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【連載#7】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜

第七話 素敵なことじゃないですか


 杜の都仙台の老舗デパート『藤崎』は、仙台駅ら東西に続くアーケードと、仙台市役所から南北にのびるアーケードの交わるところにある。青葉大学の大学祭が開催されている週末の日曜日、青葉大学男子バスケ部主将の菅野タケルは、同じく男子バスケ部のコーチである中村アヤノと藤崎のエントランスで待ち合わせをしていた。
 予定が決まったのは二日前の金曜日。文系キャンパスの食堂でのちょっとした事件のあと、アヤノからの「付き合って欲しいんです」発言に耳を赤くしたタケルだったが、よくよく聞けは、それは買い物に付き合って欲しいとの依頼であった。アヤノの買い物の目的は弟への誕生日プレゼント選び。特に予定のなかったタケルはアヤノの依頼を受けることにした。
 待ち合わせの時間は午前11時。女性と二人でお買い物という慣れない状況に緊張していたタケルは、約束の時間の二十分前に待ち合わせ場所に到着していた。タケルが到着してから数分後、

「お待たせしました」

 と、突然背後から声をかけられる。

「あ、アヤノさん。こんにちは」

 タケルはアヤノが正面から入って来ると思っていたが、アヤノのはすでに店内にいたらしい。タケルの前に現れたアヤノは大学で見る黒づくめの服ではなく、白いシャツにブルージーンズとスニーカー、上着はミドル丈のグレーのコートを纏っていた。髪を一つに束ね、銀縁のメガネはかけていない。チノパンにボーダーのカットソー、マウンテンパーカーという格好のタケルと、服装だけは釣り合いが取れて見えそうなことにタケルはホッとしていた。

「早いですね」
「アヤノさんこそ、もう来ていたんですね」
「ええ。ちょっと見たい物があったので。それに、私、人を待たせるのって嫌なんです。でも、今回は菅野くんを待たせてしまいました。すいません」
「いえ。待ったと言っても数分ですから。しかし、今日は黒いアヤノさんではないのですね」
「ええ。大学ではそれなりに見えるように武装をしているんですが、休日はこんなんです。それでは行きましょうか」

 アヤノは入口の扉を開けてアーケードを歩き始める。タケルもアヤノのあとに続く。

「私も弟の趣味を完全に把握している訳ではないから、やっぱり男の子の意見が参考になると思うんです」

 歩きながらアヤノが説明をする。アヤノは予め行く場所を決めていたようで、ファッションビルのブランド店、路地裏の小さな雑貨店、大手のセレクトショップなどを最短距離で一筆書きをするように次々と回って行く。タケルはそれぞれの店でアヤノが選ぶ商品に、自分なりのコメントをする。一通り店を回って、アヤノは北欧アウトドアブランドのシンプルなザックを弟へのプレゼントに決めた。

「それならシンプルだし、弟さんも使いやすいと思います」
「はい」

 プレゼントが決まり、アヤノは少しだけ安堵したような表情を見せた。

「ちなみに弟さん、今、いくつなんですか?」
「高校三年生。だから、今度18になる」
「意外です。弟さんと仲が良いのですね。おれは姉からプレゼントをもらうなんて考えられない」
「私の場合、年が離れているからでしょう。お姉さんとはいくつ違うんですか?」
「姉は3つ上です」
「なるほど。私はお姉さんよりお姉さんということですね」
「ええと、まあ、それは、そうなんでしょうね」

 言葉を濁したタケルは間を持たせようとスマホを取り出して時間を確認する。すでに12時半を回っていた。

「お昼も過ぎましたし、ここで解散ですかね」
「いえ。付き合ってもらったのにタダで返すわけにはいきません。お昼をご馳走します」

 アヤノの決意は固く、遠慮するタケルを押し切る形で食事をすることになった。

「菅野くんが行きたいところで」
「じゃあ、少し歩きますけどいいですか?」
「はい」

 今度はタケルがアヤノの前を歩く。待ち合わせ場所の藤崎まで戻り、そこからアーケードを南に進む。青葉通りを横断して再びアーケードに入ると、そこから東側に延びる『いろは横丁』へと足を踏み入れる。昔ながらの狭い通路の両脇には飲食店や雑貨屋などが並ぶ。タケルの目的地はそこにある小さなカフェだった。

