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【連載#5】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜

第五話 伊達の悪魔

 
 もりの都仙台市の中心部から西に位置する青葉山あおばやま。その麓に広がる青葉大学文系キャンパス。経済学部経営学科三年で青葉大学男子バスケットボール部主将の菅野タケルは、文系キャンパスにある経済学部講義棟で行われている統計学の講義を抜け出し、生協の外にあるベンチでホットの缶コーヒーを飲んでいた。夏から秋へと移ろう季節の爽やかな風を受けながらくつろいでいたタケルの隣に、何者かがスッと腰を下ろす。

「おいタケル。また授業サボってんだろ」

 声の主は、法学部三年で青葉大学女子バスケットボール部主将の小笠原ノアだ。

「いや、ちょっと休憩しているだけだ。断じてサボってなどいない」

 タケルは落ち着いた口調で答える。

「講義中、外でコーヒーを飲んでいる。それを世間ではサボりと言う」

 ノアの言葉に反応しないタケル。

「無視か。まあいい。ちょっとアヤノさんのことで話があるんだよ」
「アヤノさん。先日、男子バスケットボール部のコーチに就任した中村アヤノさんのことだな」
「そうだ。そんな説明じみた言い方をしなくても分かる。そのアヤノさんについてなんだが……」

 ノアは自分のバッグからスマホを取り出して動画を再生し、タケルに手渡す。バスケットの試合の映像だ。おそらく高校女子の試合。タケルはしばらくその動画を眺めていると、その中に周りの選手から明らかに実力が抜けている一人の選手を見つけた。その選手はコートを縦横無尽に動き回り、アウトサイドでパスを受け取ると、素早いモーションでスリーポイントを放つ。数分しか見ていないが、打ったシュートは全部入っている。そのシュートフォームに、タケルは見覚えがあった。

「これってもしや……」
「そう。これ、アヤノさんだろ」

 ノアの言うとおり、髪は今よりだいぶ短いが、そのシュートフォームは先日のスリーポイント対決で見たアヤノのフォームそのものだった。

「ノア、これ、どこで手に入れた?」
「欲しいの? 譲ってもいいけど、高いよ」
「違う。そうじゃない。お前がどうしてこの動画を持っているんだって話」
「ああ、そっちか。これはあたしのお姉ちゃんが高校3年のときの青森県代表で出た東北大会の試合。お姉ちゃんに動画を送ってもらったんだ。会場が青森だったから、あたしも実際に見てたんだけどな」

 ノアが興奮気味に話を続ける。

「そんでな、とにかく凄かったんだ。この試合、アヤノさん一人に48点取られた。うち、スリーポイントが13本」
「ヤベェな。バケモノだ」

 高校生であれば、一人で30点取れば相当な得点能力と言えるが、それを遥かに上回る。

「そうなんだ。昨日、お姉ちゃんに電話で話を聞いたんだけど、アヤノさんのスリーポイントが恐ろしい確率で入るもんだから、あだ名が付いてたらしいぞ」
「何て呼ばれてたんだ?」

 タケルに問われたノアは、少し間を置いて答える。

「ええと、『伊達だての悪魔』、だったかな」
「戦国武将? バスケ選手のあだ名とは思えんな」
「きっと、悪魔に魂を売ってそのシュート能力を手に入れたんだろう」
「なるほど。魔力によるものか……」
「タケル、これが事実かどうか、アヤノさん本人に確認してみよう」
「単なる好奇心だったらやめとけ。本人は忘れたい過去かもしれん」
「いいじゃないか別に。これぐらいのことでアヤノさんは怒らんだろ。それに聞くのはタケルだし」
「おれはお前の使い魔ではない。あっ」

 タケルは何かを思いだした。

「ノア、それについて知ってそうな人に心当たりがあるぞ」

 そう言ったタケルはノアに手招きをして、大学の記念講堂へ向けて歩き出した。

 青葉大学記念講堂の一画に間借りしている『カフェ・アマデウス』。このカフェに勤めているニコという金髪の女性がアヤノの高校バスケ部の先輩だったことをタケルは思いだしたのだ。記念講堂の正面に向かって右側の入口からタケルとノアは建物に入っていく。

「いらっしゃいませー」

 カウンターにいた金髪のニコが元気よく声を出す。そして店の入口にいるタケルに気がつき、声をかける。

「あ、キミは確かバスケ部の……」
「男子バスケ部主将の菅野タケルです。んで、こっちが女子バスケ部主将の小笠原ノアです」
「はじめまして。小笠原です」
「はじめまして。私は日下部くさかべニコル。ニコって呼んでよ」

 タケルもニコの本名は初めて聞いた。

「ノアちゃんって言ったっけ? なんだか爽やかで、いかにもバスケ女子って感じね!」
「はい。よく言われます。初対面の人にも、『小笠原さん、バスケ部だよね』って断定的に言われます」

 身長が170cm以上あり、短髪でハキハキと話すノアは、AIで生成されそうな『バスケ女子』のお手本のような外観だった。

「懐かしいねえ。私も高校生のときは黒髪で清楚なバスケ美少女として、杜の都に名を馳せたもんだよ。いや、ホントに。それで、男女バスケ部の主将が二人揃って、どんなご用件かな?」

 タケルがノアに目配せすると、ノアはニコに言う。

「あの、タケルがニコさんに聞きたいことがあるそうです」

 さり気なく、自然な丸投げ。タケルはノアをギッと睨んでからニコに質問する。

「今日はアヤノさんの高校時代のことをお聞きしたくて」
「え、タケルくん、アヤの高校時代とか興味あるの?」
「はい。おれ、アヤノさんのことほとんど何も知らないので」
「そうかそうか。お客さんもいないし、じゃあ、ちょっと座りなよ」

