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希望があれば。菜の花迷路のボランティア。 | 浪江の記録 #4

菜の花には、「小さな幸せ」「明るさ」といったポジティブな花言葉があるそうだ。確かに黄色の花を見ていると、何だかエネルギーが充電されていくように感じる。

わたしはこのGW中、菜の花迷路のボランティアをしていた。

震災2年後から、福島県南相馬市にある原町区萱浜地区というところで毎年開催しているイベントだ。
津波でご家族を亡くされた上野さんを筆頭に、福興浜団のみなさんが「悲しみしかなかったこの場所を、笑顔あふれる場所にして、天国の皆さんに安心してもらいたい。」そんな思いを胸に、菜の花迷路を作り続けている。

わたしはLifeという映画を機に、この場所のことを知り、昨年からお手伝いするようになった。

イベント期間中は、春の陽気の中というよりは、もう夏の日差しを感じるほど、連日快晴だった。(青々とした空を見上げて、空がとても広いと思った。広い海を眺めていると、自分の抱えている悩みなんかちっぽけなものだなと思うことはあるけれど、空なんかの方がもっと広いんじゃないかなぁ。)

菜の花畑はまるで黄色い絨毯が敷かれたようで、もう絵の具からそのまま色を塗ったような鮮やかさだった。さらには、今年は例年より早く大きく育ったそうで、156センチの私を超えるような高さの花もあった。普段スーパーで陳列している菜の花しか見慣れていないわたしは、あれがこんなに成長するのかとしみじみと驚いていた。

菜の花からはうっすら甘い香りが漂う。(日によっては堆肥と混じった独特な匂いで頭がやられそうになっていたが…笑)
その甘い香りに寄せられて、花の蜜を吸いにくる虫たちも多く見えた。普段は虫が苦手なのだけど、花畑にいるのは何だか妖精みたいだなざと思う、自分の都合よさにもちょっと笑けていた。

そして、天使たちが走り回っていた。そう、元気いっぱいに迷路駆け回る子ども達のことだ。こぼれるような笑顔で迷路を走り回り「こっちだよー!」とか、ゴールをした後に「やったー!」とハイタッチしてきたり。一緒に回る親御さんはへとへとにくたびれるくらいに元気だった。

子どもの純粋っぷりにときめきが止まらなくて、笑顔は本当に希望だなと思った。菜の花に負けない満開の笑顔をみていると、幸せのお裾分けをしてくれてありがとう、そんな気持ちになった。

"希望"を想像したとき、どんな情景が目に浮かぶだろうか。安っぽい、嘘っぽい希望が社会でぐるぐると回っているけれど、"希望"は自分がちゃんと想像できるもの、感じれるものじゃないかと思っている。

わたしの希望のシーンがどんどん更新されている。子どもたちのわんぱくさ、真っ直ぐな瞳。お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、カップル、カメラを持ってふらりと一人で。
大人になっても、子どものように無邪気に笑っている。子どもと大人の境界線は何だろうか、そう思ってしまうほどに。

そして、福興浜団の皆さんの想いが結集されたあたたかい場所にいること。そこで少しばかりお手伝いができたことは、とても嬉しかった。

自分にとって、原点回帰の場所でもあったから。生きる喜びと、苦しさと、悲しみと、それを乗り越える力。そして大切なひとを愛すること。
初めてこの場所を舞台にしたLifeという映画をみたとき、そんなメッセージをいっぱいいっぱい受け取った。
絶望の体験をしたとしても、人は希望を見つけ生きていくということ。

出会うタイミングは遅かったかもしれないけれども、この笑顔と希望があふれる風景を見て、これからもこの場所を守っていく一人でありたい。そう強く感じた、ゴールデンウィークだった。


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