「ここです」

 そう言うとタケルは店の扉を開けて店員に声を掛ける。店内は少し混み合っているようで、二階の席に案内された。

「ずいぶんお洒落なお店ですね」
「前に来たことがあるんです」
「女の子と、ですか?」
「違いますよ。古川とです」
「古川くん、地元ですものね」
「そう言うアヤノさんだって地元じゃないですか」
「はい。でも私、ほとんど外食しないので」

 会話の途中で店員がお冷とおしぼり、メニューを持ってきた。小柄でクルクルのパーマがかかった髪型が特徴的な女性だ。歳はタケルと同じくらいだろうか。

「ボブ・ディラン」

 アヤノの口から世界的ミュージシャンの名前が出る。

「アヤノさんもそう思います? おれも前に来たときからそう思ってました」
「私、ディラン好きなんです。生まれ変わったらパーマをかけて、ギターで愛について弾き語りたいと思っているんです」
「いや、それは生まれ変わらなくても可能だと思いますが。とりあえず、食べるものを決めましょう」

 二人は看板メニューとなっているプレートランチセットに決め、クルクルパーマの小柄なディランを呼んで注文をした。食事が来るのを待つ間、翌週に開催される新人戦のメンバーや作戦について話し合う。アヤノは男子部だけでなく、女子部の試合にもコーチとしてベンチ入りするとのことだった。

「やっぱり、女子部にも専属のコーチが必要ですね」
「はい。私の体が二つに分裂すると良いのですけど」
「それはかなり高難度の魔術ですので、コーチをやってくれる人を探す方が容易かつ現実的です」

 女子部コーチ問題に頭を悩ませていると、

「お待たせしました、ランチプレートセット二つです」

 と言って、ディランが食事を運んできた。プレートにはサラダ、ナスとトマトのパスタ、それに小さめのチーズトーストが乗っている。あとからコンソメスープも運ばれてきた。食後にはコーヒーも付く。

「では、いただきます」 

 二人は食事をしながら部活やゼミの話を続ける。料理はどれも上品な味付けで、量は少なめだったが、タケルもアヤノも十分に満足した。
 食後のコーヒーが運ばれ、二人はそれぞれのタイミングでコーヒーを飲む。タケルのお腹と気持ちが落ち着いてきたところで、アヤノが口を開く。

「あの、菅野くん」

 改まった口調のアヤノ。

「菅野くんの妹さん、六月に体調崩したってお話でしたが、その後の容体はどうですか?」

 アヤノの質問に、タケルの顔が微かに強張る。

「あれ、そんなこと話しましたっけ?」
「今年の6月23日のことです。菅野くんがゼミを早退するとき、病気療養中の妹さんが体調を崩したって言ってましたから」
「怖いくらいよく覚えてますね。一昨日の中嶋のこともそうですけど」
「前にも言いましたが、記憶力だけは良いんです」

 アヤノはタケルの顔を凝視してタケルの答えを待つ。タケルは手に持ったコーヒーカップをテーブルに置き、カップを見つめながら話し始める。

「妹は一つ下です。名前はレミっていうんですけど、生まれつき心臓に疾患があって、生まれてから何度も手術と入退院を繰り返してきました。学校にもほとんど行ってなくて、中学校までは学校側の配慮もあり卒業できましたが、その後はずっと家で過ごしています」
「そうなんですか。妹さんの体調、今はどうですか?」
「今はもう……心配無用です。アヤノさんにも気を遣わせてしまったようで、何だか申し訳ないです」
「いいえ。心配していたのは菅野くんやご家族でしょうから」
「ええ、まあ。でも、妹のことは、家族はもう受け入れてますので」

 アヤノはタケルの言葉を咀嚼するようにゆっくりと頷き、話題を変える。

「あの、契約についてなんですけど」
「契約? おれたちが結んでいる契約のことですか?」
「はい。私から持ちかけたのに、具体的に何もしていないなって。私はバスケ部のコーチになって、バスケ部のみんなから良くしてもらって、少しずつだけど自分を取り戻していると思ってます。でも、菅野くんに対して私は何もできていない」
「そんなことはないです。今日だって一緒に買い物して、食事して、妹の話まで聞いてもらいました。それだけで今は十分です」
「いえ、それでは菅野くんの『自分を変えたい』という目的を果たすには不十分でしょう。参考までに聞かせてもらいたいのだけれど、菅野くんは、どんな風に変わりたいと思っているの?」
「おれは……」
 
