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不登校という言葉が嫌い

2021.10.14

北海道の朝が明るくなるのは、6時頃。

カラカラの体に、お茶を一口含むと胃まで染み渡る感覚がある。


毎日のニュースで知らされるたくさんの数字。

私は数字が好きではないので、パッと見ての評価はできない。

気になったのは、子供の自殺の記事の中で「不登校にならないように」という教育委員会の一文。

この一言で、”学校に行かないというのは悪いこと”のように印象付けられている。


私には、今まで見て見ぬふりをして来た

”学校に行かない選択をした子供たち”に対して、

あたかも”コロナ禍のせいで”子供たちが困っているように問題をすり替えているように感じられた。


”学び” というものは本来は好奇心から生まれる。

やりたいこと、もっと知りたいと思うことが教えてもらえるのであれば

学校以外でも学べるということを、大人たちがわかっていない

知っていても教えない


そこには、世間体だったり、新しいものに挑戦することへの不安のようなものが大人たちにはあり、だから子供達には一つの選択肢しか与えられない。


いくら「多様性」と謳っていても、

テレビでは毎日のように、お父さんとお母さんと子供たちというファミリー像が刷り込まれ、学校に行けば数字で評価され、進学することや卒業するまで1つの学校に通い続けることが当たり前でそれ以外は否定される。


本当の問題点はここにあると思う。


学校にいけない子供達が問題なのではなく、

それ以外の選択肢を与えられない環境、つまりは大人の問題なのだ。


今日のキーワード「まず、大人の世界を広げる」

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