【連載#9】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜
第九話 酒癖悪いんですか?
仙台市青葉区国分町。仙台市内の中心部にあるこの場所は、東北地方における最大の歓楽街だ。東北大学バスケ新人大会が行われたこの日、青葉大学体育会男女バスケットボール部は、大会の打ち上げと男子バスケ部コーチの中村アヤノの歓迎会を兼ねた飲み会を開催していた。男子部、女子部ともに、ほぼフルメンバーが参加。普段は練習に来ないメンバーもなぜか集合する。飲み会こそ体育会運動部の本領発揮の場だった。
午後6時を回ったところで、男子部主将の菅野タケルが声を上げる。
「みんな注目! 今日の試合お疲れ様でした。男子分も女子部も良い試合だったと思いますが、反省点もあると思いますので、その点は今後の練習に活かしましょう」
「真面目か! 前置きはいいから、早く乾杯するぞ!」
同じ立場であるはずの女子部主将の小笠原ノアがなぜか率先してタケルを煽る。
「ノア、お前は日頃の行いから反省しろ! はい、改めまして。今日は試合の打ち上げと、本日公式戦デビューとなったコーチの中村アヤノさんの歓迎会を兼ねています。では、主役の中村アヤノさんに一言と乾杯までお願いいたします」
指名されたアヤノは、ビールジョッキを持って立ち上がる。
「はい。人前で話すのは苦手なのですが、ご指名ですので。今日はみなさんお疲れ様でした。そして、こんな私のために歓迎会を開いていただきまして恐縮してます。とりあえず今日はバスケの事は忘れて楽しく飲みましょう。それではご唱和願います。乾杯!」
「乾杯!」
部員たちは一斉にジョッキを合わせてビールを飲み始める。あっという間にビールはなくなり、そこかしこで追加注文の声が聞こえる。男子部と女子部が一緒に飲むのは、公式行事となっている新入生歓迎会、忘年会、送別会だけで、それ以外での合同での飲み会は珍しいことだった。言い出したのは女子部主将のノアだ。ノアはアヤノが男子部コーチに就任した直後から、アヤノの歓迎会をやろうと男子部主将のタケルにしつこく話をしていた。根負けしたタケルは、新人戦が行われるこの土曜の夜をアヤノの歓迎会としてセットした。宴が開始されて程なく、ノアがタケルに絡んでいく。
「タケル、ちょっと話があるんだが、いいか?」
「いや、ダメだ」
ノアが真面目な顔をしているときはロクな話ではない。タケルは経験上、それをよく知っていた。
「そんなこと言うなよ。ツムから聞いた。あたしたちのこと、見たんだって?」
「ああ、その話か。付き合ってるんだろ?」
「ん、まあ、そういうことだ」
いつもは男勝りで強気なノアの表情に恥じらいの色が見える。タケルはそれを見て少し引いていた。
「大学生にもなって、そんな乙女みたいな反応やめろ」
「うるさい。歳は関係ないんだろ。それより、あたしたちのこと誰かに言ったか?」
「いや、誰にも。何? 広めた方がいい? あ、ミドリ! ちょっとこっちに来てみ」
タケルは恋愛話が好物の二年生マネージャー、山家ミドリに声をかける。慌てたノアはタケルの口を塞ごうとするが時すでに遅し。タケルたちの後ろの席に座っていたミドリが振り返ってタケルたちの席に寄ってくる。
「なんですか菅野先輩。何か面白い話でもあります?」
「ミドリ好みの話だ。聞きたいか?」
「え、恋バナですか!?」
ミドリに知られたらバスケ部内全てに知れ渡ることは火を見るよりも明らか。ノアは燃え上がる前に火消しにとりかかる。
「そういう話じゃないよ。あたしとタケルはバスケ部主将として今後のバスケ部の方向性を……」
ノアの焦り具合を見たミドリはピンとくる。
「ああ、あれですか。ノアさんとツムさんがとうとう付き合い始めたって話ですか」
ミドリの言葉を聞いたノアは、タケルの胸ぐらを掴む。
「誰にも言ってないって言ったよな!」
「ちょっと待て、お前は誤解をしている」
タケルはノアの手を掴んで抵抗するも、ノアの鼻からはフンフンと荒い息が噴出している。それを見ているミドリは満面の笑みだ。
「わたし、菅野先輩から何も聞いていないですよ。そういう話かなって思っただけで。フフフ、ノアさん、やっぱりそうなんですか?」
「ノア、ミドリの罠にかかったな。おれは無実だ」
ノアは顔を真っ赤にしてジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干す。
「タケルだってこの前アヤノさんと二人で楽しそうに街を歩いてたじゃないか!」
「え? それ今言う必要ある?」
話題を逸らそうと必死なノア。しかし、この発言も結局はミドリに美味しい餌を与えただけなことをノアが気付くはずもいない。
「あらあら、菅野先輩。年上女性、しかもコーチに手を出すとは。いろいろ心配していたわたしがアホに思えてきましたよ」
憐れみと軽蔑の入り混じるミドリの視線がタケルの胸に突き刺さる。
「いやいや、おれはアヤノさんの買い物に付き合っただけで、やましいことは何もないぞ」