 嬉しそうな表情のニコは、二人をカウンター席に座るよう促す。

「コーヒー飲めるよね? ノアちゃんとのお近づきの記念に、お姉さんがご馳走してあげるよ」
「え、いいんですか? ご馳走さまです!」
「ノア、ちょっとは遠慮しろよ。すいません。お支払いしますよ」
「タケルくん、堅いこと言わないのよ。『遠慮と謙遜は自らの成長を妨げる』って言うでしょ?」
「初耳です。というか、そんなことわざありませんよね?」
「まあまあ、まず、座りなよ」

 タケルとノアはカウンター席に座った。
 ニコはコーヒーを三つ準備してカウンターに置き、自分もカウンターに座る。淹れたてのコーヒーを一口飲んでからニコが話し出す。

「ええと、アヤの高校時代だったね」

 タケルとノアは同時に頷く。

「今のアヤからは想像つかないかもしれないけど、あの子、高校生の時はすごく明るかったんだよ」
「え、そうなんですか?」
「うん。あ、でも、口数が少ないのは今と一緒なんだけど、なんというか、いつもニコニコ笑ってて、同級生はもちろん、先輩、後輩、みんなから好かれてた。バスケも上手くて、いろんな意味でチームの中心だった」

 コーヒーを飲みながらニコは話を続ける。

「高校を卒業してアヤは名古屋の大学に行ったんだけど、大学を卒業して仙台に戻ってきたとき私に連絡をくれて、一緒に食事をしたのよ。久々に会った印象は、ずいぶん落ち着いたなって感じだった。でも、しばらくしてから、それは歳を重ねた落ち着きとは違っていることに気がついた。あの子、昔みたいに笑わなくなってたんだよね。アヤもあまり詳しくは話したがらないから、その理由は私も知らないのだけれど」

 話しながらニコは少し遠くを見るような目でカウンターの奥を見つめている。

「バスケもスパッと辞めてしまったし。こっちで何度かバスケに誘ったけど、ダメだったな……あ、ごめん、話が逸れてる。アヤの高校時代の話だったよね」

 頷いたタケルが質問する。

「さっき、アヤノさんの高校時代の試合映像を見たんです。東北大会で48点取った試合。ニコさん、知ってます?」

 ノアがスマホの動画をニコに見せる。

「あー、これな。OGの間でも動画が回ってきた。まあ、アヤのシュートが入りだすと止まらないのは、みんな知っていたけど、まさか、ここまでの才能があるとはね」

 しびれを切らしたのか、ノアがここで口を挟む。

「あの、それで、アヤノさんの高校時代のあだ名のことなんですけど……」 
「あだ名?」

 ニコが少し首をかしげる。

「アヤノさん、高校時代に『伊達の悪魔』って呼ばれてたんですよね?」
「あー、はいはい。でも、なんかちょっと違うような。確か……」

 ニコは額に手の平を当てて考える。

「あ、思い出した。悪魔じゃない。堕天使。『伊達だて堕天使だてんし』だ」

 ちょっと違ってた。しかもダジャレだった。タケルとノアは閉口する。少しの沈黙を挟んで、ニコが話を続ける。

「ネーミングセンスもどうかと思うけど、何より、アヤは私たちにとってはチームを勝利に導くヒーローだったからな。堕天使とか悪魔とか、そんなんこと露も思ったことがない。確かに、色白で大人しく見えるアヤに無表情でスリーポイントを浴びせ続けられれば、相手チームには悪魔に見えたかもな」

 その後、ニコは今の青葉大学バスケ部の状況や、アヤノのコーチの様子などをタケルとノアに聞いてきた。ニコは今も、仙台市内のクラブチームでバスケを続けているそうだ。
 三人がコーヒーを飲み終えたところで、タケルがニコにお礼を言う。

「ニコさん、今日はいろいろ教えていだだきましてありがとうございます」

 タケルとノアは二人そろって深くお辞儀をした。その流れでタケルはコーヒー代を払うとニコに申し出たが、ニコはそれを固辞した。

「その代わりに、という訳ではないけど、君たち、たまにここに顔出しなよ。私もバスケ部に興味が湧いてきたからさ」
「はい。時間を見つけて、コーヒー飲みに来ます」

 店を出るタケルとノアを、ニコは手を振って見送った。二人は無言で来た道を戻り、文系キャンパスにたどり着いた。俯いて考え事をしているようなタケルの横顔にノアが話しかける。

「アヤノさんのこと、気になるのか?」
「ああ、ちょっとな。大学のときに何があったんだろうな」
「そんなの知らない。それこそ、タケルが直接聞けばいい」
「まあ、そうだな」

 会話を切り上げた二人は互いに「じゃあ」と言って別れる。
 ノアと別れたタケルは、生協の前のベンチに座って、ニコとの会話の内容を反芻はんすうする。アヤノは大学時代に何かを失い、そして昔ほど笑わなくなった。タケルはアヤノが何を失ったのを知りたいと思う。それがアヤノと交わした契約による義務感からなのか、それともアヤノに対する純粋な興味からなのか。その境界線は曖昧で、それ故、タケルはアヤノに対する自分の気持ちがどのようなものなのか、自分でもよく分からなくなっていた。



第六話へつづく

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。