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【連載#1】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜


【あらすじ】
 大学三年の秋、青葉大学体育会男子バスケットボール部の主将になった菅野タケルはコーチの人選に悩んでいた。そんなある日。
「私が教えてあげる」
 そう言い放ち、コーチに志願したのはタケルと同じゼミに所属する黒づくめの服に黒髪のロングヘア、色白で長身の大学院生、中村アヤノだった。
 杜の都・宮城県仙台市を舞台に、大学バスケ部の男女が織りなす、ちょっと真面目、だいたい緩めな日常を描く物語。


 第一話 私が教えてあげる

 
 夏の陽射しがかげりを見せ、高い空が秋の気配を感じさせる十月初旬。もりの都・仙台市青葉区にある青葉あおば大学文系キャンパスの隅に建てられたニ階建てのプレハブでは、経済学部三年生以上が所属するゼミが行われていた。学生の本分は学業。経済学部経営学科三年の菅野かんのタケルはそのことを十分に理解しているつもりだ。その証拠に、タケルは真面目にゼミに参加し、研究テーマであるマズローの五段階欲求論の分厚い本を眺めている。そう、眺めているだけで読んではいない。文字の羅列をボーっと眺めているのには理由があった。彼は悩んでいるのだ。

「おや、タケルどの、ずいぶんお悩みのようですな」

 ゼミの休憩時間に、友人の中嶋なかしまがタケルに声をかける。

「ああ、部活のことでな。コーチを引き受けてくれる人が見つからなくて困ってる」
「ほうほう。タケルどのはバスケ部でしたね。それがし、バスケにはうといのですが、スポーツにおいてコーチの存在は非常に重要であることは理解しております。専属のコーチを雇ってはいないのですね?」
「私立ならそういうこともあるけど、うちみたいな公立は、全部自前でやらんといかんのだよ」
「はあ。それは難儀ですな。それがしは、良い人が見つかるよう祈るだけです」

 しかし、天に祈ったら空からコーチが舞い降りるなんてことは起こり得ない。タケルの悩みは出口の見えないトンネルのようだった。
 秋の大会で四年生が引退し、この秋からタケルたち三年生がチームの最上級生となった。そして、タケルは自ら志願してチームの主将キャプテンに就任した。タケルが所属する青葉大学体育会バスケットボール部では、伝統的にチームの主将が部の運営を代表する部長を務めることになっている。
 タケルが主将になった理由。それはもちろん、生まれ持ったキャプテンシーを活かし、部を全日本学生選手権=インターカレッジに導くため、というのは嘘だ。いや、前文のうち半分が嘘、というのが正しい。インカレに出場することはバスケ部の最大の目標であり、タケル自身もインカレに出たいとは思っている。しかし、タケルのメンタリティは、お世辞にも主将に向いているものとは言い難かった。彼は人見知りで、人前に出ることが苦手で、アウトドアよりもインドアが好きで、女の子が苦手で……。人間を二つに分類したならば、間違いなく『陰』側の人間だった。
 そんなタケルは大学三年の秋、思うところがあって主将になろうと決意した。
 自分を変えたい。
 それはタケルがその年の夏に経験した個人的な出来事に端を発した決意だった。人生は、いつ、どこで終わりを迎えるか分からない。誰かの分まで生きることなんてできないが、せめて、自分の人生くらいは前向きにきちんと生きてみたい、とタケルは思っていた。人前に立つことで内向的な性格が改善し、周りにチヤホヤされる楽しい人生が切り開かれる可能性もゼロではない。もしかして、素敵な彼女ができてしまうなんてこともあり得るのではないか? タケルの妄想は膨らむばかりだった。
 しかし、主将兼部長になったタケルが最初にぶち当たった現実的かつ可及的速やかに対応しなければならい問題は、新チームのコーチを決める事だった。例年、コーチはバスケ部のOBに頼むことが多いが、今年はコーチを引き受けてくれるOBが見つかっていない。こうなると、三年生の誰かにコーチを引き受けてもらうことも考えなければならない。しかし、三年生はチームの主力ばかりで一人欠けると戦力が大幅にダウンする。そうならないよう、タケルは部長としてコーチを探す責任があった。
 タケルがそんなことを考えている間に、いつの間にかゼミが終わっていた。タケルはゼミが終わったことにも気づいていなかった。もう、ゼミのメンバーの大半は帰ってしまっている。中嶋もすで姿を消していた。自分自身に飽きれながらゼミ室を出ようと席を立ったとき、タケルは不意に声をかけられる。

