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クリスマスな人生

クリスマスの為に生きていると言われても過言ではないほど私はクリスマスが大好きだ。雪が溶け、陽が長くなり、桜が咲き、春が来たばかりなのに確実に夏の兆しが近づく今、既に私の頭の中は今年のクリスマスの計画を練り始めている。小さかったあの頃より大人になった今の方が断然、クリスマスは楽しくて心が躍る。それは大人になっても童心に帰ることが出来るからなのかもしれない。

小さいころ、クリスマスの少し前には毎年サンタさんに手紙を書いた。年賀状を書くように母に催促されていたけどそんなことよりサンタさんに出す手紙が遅れたらどうしようだとか、無事に届くだろうか、サンタさんは我が家へどこから入ってくるのか、そんなことばかり心配して気になって過ごしていた気がする。書いた手紙は母へ渡し、絶対にサンタさんい渡してほしいと何度もしつこく伝えた。私がクリスマスを愛する理由の中にクリスマスから年末にかけての忙しなさがある。たった二日間のイブとクリスマスの為に世の中は数ヵ月前から準備に取り掛かり街中を色めき期間限定の化粧品やスイーツを出すがクリスマスが終わると次の日にはスーパーなどで雅な音楽と共にしめ縄や鏡餅が販売される。昨日までここにはサンタさんの靴に入ったお菓子の詰め合わせが置いてあったのに今日はお餅ばかり並んでいる。日本でしか見られない面白い光景だな、と感じるのだ。

私のクリスマス好きは友人からおかしいと言われるほど。確かに十一月頃になるとイルミネーションなどが点灯し始め心が躍り、今年はどんなクリスマスにしようか、誰に会おうか、きっとそれぞれの予定を立てはじめると思うが、私の場合は九月の末からクリスマスが始まる。あの心が色めき立つ行事がこの世でたった二日間しか行われないなんてもったいないと感じる。だから私は九月の末から部屋にクリスマス装飾をして、友人にメリークリスマスうと挨拶をし、仕事に行くときはクリスマスソングを流し、中でも浜田雅功さんと槇原敬之さんが歌うチキンライスを聴く。家ではホームアローンを見て、クリスマスの絵本を読み、ネットでどんなツリーを買うか探してオーナメントを買うのだ。チキンライスという曲は冬の我が家でよく流れた。あの曲の誕生秘話が大好きだ。真夏の沖縄、ホテルに閉じこもり相方の松本人志さんが考えた歌詞で、歌詞を見た槇原敬之さんは号泣していた。今でもCDが我が家にあるがとても大好きであの曲を聴くと、どの家庭でもどんな在り方でもクリスマスは特別なんだと改めて知る。

十一月になるとあちこちでクリスマス関連の商品が売り出され、毎年クリスマスコフレを見ては何かしら買ってしまう。雑貨屋さんやヴィンテージのお店ではちょっとリアルなサンタクロースの置物が置いてあったり、家具のお店では今年のクリスマスデザインのクッションカバーやオーナメントが売られそこで買い足し、ケーキ屋さんやデパ地下ではクリスマスケーキのチラシは必ず貰い、家に帰ってはゆっくり見てしまう。食い意地を張っているのではなく、ただ単純に心を躍らせたいだけでオードブルやケーキのチラシを見ていいなぁと思うのだ。私は十二月生まれなので誕生日にクリスマスにお正月とイベントが続き色めくどころか十二月はほとんど地に足がついてないのではないかというくらい浮かれている。楽しくてたまらないのだ。


クリスマスプレゼントを選ぶために街中へ何度も繰り出し、相手の顔を浮かべ、この人ならきっとこれをもらうと嬉しいだろうな、と考えている時間がとてつもなく幸せだ。誕生日のプレゼントとはまた違う感覚で家族や友達、お世話になっている誰かを想うその時間に価値がある。日本にはお歳暮という独特の文化があり、年々、お歳暮の数は減っているというけれど、それでも私はこの文化はなくなってほしくないなと感じる。誰かを想う時間というのは本当に大切で一年の締めくくりに思い返すその人は、きっとこの一年で限りなく自分を支えてくれた人なのだ。来年もその先も出来るだけ長くその縁を紡いでいけたらいいな、と思いながら私はプレゼントをする。


いつかクリスマスをドイツで過ごしたい。ドイツにはクリスマスマーケットというものがあり、そこはまるで夢のような世界が広がっている。ローテンブルクやケルン、ニュルンベルク、様々な地域で豪華なイルミネーションが飾られ、出店が並ぶ。当たり前だが行けないので現地で暮らす方々が上げている動画を見ながらまたそこで色めき立ってしまう。北欧で暮らしている方のクリスマス動画が大好きで、そこには豪華なクリスマスマーケットとは違い、ドイツの家庭で静かにゆっくりと時が流れるクリスマスがある。シュトーレンを切り分け年明けまでゆっくり食べて、ソーセージを作り、温かい暖炉に薪をくべながら過ごしている。どれだけ離れた異国の地でも家庭があり住んだことも生活したこともないその日々でさえなぜだか安心感がある。クリスマスは特別なものだからこそ大切な人とゆっくりとした時を共に過ごしたいという考え方はとても美しい。


私の毎年のクリスマスは家族と過ごすと決めている。友人との予定があつてもイブかクリスマス当日のどちらかは家族との時間にする。私にとって大切な人たちだからだ。家族は憎い時もある、許せず怒りに任せ強い言葉を放つ時もある。親子の確執や家族だからこそ解決できないこともたくさん、小さい頃は母の作るオードブルとケーキ、シャンメリーを囲みにぎやかに楽しく過ごした記憶がある。六人家族の我が家は賑やかでは済まないほどうるさかったと思う。大人になった今は母と買い出しに行き一緒にオードブルを作り並べ、プレゼントを渡し合い、そしてそこには姪っ子がいる。新しい家族が増えて更に賑やかに、でも昔のような騒がしさとは違い、この時間を来年もまた全員で過ごせるだろうか、と少しの切なさを感じている。


たった二日間のクリスマスが終われば年末が押し寄せてくるが私はこの忙しなさが大好きでクリスマスの延長戦だと勝手に思っている。母のおせち作りを一緒に手伝う時間も大好きだし、年末掃除で普段使わない筋肉が刺激されて起きる筋肉痛も大好きだ。

今日、職場で五月のゴールデンウイークについて予定をどうするかと話題が出た。その時、誰かが言った「今年が始まっても少ししたら半年経つのね。」という言葉に早いね、なんてみんなが話していたが私の頭の中にはクリスマスがそこまでやってきて来ている!グズグズなんてしていられない!という地に足がつかないふわふわしたあの高揚感だった。

今年はどんな飾り付けをしてどんなケーキを選び誰にプレゼンを買って最高のクリスマスにしようか、悩んでいるうちにクリスマスが来てしまう。


お気に入りのテーブルペーパー



クリスマスのクッションカバー


クリスマスの絵本


気合いを入れた装飾たち


昨年使ったクリスマスカード


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