ただ生きているだけでいい
2021.10.26
私たちは、日々がんばりすぎじゃあないだろうか?
どうしてがんばるのだろう?
いつから、がんばることが当たり前に染みついたのだろう。
今朝も、もうちょっと寝ていたい・・・
という心の声を押し込み、今の時間と出勤時間まではあと何時間かなぁとか
洗濯機を回して、あれやってこれやって、やっぱもう起きるか・・・
となる。
今日のキーワード「ただ、生きているだけでいい」
このシンプルな考え方。
日常にもまれていると、とうていそうは思えない。というか忘れてしまうぐらい走っている。そして気づけば疲弊し「なんのためにがんばってるんだっけ?」となる。
わたしの好きな谷川俊太郎さんの詩に「朝のリレー」というものがある。
思いがけず中学生の息子の国語の教科書に載っていて、久々に読んだ。
この詩は、自分が世界各国の中の1人であることを感じさせてくれて
なんだか、そのとてつもない命の循環の中にいるような感覚と、
単純にきょうもどこかでは朝が来ていて、夜が来ている。
かぞえきれないくらいたくさんのひとたちの営みが同時進行していることにあらためて感動する。
そう、「自分だけじゃない、誰かも ”生きている” のだ。」
誰かのために頑張り続けている人が、今日もどこかで
「あー疲れた」と言ってるかもしれないし、
「よくがんばったね、今日もお疲れ様。ありがとう」と言われているかも。
そんなことはなんにも意識しないで、
起きたい時間に起きて、寝たい時間におやすみをする人もいる。
何が良くて、誰かがまちがってることなんてない。
私たちは、「ただ、生きている」
それだけがみんなに与えられた共通の財産であり、
それをどう使うかは、個人の自由なんだよね...本当は。
つまり、「どう生きるか」は生きている限り無数の選択肢があり、
どれを選ぶか?
何回選びなおすか?は、無限大に自由なのである。
その、自由には責任が伴うのだが、それについてはまたいずれ。
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