 タケルは目を伏せ、考えをまとめてから答える。

「おれは誰かを頼ることができる人になりたいです」
「頼られる人、ではなく?」
「はい。もちろん、頼られる人になれればいいなとは思います。でも、それは自分が誰かを頼れるようになってからの話なんだと思うんです」
「なんとなく分かる気がします。信じて、頼る。信頼関係の問題ですね」
「はい。アヤノさんは、自分を取り戻して、どうしたいのですか?」
「そうですね、何から話せば良いか……」
 
 アヤノは大事な物を守るように両手でコーヒーカップを抱える。

「あの、アヤノさん。おれ、ニコさんから少しだけ話を聞いたんです。アヤノさんは、大学を卒業してから昔みたいに笑わなくなったって」
「今でもちゃんと笑えますよ」

 そう言ってアヤノは口角を上げて見せる。目は笑っていない。

「そんな、無理しなくていいです……。あの、おれの勝手な解釈かもしれないけど、アヤノさんは普段も心の底から笑えていないように見えるんです。その、過去に何があったのかは分からないし、おれが言うのもおかしい気もするけど、おれはアヤノさんの心からの笑顔が見たいと思っています」

 アヤノは少し驚いた表情を見せる。

「そうですね。菅野くんの解釈はあながち間違いじゃない。自分を取り戻すことで、私は心の底から笑いたいのかもしれない」

 アヤノは自分に言い聞かせるように言った。

「私たちに必要なのは、お互いをもっと知ることだと思います。適役ではないかもしれませんが、菅野くんに悩みがあれば、私が聞きます。練習台だと思って、なんでも相談してください」
「練習台かどうかは別として、相談はさせていただきます。おれもできる限りアヤノさんのことを知るように心がけます。だから、アヤノさんも、おれに話せることがあったら話してください」
「分かりました」

 会話を終えた二人はカップに残っていたコーヒーを飲み干し、荷物を持って一階に降りた。会計を済ませたアヤノにタケルがお礼を言う。

「ご馳走さまでした」
「いえ。こちらこそお付き合いしてもらってありがとうございます」

 店をあとにした二人はいろは横丁からアーケードに出た。青葉通り方面に進んだタケルは、アーケードの入口に信号待ちをしている女子バスケ部主将の小笠原ノアの後姿を認めた。それとほぼ同時にアヤノがタケルに声を掛ける。

「あれ、高橋くんですよね?」
「え?」

 タケルはもう一度ノアに目を向けると、その隣に高橋ツムグの姿を確認する。青葉通りの上空から差し込む陽の光が、アーケードの入口にいるノアと高橋を照らしている。歩行者用信号が青になると、ノアは右手を高橋に向けて伸ばす。高橋はその手を左手で受け入れる。手を繋いだ二人が横断歩道を渡っていく。タケルとアヤノはアーケードの柱の陰からその様子を眺めていた。

「あの二人、いつの間に」
「はい。でも、素敵なことじゃないですか」

 そう言ったアヤノは、信号を渡る二人を見つめながら少しだけ目を細めた。

「私たちも行きましょう」
「はい」

 ノアと高橋が見えなくなったことを確認したタケルとアヤノは、地下鉄の青葉通一番町駅に向かって歩きだした。地下鉄の入り口、階段の上で二人は立ち止まる。

「菅野くん、また、買い物に付き合ってもらっていいですか?」
「もちろんです。誰のプレゼントか分かりませんが、お付き合いしますよ」
「はい。今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそご馳走様でした。それではまた」
「はい。また、ゼミか部活で」

 アヤノを見送ったタケルは自宅アパートに向かって歩きながら、ノアと高橋のことを思い出していた。アヤノの言うとおり、隣に誰かがいるということは本当に素敵なことだと思う。今のタケルの隣には手を繋ぐような相手はいないが、お互いの目的を果たすべく契約を結んだ相手がいる。相談に乗るという申し出は形式的なものかもしれないが、そこまで言ってくれたアヤノをもっと信頼しても良いのかもしれない。そうタケルは思い始めていた。



第八話につづく
  


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