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天才とは何なのか? 天才バレリーナの試練を描く『アラベスク』第1部(漫画感想)

漫画家・山岸凉子先生。
「日出処の天子」や「青春の時代」などの名作で知られる天才漫画家です。

天才は天才が直面する苦難を分かっているのか、山岸先生の作品は天才がよく出てきます。また山岸先生は少女時代にバレエを習っており、バレエ漫画をいくつか出しています。その一つが『アラベスク』

『アラベスク』は第1部と第2部に分かれており、1部は「りぼん」に掲載され、2部は「花と夢」。はっきり言うと、この1部と2部。違う漫画です。同じ世界線という設定なのですが、パラレルワールドに突入した?と思えるほど、主人公のキャラクターや世界観が異なります(ちょっとだけ)。

ストーリー

時は1970年台。当時はロシアではなくソビエト連邦が国として栄えていました。ソ連の隣国ウクライナ・首都キエフ(正しい表記はキーイですが、漫画の書き方に準じて表記)から、物語がはじまります。

主人公のノンナは母の影響で、姉とともにバレエを学んでいます。バレエ講師を務める母からは、姉に劣るとみなされていたけれど、ある日、バレエダンサー・ユーリに才能を見出されます。そして、彼の招きにより、ソ連のレニングラード・バレエ学校の生徒としてバレエの才能を開花させるのです。

「天才」こそ、本作のテーマです。

第1部上巻(白泉社)

本作のテーマは何かというと「天才」です。
もっと言うと、圧倒的な天才を前にした時、天才に及ばない人はどうなってしまうのかを描かれています。

主人公のノンナの人物像をもう少し解説していきます。
まずは性格。精神的に脆い部分を持ち、バレエ学校の生徒たちの実力の高さを前にして狼狽します。象徴的な行動は、すぐに逃げること。コンクール本番では舞台に出るのが怖くなり、こっそり逃げ出そうとします(最終的にユーリ先生に見つかりますが)。極め付けが、逃亡。愛するユーリ先生が自分を好きでないと勘違いしてしまい、故郷へ帰ろうとします。

しかも所持金が僅かなため、見知らぬ街に降り立ち右往左往。最終的に、世話焼きの女性に助けてもらい、事なきを得るのですが、めちゃくちゃ無鉄砲で世間知らずです。こんな非常識な行動ができるのも彼女が天才たるゆえんなんでしょうか。

それ以上の踊りができる天才

天才、天才と書いてますが、ノンナはどんなタイプの天才なのでしょうか。
作品の中で師匠・ユーリ先生は、映画監督レオ・リジンスキーとの会話の中で、このように語っています。

一度で完璧に踊れるということは おそろしいことだ
なぜなら・・・・そこまでだからだ
一度で完璧に踊れないものは 10回踊ろうとすれば10回努力する
(省略)
そしていつか要求したもの以上を踊ることになるんだ

『アラベスク』(白泉社文庫)第1部下巻より

つまり、ノンナはこちらの想像を超えることのできる天才というわけなんです。作中での彼女は常に困難に直面し、格闘し、乗り越えていきます。

イチローの名言を思い出しました。

努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。

天才は同業者の夢を諦めさせる残酷な存在

作中でノンナは3人の天才と相見えることになります。
1人目がバレエ学校の生徒マイヤ。
2人目がボリショイ・バレエ団のライサ。
そして3人目がパリ・オペラ座のマチュー。

不思議なことに3人ともノンナと役を争ったり、共演したあとバレエを諦め、別の道を進むことになります(3人目のマチューだけ意味が異なりますが)。
つまり天才を前にして、自分の限界を知るのです。
これは厳しい。
クラシックバレエという実力社会で、自分の居場所を見つけられなかった者、才能を伸ばしきれない者は、去ることを選択せざるえなくなります。バレエという美しいものの裏にある厳しい現実。
その世界で格闘するノンナの逞しさ。

過酷なバレエの世界を描いた『アラベスク』は、天才の "真の" 恐ろしさを凡人に見せつける(ある意味で)恐怖漫画でした。

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