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【連載#14】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜

第十四話 その手を握ればいいんだよ


 年が明けて、山形市内は一面の銀世界だった。
 青葉大学体育会男子バスケットボール部主将の菅野タケルは、大晦日のお昼過ぎに仙台市内の自宅アパートを出発し、広瀬通で高速バスに乗って午後三時前には実家のある山形市内に到着した。自宅へ向かう道すがら、空から白いものが降って来た。
 実家に着き、年越しそばを食べている間も家の外ではしんしんと音もなく雪が空から舞い落ちた。未明に雪は止んだが、翌朝、地面には15センチほどの積雪があった。タケルはゴゴゴゴと除雪車が雪を掃く音で目を覚ます。外はまだ薄暗く、もうひと眠りしようと布団を頭からかぶったところでスマホに着信があった。

 ユウタ
 いつもの神社で11時に待つ  

 タケルの中学からの友人であるユウタからのメッセージだ。それを確認したタケルは、スマホを枕元に置き再び眠りについた。
 目を覚ましてスマホを見ると、すでに10時を回っていた。寝間着にしているスウェットからセーターとジーンズに着替えて、ダウンジャケットに毛糸の帽子を被り階段を下りる。居間に行くと、タケルの母親がこたつでミカンを食べながらテレビを見ている。

「あけましておめでとう」
「ああ、おめでとう。まだ寝てたっけの?」
「ん。いまから出かけてくるから」
「昼ご飯は?」
「外で適当に食べる」

 タケルは玄関で冬用のブーツを履く。玄関を出て郵便受けに手を伸ばしかけたが、「あ」と小さく声を出してその手を引っ込めた。

 自宅から徒歩で10分ほどの距離にある小さな神社。山形市内で初詣と言えば薬師町にある護国神社がメジャーどころだが、タケルもユウタも混雑が苦手だったので、高校生になってからは毎年、近所の神社に行くことに決めていた。
 歩道は除雪されていないが、朝から参拝する人々の足で踏み固められ、歩くのに苦労はなかった。時折、雲の切れ間から差し込む日差しを受けながらボーっと歩いているうちに、目的地の神社に辿り着く。小さな神社とは言っても、お正月らしい飾り付けがされているため、地元住民が正月気分を味わうには十分な雰囲気を醸し出していた。
 参道の鳥居をくぐり、参拝の列の最後尾につく。目の前にはきちんと和装したカップルらしき男女が並んでいる。男性は背が高く、伸ばした黒髪にウェーブがかかっている。女性は小柄で、薄く茶色がかった髪を後ろでクルっと綺麗にまとめていた。二人とも防寒用の羽織に大きめのストールを巻いている。タケルの気配に気づいた男性が振り向く。

「あ、タケじゃん。あけおめ」

 黒縁のメガネをかけた色白の美男子は、待ち合わせ相手の山家やんべユウタだった。

「おお、あけおめ。びっくりしたわ。目の前にいるなんて」

 二人のやりとりに、連れの小柄な女性も顔を向ける。タケルのバスケ部の後輩でマネージャーの山家ミドリだ。傍から見れば美男美女のカップルだが、実態は仲の良い兄妹きょうだい

「タケちゃん、あけましておめでとう!」
「おめでとう。おいミドリ、タケちゃんって呼び方、学校では絶対やめろよ」
「そんな心配しないでよ。今までそう呼んだこと一回もないでしょ?」
「まあ、それは確かにそうだけど……」

 三人はそろって参拝を済ませ、地元の町内会で振舞っている甘酒を飲んで体を温めた。

「しかしユウ、正月から兄妹で初詣とは仲がよろしいな。しかも着物で」
「いやあ、ミドリがどうしても二人で着物を着たいって言うもんだからさ」
「おにいだって嬉しいでしょ。正月から可愛い妹と一緒にお出かけできるなんてさ」
「このブラコン、シスコン兄妹が」

 ユウタとミドリは二人兄妹で仲が良い。それはタケルが二人と出会った頃からずっと変わらない。二人の様子を見る度に、この世には自分とは全く違う家庭環境が存在するという事実を思い知らされる。

「ユウ、これからどうする? どっかで飯でも食うか?」
「タケちゃんが良ければ、うちでお昼ご飯でもどう? うちの両親も出掛けてるから、気を使わなくていいし」
「そうそう。久しぶりに三人で杯を交わそうではないか」

