よく大きな窓から差し込んでいる。カーテンは無い。12畳ほどの天井の高い部屋。家具は趣味の良いアンティークで、テーブルと椅子とキャビネット、それと大きな棚が置いてあった。わたしはそこで、5歳の女の子と二人で遊んでいた。 彼女は昆虫と植物の研究をしていて、虫を飼っている。5歳児ならすっぽりと入ってしまう大きさの、プラスティックのボックスには、彼女の言うことを聞くという蟻が飼われていて、その蟻を見ていたわたしに、「地球まるごとがアートなのよ」と

          メリーゴーラウンド

          昔見た夢のメモを、引っ張り出してきて読み直している。 「今、演歌歌手のCDを買うと、その歌手のヒット曲で回るメリーゴーランドがもらえる」。というキャンペーンの看板を商店街で見かけた。  CDショップのガラス窓に、写真が飾ってあるので近づいて見てみると、メリーゴーラウンドの白馬の上に、歌手のフィギアが乗っている。 「なんて魅力的なんだ! あぁ〜 石川さゆりも小林幸子もほしい」と、わたしの物欲がメリメリと刺激されていく。 店内では、前川清の「そして神戸」が流れていた。 と

          メリーゴーラウンド

          あかちゃんメリー

          ともだちの車に乗って、展覧会に行って来た。 昔は小さな町工場だったのだろうな、と一目で分かるような外観の、その2階にギャラリーがある。 鉄骨が剥き出しの内装は、本格的に改築した様子はなかった。重ねた年月には古臭さよりも、懐かしさの趣が勝っていて、展示されているものが、さらにそれを煽っていた。 既製品なのか作家が作ったものなのか、新しいのか古いのか... 一見しただけではわからないけれど、子供の欲しがりそうなものばかりで、そのどれもがカラフルで可愛らしい。 観客は、幼少

          あかちゃんメリー

          イベント

          「LINE交換しにきて」と言われたので鎌倉へ向かう。 立派な新築の庭を通って玄関手前で、ともだちがいそいそとペンキと塗装道具一式をわたしの目の前に置いた。 無言ながら、ともだちの目は「やってくれるよね」と訴えている。 「いやいや 聞いてないし 聞いてたらそれなりの格好で来るよ やらないよ」と、わたしが言うと。 とてつもなく暗い雰囲気を醸し出し始めたので、回れ右して来た道を戻った。 その途中「そういえば 面白いイベントがあったよな」と思い出し、時計を見ると13時の開催時間に間

          せいぎとしんり・名は体を表す...のか

          父の名前は「正義」、母の名前は「真理子」。 娘の名前は「純子」。 名前を付けるのは、とても神経がいる。と思っている。  言霊はある。と思っている。 父親は内弁慶外地蔵だった。家でのわたしへの暴力だけでなく、女癖も悪く、わたしが知っているだけでも4人いたので、きっともっといたのではないかと勘ぐる。わたしから見れば、父親のどこが良いのか解らないけれど、他所の女性から見ればイケてるメンズ、だったのかもしれない。うちは金持ちでは無い。持ち家もなければ、始終「うちには金が無い」と

          せいぎとしんり・名は体を表す...のか

          こどもおとな

          男の子と遊ぶのは楽しい。例えば口笛を吹けるようになるまで、1日中それだけをやって、ぐったりして眠ればいい。全ての子供がそうだとは限らないけれど、わたしと親しい友人の子だからか、そういう印象がある。もしかしたらこどもらが、しつこいわたしに付き合ってくれていたのかもしれないけれど、それは質問したことがないので分からない。 実は女の子と遊ぶのは苦手だ。わたしは女性だけれど、女の子との遊び方が分からない。女の子はそんなわたしを察してくれて、だいたいは勝手に一人遊びを始めたりしてくれ

          おとなこども

          わたしの血を継ぐこどもはいないけれど、いままでに、親しい友人のこどもの相手を頼まれることが何人も、何回もあった。 保育士免許も持たないわたしに頼むのだから、お互いに信用がなければいけないし、そう思ってもらえてることが嬉しい。 おむつ替えをしたり添い寝をしたり、離乳食を作ったりお風呂に入れたり、少し大きくなった彼らと、一緒にごはんを食べたり遊んだりする事は、本当に楽しい。共働きの友人に感謝しかない。 一時期忙しい友人の頼みで、頻繁に会っていた子には、特に思い入れがある。言

          じぶんのDNA

          こどもの頃に、「絶対に自分のDNAは残さない」と自分に誓って、それは守られた。55歳のわたしは独身で、子供もいない。 世の中を見渡せば、わたしと同い年で孫がいる人は少なくはないので、たまに不思議な気持ちになる。その不思議な気持ちが、どこからくるのかと言えば、やっぱり自分の過去を探っていくしかないのだなぁ、と思う。 わたしは父親から虐待を受けていた。わたしの生みの母は「鬼」だったらしく、よく「鬼の子」と言われていた。「手が痛いから」という理由で、棒状の物で殴られたり、包丁を

          ちっちゃいくん

          わたしはこどもに「ガン見」をされる。 年齢が小さくなればなるほど、よーく観察してくる。初めて遭遇する生物に強い興味を持つことは、とても良いと思う。いきなり触ってこないのも正しい。なので、もちろんこちらとしても、気安く触ったりしてはいけないと思っている。 「こどもに好かれるのね」とわたしにいう人がいるけれど、それはたぶん違うと思う。目を見て、「あぁ、こいつとはともだちになれないな」と思われているんだろうな、と感じることもある。もちろんわたしにも好き嫌いはある。それはお互い様

          わかいからだからなのか ③

          そもそも、何歳から「おばあちゃん」なのかと、ふと思う。先頭おばあちゃんの、「わたしなんて もう」の言葉の後に、「若い子には興味ないわ」「相手にされるわけもないわ」「恋愛には疲れたわ」「昔はすごかったんだから」「彼より若い恋人がいるんだから」と言葉を繋げて、なんだか一人の女性の人生を勝手に妄想したけれど、肉体はわたしよりも若い事は、体操を見ていれば分かる。もしかしたら、もっとすごいセリフが用意されていたのかもしれない。 若く美しくハツラツとした男性に引き寄せられて、自分の纏う

          わかいからだからなのか ③