生活保護の金銭事情
こんばんは。
今日は就労移行支援へ。
行っても読みたい本を読書してるだけで行き帰りの歩きが運動になってて、本当に良い。
さて、僕が生活保護になったのは、
2022年の5月だったと思う。
原因不明の強烈な不調は鬱と言われ、
それにしてはものすごい不調で何度も救急車で運ばれる中で200万ほどの貯金はショートして、
いよいよ生活ができなくなった。
生活ができなくなっても生活保護があるからいいや〜、とは到底思えず、
最後の数百円になったところで役所の方々から説得される形で申請したのを覚えている。
これで立て直せして、とか、
ひとまず安心だからと口々に言われたが、
現実は全くそんなことはなかった。
僕の思う幾つかの要因を挙げると
1、生活費が足りない
2、差別は存在する
3、生活保護に頼ると他の機関の支援は止まる
この3つが主な要因だった。
1.生活費が足りない
これを上げるのは税金からもらっているのに、けしからん!とされそうだが、それも差別の一部と思う。
この2年間で少しずつ額が上がって1ヶ月で14万弱の金額が振り込まれるが、
まず僕は高額家賃という分類で58000円が無くなる。
53000円まで家賃は出るが、元々住んでいた部屋がこの金額で、残りの5000円を何とか生活費に当てようと何度も引っ越しを試みるも、
精神科へ通院していて生活保護の人間に貸してくれる大家はおらず、(自死の可能性があるからとのこと)
今年に入って、そういう人にも部屋を探せるように国窓口ができたが、自治体を超えての部屋探しはできない。
僕は病院の近くに引っ越そうとしたが、それが難しかった。
なぜ、病院の近くかというと、
自費治療の補助が出るからそうしようと思った。
今の病院は主治医は親切だけど、
問診と薬の調整がメインで、診察時間は10分程度、
それをカウンセリングという形で、生活指導や、問題解決まで一緒にやってくれる認知行動療法があったが、生活保護でそのお金を出すのが難しかった。
肝心の生活費は、
正直、かなり頑張らないと厳しい。
この2年半で、食費も物凄く抑えれるようになったり、全ての支出を節約して、
やっと生活ができるようになった。
通常なら贅沢とは言えない生活をしても、
足りなくなってしまう。
電気も何度も止まった。
その度にケースワーカーには嫌味を言われる。
電気が止まっても相談する事は無くなった。
2.差別は存在する
背中や首が痛く、殆ど眠れない日々を送っていてサウナや温泉に体を引きづりながら無理やり言って夜には少し良くなる生活を繰り返していた。
そんな中で、整形のリハビリに通うが、
年配の医師から、君みたいな若い人間が生活保護なんて信じられない!
働きなさい!と咎められた。
友達は離れていった。
生活保護である事は、誰にも言わないのがベストと知った。
今はプライバシーで家族に知らせなんかいかない。止められる。
その風潮さえ、水際対策だと思う。
3.他の機関の支援が止まる
フードバンクというので、食費を何とか抑えていた中でもちろんフードバンクは受けられなくなった。
社会福祉協議会や、役所の支援の窓口もケースワーカーがついたら、
その人に、、、と支援を断られた。
そのケースワーカーが国民があなたみたいな人許しませんよ!という人だったので、
救急搬送されようが、
入院しようが、
誰にも頼れなくなった。
そのような環境の中で、
生活保護になって、安心して療養できるかと言われたら、
経験した僕からすると、絶対にNoだと言える。
生きるのに精一杯。
寝たきりのご老人が使うには良い制度と思う。
僕と似たような環境のジリ貧の方がこれを読んでいるかも知れないので、
そんな僕が相当、生きやすくなるためにやったことを少し書くと。
まず、ボランティアを行った。
体調にも配慮してくれて、コメなども分けてくれたし、食事はそこで食べた。
その代わり全力で奉公して、
ボランティアリーダーから、表向きは正規雇用のスタッフになった。
そのボランティアの中でどんどん支援者を見つけて、電気やガスが止まっても何とかしてくれる人をたくさん見つけた。
2年経った今年は、
昔の知り合いと触れ合うようになって、
会うようになっていった。
あの時、あきらめていたら
こんなことはなかったと思う。
何度も、死んだ方がいいかも知れないと考えた。
その度に、食いしばって、
現状を拒否して、もがいた。
誰にも頼らず1人で生きようと、何度も思った。
でもいま、人がいることがこんなに楽なんだとわかってきた。
辛さには限度があって、
あまりにも過酷な状況の時は誰も近づけないけど、何となくよくなって辛さの深さが減っていくと、花がひょっこり咲くように方々で人と出会うことになる、、、そうらしい。
いや、きつい時に助けてよと、周りを責めたくもなるけど、
どうやら人間、そんなもんらしい、
わかったなら、少しずつでも、
一歩ずつでも今日を積み重ねてみる、
そんな気持ちです。
読んでくださり、
ありがとうございます。
共に生き抜きましょう。
おやすみなさい。