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【連載#2】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜

第二話 契約をしましょう


 青葉大学経済学部ゼミ棟。毎週水曜日の午後は、経済学部のゼミが行われる。この日、青葉大学体育会男子バスケットボール部主将の菅野タケルはゼミの開始時間よりもだいぶ早くゼミ室に到着し、ロの字型に組まれた長机に一人、頬杖をついてボーッとしている。しばらくすると、タケルのゼミの友人である中嶋が入室する。

「おや、タケルどの。お早いですね。その様子では、まだお悩みですか? バスケ部コーチの件」
「いや、コーチは決まったのだよ」

 タケルの返事を聞いた中嶋は、不思議そうな顔で言う。

「決まって良かったじゃないですか。他にも何かお悩みで?」
「悩みとは違うのだが……」

 タケルの台詞を遮るようにゼミ室のドアが開き、ゼミの大学院生、中村アヤノが入ってきた。

「こんにちは」
「こんにちは」

 アヤノの挨拶で二人の会話は途切れる。アヤノは暗黙の指定となっているホワイトボード前の席に座り、黒革のトートバッグからマズローの著者とA4のノート、スマホ、シャープペンシルを出して机に置く。一息ついたアヤノはタケルに告げる。

「菅野くん。今日、ゼミ終了後にミーティングをしましょう。これからの部活動のことについて話したいから」
「え、はい。分かりました。お願いします」

 二人の会話を聞いた中嶋は目を丸くしてタケルを見る。

「タケルどの。もしかして、バスケ部のコーチって……」
「ああ、お察しのとおり」
「いやーなんというか。意外、の一言です」
「みなまで言うな。おれ自身が一番驚いている」
「はあ。しかし、修士マスターがコーチとは。主将のタケルどのはさしずめ英霊サーヴァント。詳しい話、お聞かせ願います」
「まだ話すことなどないのだよ。連載であればまだ第二話くらい。召喚されたばかりだ」

 会話を聞いていたであろうアヤノが二人の話に入ることはなく、銀縁メガネの奥の切れ長の目は手元のスマホに注がれていた。

 ゼミ終了後。この日も西日が強く、アヤノはゼミ棟の階段を降りてすぐに日傘を開く。タケルも慌てて日傘の後を追う。

「アヤノさん、ミーティングどこでやります?」

 アヤノは進行方向を見据えたまま、タケルの質問に答える。

「記念講堂にあるカフェで。手短に」

 記念講堂は、経済学部棟のある文系キャンパスから、体育館のある北キャンパスのちょうど中間あたりにある。そこの一角に間借りしている『カフェ・アマデウス』。ちょっと小洒落た内装のカフェで、タケルは一度も入ったことがない。

「アヤノさん、そこ、よく利用するんですか?」
「ええ」

 歩く速度を緩めることなく、アヤノはタケルとの会話を進める。

「いらっしゃいませ」

 講堂に入ると、エントランスから仕切りのない空間がカフェスペースとしてしつらえてあった。

「こんにちは。ちょっと打ち合わせさせてもらいます」
「お、いらっしゃいアヤ。空いてるから、好きな席使って」

 肩まで伸びた髪を金色に染めた背の高い女性がカウンターからアヤノに声をかける。アヤノは窓際の席を選んで座る。タケルもその向かいに座った。

「菅野くん、ブレンドでいい?」 

 タケルが「はい」と答えると同時、見計みはからったかのように金髪の女性がオーダーを取りに来た。

「アヤが誰かと一緒に来るなんて珍しいな。しかも男の子」
「そうですね。ブレンド二つ、お願いします」
「かしこまり」

 タケルは二人が顔見知りであることが気になった。その女性はアヤノを『アヤ』と呼んだ。親しい間柄のようだ。

「お二人は知り合いなんですね」
「はい。ニコさん。高校のバスケ部の先輩」

 なるほど。タケルはアヤノが『ニコさん』と呼んだ金髪の女性の背が高いこと、二人が知り合いであることの両方に合点がいった。

「あの、アヤノさん。今日のミーティングの目的は何でしょうか?」

 窓の外を眺めていたアヤノは、タケルに顔を向ける。

「私がコーチをするにあたって、主将の菅野くんにいくつか確認したいことがあります」
「はい。なんなりと」

 神妙な面持ちのタケルを一瞥いちべつしてアヤノは質問する。

「一つ目。チームの目標は何でしょうか?」
「目標は全国、インカレ出場です」

 タケルは迷いなく答える。

「分かった。じゃあ二つ目。菅野くんはどうして主将になろうと思ったの?」
「え?」

 チームのことを聞かれるとばかり思っていたタケルは、二つ目の問いで言葉に詰まった。「チヤホヤされたいから」とはさすがに言えない。かといって、自分の心の奥にある個人的な動機を話すことも、自分語りのようで気が引けた。