「いえ別に。男女交際がやましいことだなんて、わたしはこれっぽっちも思ってませんよ。そんなこと言ったらノアさんとツムさんに失礼ですから」
「あたしとツムの話はもういいだろ。あ、ミドリ。あたしとツムが付き合っていること、周りに言いふらすなよ」
「はいはい。わかってます」
ノアとミドリのやり取りは『押すな押すな』の儀式そのもの。そしてお約束どおり、この飲み会の一週間後にはノアとツムグの関係はバスケ部全員が知る所となる。
男女バスケ部の主将二人がバスケと全く関係ない話をしている頃、女子部二年生の上野ナギサは男子部コーチの中村アヤノの隣で杯を重ねていた。
「アヤノさーん、聞いてくださいよ。最近のノアさん、私と二人のときに、ツムさんの話ばっかりするんですよぉ。こっちが真面目にバスケの話をしようと思ってても、なかなかできなくて。マジで色ボケかって話です。先輩だから面と向かって言えませんけど―」
「ナギサさん、もしかして酒癖悪いんですか?」
「悪いんですかねー? 自分ではそう思ってないですけどー。飲み会になると、みんな私から一定の距離を保っているような気がしないでもないです」
普段真面目な人間ほどストレスを溜め込んでいることは多い。ナギサもそんなタイプの一人だった。
「アヤノさんはどうなんです? 彼氏とかいるんですかー?」
「いませんよ。そういうのは、あまり得意分野ではありませんので」
「えー、でも勿体ないですねぇ。アヤノさんみたいな綺麗な人が……、もしかして、もの凄く理想が高いとか?」
絡み酒。アヤノが最も苦手とするタイプだった。話の内容だけでも自分の得意分野に持っていこうと、アヤノは話題を変える。
「ナギサさんは、バスケについての悩みとかはないんですか?」
それを聞いたナギサの表情が引き締まる。
「あの、アヤノさん。今日の私のプレー、どう思いましたか?」
「ナギサさんは十分チームに貢献してましたよ」
迷いなく答えるアヤノの言葉に少しだけ明るい表情になったナギサだったが、それも束の間、ナギサの表情は少しずつ崩れていき、最後にはテーブルに突っ伏して泣き出してしまった。泣き上戸。これはこれでとても面倒くさい、と思いながらもアヤノはナギサの肩に手を当てて慰めの言葉をかける。顔を上げたナギサの目はウサギのように赤くなっていた。
「私、分からなくなってきたんです。私はノアさんみたいに華のあるプレーもできないし、声を出してみんなを引っ張るタイプでもない。背だけはチームで一番高いけど、それを全然活かせてないんじゃないかって思うんです」
「ナギサさんは得点はもちろんですが、リバウンドとかルーズボールとか、目立たないところでもがんばってます。私も含めて、みんなそれを見ていますから、自信を持ってください」
アヤノの言うことは慰めでもなんでもなく、事実をそのまま伝えていた。しかしナギサ本人はそう思っていない。真面目な性格が、自分自身の過小評価に繋がっているようだ。
「ナギサさん。あなたは今日ずいぶんがんばっていたし、疲れているときに後ろ向きな話はお勧めできません。技術的な話は明日改めて相談に乗りますので、今日は飲みましょう。すいません、ビールを2杯、追加でお願いします。ほら、ナギサさん、乾杯しましょう」
ナギサはアヤノの言葉に納得しかねた様子だったが、アヤノと乾杯したその後は、同じ二年生の男子部員たちと大声で笑いながら会話を楽しんでいた。最後は笑い上戸。絡まれ泣かれたアヤノは試合以上に精神を擦り減らしたが、最後に笑っているナギサを見てホッと胸を撫でおろした。酒の力とはいえ感情を表に出せるのは、感情を抑え込むばかりの自分よりも人として健全な在り方だとアヤノは思っていた。
宴も酣、締めの時間になっても会場は先輩後輩、男子部女子部、学年関係なく入り乱れてちょっとしたカオス的様相を呈していたが、いつも冷静沈着なバスケ部の良心、男子部副主将の古川トモミが率先して部員を店の外に導き、宴は無事にお開きとなった。
国分町から一番町のアーケードに移動するバスケ部員たちの中、アヤノは女子の中で唯一自分より背の高いナギサを見つけてその右腕を掴む。
「ナギサさん、ちょっと……」
と言いながら、アヤノはナギサを集団から引き離す。いい感じに酔ったナギサは、母親譲りのラテン系気質を発揮してアヤノに抱きつく。
「アヤノサーン、どうしました? 私を連れ出して。二人だけで次、行っちゃいます?」
「いえ、そうじゃなくて。連絡先を交換しませんか? 明日、バスケのこと相談するって言ったじゃないですか」
バスケの話になり真面目さを取り戻すナギサ。
「あ、はい。そうでしたね。では私、QRコード出します!」
「はい。いただきました。では、後でメッセージを送っておきますので」
「はい。よろしくお願いします。それではチャオ!」
ナギサが自宅アパートに着き、入り口のドアを開けて中に入ったタイミングでスマホに着信がある。部屋の廊下の壁に寄りかかりながらスマホの画面を確認すると、一件のメッセージが届いていた。
アヤノのメッセージに返信をする気力も失っていたナギサは、脱いだ上着をカーペットの上に投げ、そのままベッドに倒れこんで気を失うように眠りについた。