「菅野くん。ちょっとお話があるのだけれど」

 声をかけてきたのは、ゼミに参加している中村アヤノだった。アヤノはゼミの担当である山本教授の研究室に所属している大学院生。黒髪のロングヘアー、色白、細身で長身。口数が少なく、ゼミでの発言はほとんどないが、銀縁メガネからのぞく切れ長の目で周囲をけん制し、ともすればダレ気味のゼミに緊張感を与える存在。今日もいつもどおり、黒づくめの服で身を包み、なんとも形容し難い、独特のオーラを放っている。 
 ゼミでの呆けた態度が彼女の逆鱗に触れたのだろうか? タケルは恐る恐るアヤノに聞く。

「あのー。話って何でしょう?」

 怯えた表情を浮かべるタケルに対し、音も立てずにスウッと立ち上がったアヤノは、ゆったりとした口調で話し始める。

「今日、部活、見に行ってもいいですか?」
「え、部活って、バスケ部の?」
「はい。駄目ですか?」
「いえ、あの、別にいいですけど」
「じゃあ、お願いします」

 やぶから棒。青天の霹靂へきれき。タケルの困惑をよそに、アヤノはすでにトートバッグを肩にかけ、タケルの出発を待っている。タケルも急いで荷物をバッグに詰め込む。
 ゼミ室を出ると、まだ夏の余韻を残した西日が二人を強く照らす。アヤノは大きめのトートバッグからレースの付いた黒い日傘を取り出して広げた。二人は経済学部棟がある文系キャンパスから、体育館のある北キャンパスへと徒歩で移動する。体育館に行く途中、北キャンパスの生協を過ぎるあたりで、タケルのバスケ部の同期で副主将の古川ふるかわトモミと行き会う。

「お、タケル、お疲れ。あの、その人は?」

 身長190㎝を超える巨体の古川は、頭を深々と下げてアヤノに挨拶し、アヤノも会釈を返す。

「同じゼミの大学院生。中村アヤノさんだ」

 ふーん、と言って二人の様子を眺めた古川は、少し腰をかがめ、タケルの耳元でささやく。

「一応聞いておくけど、彼女か?」

 唐突な質問に、タケルはたじろぐ。

「んなわけねえだろが。お前、そういうところだぞ。おれに彼女ができるような予兆があったか?」
「だから『一応』って言った」

 二人の会話にアヤノは何の反応も示さず歩き続ける。三人は体育館に到着し、入り口に設置してある背丈ほどの大きな下駄箱に外履きを入れ、メインフロアへ続く通路を抜ける。メインフロアはバスケットコートが2面あり、この日は週に一度、男子バスケ部と女子バスケ部が同時に練習を行う日だった。
 男子バスケ部も女子バスケ部も、すでに数人がコートに立ち、各々シューティングを行っていた。
 「チーッス」とタケルが挨拶すると、コートからも同じように挨拶が返される。古川も同じように挨拶したが、古川の後ろから体育館が似合わない黒づくめの長身女性が現れると、コートが急にザワつき始めた。ザワつくのも当然、と思いながらコート脇に荷物を置き、着替えをしようとしたタケルに、一人の女子バスケ部員が全力で駆け寄る。

「おい、タケル。アシンメトリーのスカートにシンプルなフロントボタンシャツ。タダ者じゃない感がジュワっと溢れるあの謎めいた美女はいったい誰だ? モデルか? はたまた、新手の英霊サーヴァントとか?」

