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推し依存からくるTwitter依存が厄介

 この歳になって日々勉強だなって思うことが多い。私が精神的に全く成熟してないのは確かだ。

↑最近Twitterアプリをスマホから消したのだが、私は典型的な推し依存から来るTwitter依存だ。

 依存症っというのは思っていた以上に厄介で推し依存もTwitter依存も薬物やアルコール依存、ニコチンなどとほぼ変わらないということが分かった。
 あまりにもTwitter依存を簡単に考えていた。私は過去に毎日お酒を飲むことからほぼ禁酒に成功してるがお酒への依存度より今回の依存の方が厄介だ。

 私はまだ6日しか経過してないので依存を完全に治すことは出来てないが、Twitterのリスト化をしてから最初の3日間ほどで推し以外のTwitter関係の依存がほぼなくなった。映画、コスメ、美術、ファッション、ラジオ、も好きだったけどこれらにはそんなに依存してなかったみたいだ。情報がなくても大丈夫なのだ。

 そこから依存の根源は推し依存だと気づいた。推し依存から来るTwitter依存は6日目の今も治る見込みはない。常にイライラする。ここの面白いとこは実際そこまでのめり込むほど推しに依存してないと言うこと、推しのコンテンツなど見てないものも沢山ある。1回しか見てない、リアルタイムでほとんど追えてない。何に依存してるか?
 それはTwitterの中の推し活だ、だから結局Twitter依存なのだ。他人の発言や他人の推し活が以上に気になる、推しの他人からの評価も気になる、自分がいいと思ってるものが評価される気持ち良さ。←これって何依存なんだ?特殊な承認欲求なのかもしれない。もうこれは普通じゃない。

 推しが評価されないと推しの良さがわからないのか?推しは評価されなくても最高だと言うことはわかりきっている。どうして他と比べる?

 ↑これは私の仕事にも繋がってくる「あの人はこうだ」他人を評価し落とす、他人を意地悪な目で見てしまう。実際私はどうなのだ?

 私が今日驚くべき真実に直面したのが、1年間ちゃんとした作品を作ってないということだ。私がこの1年間したことは副業の管理者になり、細々した作品の発注、実験、構想のみだった。何も生み出してなかった。

 私は推し活で推しに現実逃避をし、自分の叶わない夢を推しに託していたのかもしれない。本当は自分がいろんな土地でいろんな人に自分の作品を見てほしい、トークイベントもしたい、ファンといえる人物に会いたい、海外で仕事がしたい。私はこの1年推しに全てを託していたのかもしれない。距離感がおかしかったのだ。

 最近「わたしは最悪。」と言う20代後半の女の子が見るような映画を見た、全くその時は共感できなかったけど。こんなセリフがある

「わたしの人生なのに傍観者。脇役しか演じられない」

 これは今の私ではないか、私はこの何年間主役の人生を生きてこなかった。主役は推しだ。

 実は、世界的に活躍してるメダリストのスポーツ選手と同じ推しを推している。
彼女は完全に主役なのだ。
 彼女が私のような推し依存、Twitter依存なんてしてるようには当たり前のように見えず適度な理想的なバランスで推し活をしている。忙しいはずなのに、行ける限られたライブにはちゃんと行く、でもそこまで確実にのめり込んでないことも分かる、自分の人生を1番に考えているからだ、いつでも推しから離れることの出来るような距離感、本当は世界を目指すなら彼女のような推し活をしないといけないのだ、私は推し依存からくるTwitter依存の繰り返し症状が出るたびに「彼女ならどうしてるだろう?」と自答する。

 きっと彼女はのめり込んだりしない、そんな情報気にしたりしない。自分のペースでオタ活をしている。

 私は彼女になったつもりで依存症を治したい。またいつか経過を書きたいと思います。



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