 答える間もなくユウタとミドリに両側から捕らえられたタケルは、そのまま山家家へと連行された。

「それでは、今年も良い年になりますように。乾杯!」

 普段着に着替えた山家兄妹は、リビングにおせち料理とお雑煮を並べ、山形の地酒で乾杯した。

「んで、タケは彼女できたのか?」

 ユウタはノーモーションから切り込んできた。タケルは口にしていた日本酒を吹き出しそうになる。

「ああ、それはまだだよ」
「ミドリ、勝手に答えるな。まあ、それは事実なんだけどさ」

 タケルはグラスに入った酒を置き、数の子の箸を伸ばす。

「ああそうだ。アヤノさんとはその後どうなってるの?」
「え、誰よ、そのアヤノさんって?」
「バスケ部のコーチをやってる大学院生」
「うわあ、年上のおねえさんか。どんな人?」
「あのねえ、背が高くて色白で、いっつも黒い服着てるの。めっちゃバスケ上手くて、マシーンのようにスリーポイントを決めるんだよ。キャラ的にはツンデレなのかな? わたしも一回サシでお食事しただけだからなー」

 タケルが口を挟む隙もなく山家兄妹の会話が進む。

「ちょっと待て。おれを抜きにして話が進むのおかしくないか?」
「ああ、ごめんタケちゃん。じゃあ、ご本人の口からどうぞ」

 ミドリが手の平を上に向けてタケルに差し出す。

「どうもこうもないず。素敵な人だとは思うけど」
「いやいやいやタケちゃん、それじゃあ話が進まないの。タケちゃんもアヤノさんのこと好きなんでしょ?」

 タケルは腕を組んで考え込む。ミドリが言う『好き』は、嫌いじゃないという軽い意味ではなく、恋愛対象としての『好き』なのだろう。それくらいタケルにも理解できた。

「アヤノさんのこと好き……なのかな?」
「タケ、もうちょと飲まっしゃい」

 ユウタがタケルのグラスに酒を注ぎ足す。タケルはその日本酒をクイっと飲み干した。アルコールが体を温め、だいぶ気持ちも緩んできた。

「アヤノさんは気を遣ってくれているんだと思う。ほら、妹の、レミのことがあったから」

 タケルの言葉にユウタとミドリの表情がほんの少し暗くなる。

「アヤノさんには話したのか? レミちゃんが亡くなったこと」

 タケルは小さく首を横に振る。

「家族以外で話したのはユウタとミドリだけ。ゼミや部活で言う理由もタイミングも無いから」
「そうか。確かに自分からすすんで話すことでもないしな」
「でもアヤノさんはおれのちょっとした変化に気がついていた。だから声をかけてきたんだと思う」

 タケルの話を聞いたミドリが眉をひそめる。

「あの、タケちゃん。わたし、アヤノさんに余計なことを言ったかもしれない」
「余計なことって?」
「タケちゃんが気落ちしていると思って、そっとしておいて欲しいって言ったっけの」
「ああ、そうなんだ。でも、気にしなくていいと思う。年末に食事にも誘ってもらったし」
「ならいいんだけど。アヤノさんはやっぱりタケちゃんに好意があるんだと思う」
「でも、おれはそれに対してどう応えればいいか分からない」

 ユウタは空になったタケルのグラスに日本酒をなみなみと注いで言う。

「アヤノさんは手を差し伸べている。素直にその手を握ればいいんだよ」
「そういうものかな……」
「そうだぞ。昔からタケは考え過ぎなんだず。もっと本能のままに手を握って、グッと引き寄せて、抱きしめるんだ!」
「それはお兄のやり口でしょうが。そうやっていろんな女に手を出してんでしょ? いかがわしい」

 三人ともだいぶ酔いが回っていた。山家兄妹のやり取りを見ているうちに、タケルはアヤノの好意に対して、素直に、そして真摯に応えなくてはならないと思った。

「じゃあ、次はタケちゃんがアヤノさんを誘う番だね。もう、今から連絡して誘っちゃいなよ!」
「相手の好意に甘えてばかりじゃダメだ。愛想つかされてからじゃあ遅いんだからな!」

 山家兄妹と酒の勢いに押されてその場で通話ボタンを押しそうになったタケルだが、そこは思いとどまり、山家家からの帰り道、歩きながらアヤノに連絡した。
 年頭の形式的な挨拶を済ませ、タケルは仙台に戻ってたら一緒に出掛けたいことを伝える。お互いの予定を確認して、週末の土曜日、午後から会うことが決まった。

「いろいろ考えました。それをアヤノさんに伝えたいんです」

 アヤノは『はい』と短い返事をする。二人は少しのあいだ電話越しに沈黙し、タケルが最後に「じゃあ、また」と言って通話を切った。
 
 自宅に戻ったタケルは自分の部屋のベッドに横になり、アヤノとどこに出かけるか、そしてアヤノに何を話すかを考えた。
――レミのこと、きちんと話さないと――
 そう心に決めたタケルは睡魔に襲われる。意識が遠のき、体がスウっと大きな穴に落ちていくような浮遊感の中で眠りについた。
 

 
第十五話につづく

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。