 声をかけたのは、三年の女子バスケ部主将、小笠原おがさわらノアだ。

「ですよねー。誰? って感じよねー。まあ、英霊サーヴァントというよりも、魔術師マスター然としているがな」

「いかにも。黒の魔術師。あ、当然、彼女じゃないよね」

「断定的な物言いに傷つきましたよ、僕。まあ、実際、彼女じゃないけど。同じゼミの大学院生。理由は知らんが、見学したいみたいだ」

「ふーん。目的は一体なんだ? ハッ、まさか……バスケ部の男子を誘惑して人間関係をぶっ壊し、その様子を見てほくそ笑むという、悪魔的所業を目論んでいるのか!」

「ノア、お前、普段どんなマンガ読んでんだ? 女子部のこれからがとても心配だぞ」

「あたしは大丈夫だ。なんつっても、無言でチームを引っ張るカリスマ的なプレーが持ち味だからな!」

 確かに、ノアの野性的な得点能力は特筆すべき点だが、バスケの上手さと部の運営は別物だ、とタケルは思う。

「あいあい、わかったよ。わあったから、早くあっち行け」

 ノアとの面倒な絡みをやり過ごしたタケルは、練習着に着替えてバッシュの紐を結ぶ。練習開始時間になったことを確認し、センターサークルに部員を集合させ、掛け声とともに練習を開始する。ランニングから始まり、ストレッチ、フットワーク、ランニングシュート、ツーメン、スリーメンといった基礎練習から、オールコート3対2、ハーフコート3対3、最後にゲーム形式の5対5で練習は終了。練習開始直後はマネージャーと話をしていたアヤノは、しばらくするとコート脇に座って練習を見学していた。
 全体練習終了後、各自がシューティングを行っている時間にタケルは古川と一緒にアヤノに歩み寄る。今は立ち上がってコートを眺めているアヤノの横顔にタケルが問いかける。

「あの、アヤノさん。今日はどうして練習を見に来たんすか?」

 アヤノは真剣な眼差しでシューティングの様子を見ていたが、声をかけられてタケルに顔を向けた。向かい合ったタケルは、自分より背が高いと思っていたアヤノが、自分よりも背が低く見えることに気がつく。いつもはヒールのついた靴を履いているからだろうか。タケルの視線に気がついたアヤノは、少し目を伏せ気味にして話し出す。

「菅野くん、今日のゼミの休憩時間にバスケ部のコーチの話をしていたでしょう?」
「ああ、はい。コーチを探している件ですよね」
「そう。私、心当たりがある」
「え、今なんと?」
「バスケ部のコーチをやってくれる人に、心当たりがあると言ったの」

 それを聞いた古川が反応する。

「マジっすか? あの、是非紹介してもらえませんか」

 古川にわれたアヤノは自分の顔に向けて人差し指をピンと立てる。

「ん、内緒、ですか?」

 アヤノは小さな頭を左右に振る。

「違う。私」
「わたし?」
「バスケ部のコーチ、私でどうかと」

 タケルは思わず隣にいた古川の顔を見上げる。と同時に古川もタケルの顔を見下ろしていた。

「ええっ!」

 自分たちが思っている以上に大きな声を出した二人に、フロアに居た全てのバスケ部員の視線が集まる。

「アヤノさんが、バスケ部のコーチに?」

 狐につままれたようなタケルと古川の表情を見たアヤノは、切れ長の目をさらに細め、口の両端をほんの少し上げて言う。

「そう。私が教えてあげる」

 唐突なアヤノの提案に、タケルと古川は言葉なくただアヤノの顔を見つめた。アヤノの表情は、冗談を言っているようには見えない。

「いやいやアヤノさん。ご自分のおっしゃっている意味、分かってます? バスケのルールとか知ってるんすか?」

 タケルに聞かれたアヤノは明らかに不満そうな表情で答える。

「もちろん知ってる。ルールを知らない人がコーチなんてできるわけない」

 タケルと古川は再び顔を見合わせる。古川が改まってアヤノに言う。

「中村さん、でしたよね? コーチを探しているのは本当ですが、やっぱり誰でも良いって訳ではないんです。コーチをやってもらうとなれば、練習も見に来てもらうし、試合の采配もお願いしたい。それに、中村さんがどれくらいバスケを知っているのか、それも分からない状況ではコーチをお願いするわけにもいきません」

 医学部の秀才である古川は、相手に失礼のないよう、かつ、タケルの言いたかったことを的確にアヤノに伝える。

「そうね。そのとおりね」

 アヤノの答えにタケルと古川がホッとしたのも束の間、

「じゃあ、勝負しましょう」

 とアヤノ。

「は?」

 呆気に取られる二人にアヤノは続ける。

「私があなたたちよりバスケが上手いことを証明する。私とスリーポイント勝負して、私が勝ったら、コーチをやらせてもらう。これでどう?」

「いや、そんな簡単には決められないっす」

 タケルはこの場をこれ以上変な空気にしたくなかった。すでに多くの部員がタケルたちの会話を聞いている。穏便に、穏便に。部長として、この場を収める。タケルはそれだけを考えていた。