「あの。おれは目立つことが苦手で、これまで人前に立つようなことをしてきませんでした。だから主将になって、その……」
「自分を変えたいと思った」

 女性にしては少し低めで中性的なアヤノの声がタケルの心に響く。タケルは無言で頷き、間髪入れずにアヤノに質問を返す。

「アヤノさんはどうしてコーチになろうと思ったんですか?」
「私も菅野くんと似たような理由。でも私の場合は自分を変えたいというより、自分を取り戻したいと思ってる」

 タケルはアヤノの言葉を黙って聞いていた。

「あと、菅野くんが困ってたから」

 目を細めたアヤノの口元がほんの少し緩む。
 カウンターからニコがお盆を持って近づく。

 「ブレンド、二つです」

 笑顔のニコがカップを二つ、テーブルに置く。
 コーヒーを飲みながら、タケルはチームの状況やメンバーの特徴などを話した。アヤノはバッグからノートとボールペンを取り出してメモを取る。気がつけば、二人のカップは空になっていた。
 タケルは腕時計を確認する。部活の開始時間が近づいていた。

「アヤノさん、そろそろ行きましょう」
「はい。あ、あと菅野くん。今日の練習の終わりに私からみんなに挨拶がしたいのだけれど、いい?」
「もちろんです。よろしくお願いします」

 二人は席から立ち上がり、タケルが先に会計を済ませ店を出た。それを確認したニコがアヤノに言う。

「アヤはもうバスケには関わらないのかと思ってたよ。心変わり? それとも、気の迷い?」

 アヤノは少し首をかしげ、答えを探す素振りを見せる。

「困っている人がいたから、助けてあげようと思っただけです」
「偽善だな」
「否定はしません」
「相変わらずだねえ。でも私、アヤのそういうところ、好きよ。じゃあ、コーチ業、がんばって」

 右手を上げるニコに、アヤノは一礼をして店を出た。


 その日もいつも通りの練習だった。ただ、違っているのは、アヤノが正式なコーチになって初めて練習を見ていたこと。練習が終わり、タケルは部員全員をアヤノの前に集合させた。

「男子バスケ部のコーチに就任した中村アヤノさんから挨拶がある。アヤノさん、お願いします」

 静寂の中、アヤノが挨拶を始める。

「みなさん、改めまして。経済学部博士課程一年の中村アヤノです。この練習の前に、主将の菅野くんからチームの目標を聞きました。みなさんは全国を目指していると。だから、私はそれに応えられるよう努力していきたいと思っています。ただ……」

 部員たちは次の言葉を待つ。

「ただ、私がコーチになろうと思ったのは、私自身も大学まで続けていたバスケットボールにもう一度関わりたかったからです。私にもう一度、バスケの素晴らしさを教えてください。私がみなさんに与える以上のものを、みなさんは私に与えてくれると信じてます。よろしくお願いします」

 深くお辞儀をするアヤノ。

 ーーパチ パチ パチ パチ。三年の高橋ツムグがゆっくりと拍手を始める。それに続き、体育館にいた部員全員が拍手をした。拍手に包まれたアヤノは顔を上げ、安堵の表情を見せる。拍手が鳴り止むのを待って、タケルは練習の終了を告げた。 


 戸締りをしたタケルは一番最後に体育館を出た。外はすっかり暗くなり、ひんやりとした空気が本格的な秋の始まりを感じさせる。駐輪場に向かって歩いていたタケルは、街灯の下、橙色の光に照らされて立っているアヤノを見つけた。

「菅野くん、もう少しお話ししましょう」

 アヤノはそう言ってタケルと並んで歩き出す。

「私の挨拶、変じゃなかったですか?」
「全然。アヤノさんの想いは伝わったと思います。最初に拍手したの、スリーポイント勝負のときに賭けを持ち出した高橋でしたしね」
「ああ、オカッパくん」
「はい、オカッパくん」

 駐輪場に到着し、立ち止まりる二人。

「菅野くんは、変わりたいんだよね?」

 練習前の会話の続きだった。

「はい。そうです」
「じゃあ、私が変えてあげる」
「え?」
「……なんて偉そうなことは言えない。でも、その願いが叶うように、私は協力したいと思ってる」

 突然の申し出。タケルは返答に窮する。

「そして、菅野くんには、私が自分を取り戻せるように協力してほしい。だから、契約をしましょう」
「契約?」
「そう。菅野くんと私は同じゼミに所属している。部活ではコーチと主将。それ以上でもそれ以下でもない。だから、協力し合うことの証として契約を交わすの。どう?」

 タケルは目を伏せて考える。それを見たアヤノは、タケルの正面に回り込んで言う。

「それに、物語の展開上、英霊サーヴァント魔術師マスターと契約するものなんでしょ?」

 ゼミ室でのタケルと中嶋の会話はしっかりと聞かれていたようだ。

「わかりました。契約します」
「良かった。契約成立。じゃあ、これからよろしく」

 暗がりの中、アヤノは右手を差し出す。タケルも右手を出してアヤノの手を握る。アヤノの白く華奢な手は、ほんのり熱を帯びていた。

「じゃあ、またね、菅野くん」
「はい。さようなら、アヤノさん」

 踵を返したアヤノは、カツカツとヒールを鳴らしてタケルから遠ざかっていく。アヤノの姿が見えなくなるまで見送ったタケルは、アヤノの手の温もりが残る自分の右手をしばらく見つめ続けた。



第三話へつづく



 



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