「あ、そう。私に負けるのが怖いのね」

 一瞬にして、場が凍りつく。

「ああ? おめーみてえなド素人に負けるわけねーだろ!」

 アヤノの挑発に乗ったのは、タケルたちの後ろで話を聞いていた男子部三年の高橋ツムグだった。

「おい、サトシもこっち来い。三年で話しすっぞ」

 高橋はタケルと古川のもとに駆け寄り、そこにもう一人の三年生、みなみサトシも合流する。三年生は四人。チームの決め事は、この四人で決定することになっている。集合をかけた高橋が話し始める。

「勝負に負けることは有り得ねえ。万が一、おれたちが負けてあいつがコーチになったとしても、お飾りとしてベンチに居てもらえばいいんだし。言うこと聞かなければそのうち辞めるだろう。あと、おれにいい考えがある。とりあえず勝負は受けよう」

「分かった。勝負は受けることにしよう」

 とタケル。古川とサトシもそれに同意する。三年生の意見がまとまったところで高橋がアヤノに向かって言う。

「勝負には乗ってやる。あんたが勝ったらコーチをやってもいい。でも、あんたが負けたら、ここにいる男女バスケ部全員に酒をおごる。どうだ?」

 それはあまりにもアヤノに不利な条件だとタケルは思ったが、タケルがそれを口にする前にアヤノが答える。

「いいですよ。たぶん、私、負けないから」
「おお、言うねえ。じゃあ賭けは成立だな!」

 自分の提案が受け入れられて満足げな高橋。その後、アヤノと古川の間で勝負の内容が話し合われる。勝敗は、スリーポイント5箇所から2本ずつ放ち、10本中、多く決めたほうが勝ち。男子バスケ部は、スリーポイントが得意なタケルが代表で打つことになった。

「あなたたちが先行で。私、練習いらないから」

 アヤノは余裕の表情を浮かべる。

「その顔が悔しさで歪むのが楽しみだね」

 高橋は嬉しそうに言った。女子バスケ部も皆、集まってきた。

「なになに、スリーポイント勝負? え、タケルが勝ったら酒おごりなの? マジか!」

 女子バスケ部主将のノアも興味津々だ。ノアは改めてアヤノの姿を見たとき、頭の奥で何かが引っ掛かる。

「あれ、あの人、どっかで見たことあるような気がするけど……」

 ノアが記憶の引き出しを開け締めしている間に、タケルの準備が整った。

「じゃあ、始めるぞ!」

 古川の合図とともにタケルがゴールに対して角度がない、サイドライン側からシュートを開始する。タケルのシュートフォームは、チームの中で最も美しい。力みがなく、足のバネから指先まで無駄なく伝わる力がボールを上方に打ち上げ、高く弧を描いたボールは最高到達点から落下軌道に入り、吸い込まれるようにリングを通過する。サイド、45度、トップの3箇所から6本のシュートを放ち、そのうち5本成功。残り4投。

「良い感覚!」

 タケルは手応えを感じている。打つ瞬間にシュートの成否が分かる。調子が良い証拠だった。最後の1本、リラックスしたフォームから放たれたボールは、リングの中心を正確に射貫いた。10本中、8本成功。

「よし!」

 タケルは小さく拳を握る。

「ナイッシュー、タケル!」

 古川と高橋はハイタッチで喜び合う。
 次は、アヤノのターンだ。

「ノア、女子部のボール貸してくれないか?」

 古川はノアにボールを要求する。男子のボールの大きさは7号だが、女子のボールは一回り小さい6号。世界共通のサイズだ。女子部からボールを5個、貸してもらう。その間、アヤノは自分のトートバッグから年季の入った白いバスケットシューズを取り出し、それを履いて紐を結ぶと、立ち上がって長い髪を後ろで1つに束ねる。耳とうなじ出しているアヤノを、タケルは初めて見る。銀縁のメガネもいつの間にか外していた。

「中村さん、準備はいいですか?」

「いいよ」とアヤノ。

「では、始めます!」

 アヤノはゴール正面のトップから打ち始める。ツーハンドでのシュートだが、わずかに左手のスナップが強いようだ。パスをもらってからシュートまでの動作が早い。最初の2本が、難なくリングに吸い込まれる。

「あ、上手いかも」

 コートサイドで見ていたノアが思わず声を上げる。

 続いて45度。 これも2本成功。

「すごい。迷いが全くないね」

 古川は感心する。タケルも同感だった。しかもアヤノは今日、初めてボールに触ったはずだ。その一投目からいきなりシュートを決めている。コートサイドからのシュートも2本沈める。ここまで6本中、全て成功。続いて逆サイドの45度から。7本目成功。あと一本入れば、タケルの記録に並ぶ。アヤノのシュートは、パスを受けてからリリースまでのリズムが一定で、そのフォームは一切ブレがない。シュート後にひらりと舞うスカートの揺れ、束ねた髪の毛の動きまで同じように見えてくる。見ている者は再生映像を見ているような錯覚に陥る。8本目、成功。
 次の一投を決めれば勝負が決まる。残るは男子バスケ部員が集まるコートサイドからの2本のみ。会場は、勝負の行方よりも、アヤノのパーフェクトが見たいという雰囲気になってきていた。9本目、高橋の目の前でアヤノがシュートを放つ。リリースの瞬間、高橋の耳にアヤノの息遣いが届いた。9本目、成功。
 勝負はついた。だが、会場にいる全員が次の一投に集中していた。アヤノの動きとリズムが会場を支配する。最後の一投もまるでリプレイのようだった。高々と放たれたボールは、自分の行き先を知っているかのようにリングに導かれた。

「うぉーーーーーー!!」

 体育館に怒号のような歓声が響いた。それとともに、男子部、女子部、全てのバスケ部員がアヤノに駆け寄り、ハイタッチを求める。アヤノは表情一つ変えずそれに応えていた。

「スゲェっす!」
「カッコいい!」
「惚れました!」
「ウェーーーーーーイ!」

 その輪に入りそびれたタケル、古川、高橋の三人も、気持ちは同じだった。輪の中心にいるアヤノを見つめていたタケルは、ふと、アヤノと目が合う。その瞬間、アヤノはフッと笑みをこぼす。

「すげえな、あの人。プロかよ……」

 そう言って高橋も負けを認める。こんなすごい人、初めて見た。タケルは心底そう思った。どれぐらい経っただろうか。アヤノを囲む輪は徐々に散り散りになり、一人になったアヤノをタケル、古川、高橋、サトシ、ノアの五人が囲んだ。

「完敗です。約束どおり、男子バスケ部のコーチになっていただきます」 

 と、タケルは改めてアヤノに告げる。

「ええと、それはチームの総意ということで良い?」
「はい。チームのことは、この四人で決めることになっています。というか、あんなプレーを見せられたら、断る理由もありません」

 タケルの言葉を確認し、アヤノは少し安心したようだった。

「そちらのオカッパくんも了承ということで良い?」
「オカッパって言うな。高橋だ。あんたは賭けに勝った。文句はねえ」

 高橋は少し悔しそうだったが、それは賭けに負けたからではなく、アヤノのプレーに対しての悔しさなのだろう。タケルはアヤノに聞く。

「アヤノさん、バスケ経験者だったんですか? バッシュもずいぶん使い込んでるし」
「はい。ミニバスからやってました。これは大学時代に使っていたバッシュです。もう、二度と使うことはないと思っていたのだけれど……」
 
 二人の会話にノアが割りこむ。

「あの、アヤノさん? もし良ければ、女子バスケ部も見てもらえないでしょうか?」

 ノアの懇願に、アヤノは少しだけ申し訳なさそうに言う。

「ごめんなさい。両方は難しい。でも、アドバイスくらいなら」
「はい、よろしくお願いします。ちなみに、アヤノさんは元プロバスケ選手か何かですか?」

 アヤノはノアの質問に穏やかな口調で答える。

「そんなんじゃないです。私はただの修士マスターです」


 中村アヤノ。青葉大学経済学部博士課程一年。
 青葉大学体育会男子バスケットボール部コーチに就任。

 


第二話へつづく



第二話 契約をしましょう

第三話 どういうご関係で?

第四話 そんなんじゃないですから

第五話 伊達の悪魔

第六話 推理をしましょう

第七話 素敵なことじゃないですか

第八話 結果が全て

第九話 酒癖悪いんですか?

第十話 体で払ってもらうから


サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。