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ナイチンゲール言葉集: 看護とは何か

看護という新しい芸術であり新しい科学でもあるものが創造された

病気とは何か、健康とは何か、人生とは何か、読書しながら探っています。

ナイチンゲール言葉集 看護への遺産」からの引用、考えなどを綴ります。

新しい芸術であり新しい科学でもあるものが、最近四〇年の間に創造されてきた。そしてそれとともに新しい専門職業と呼ばれるもの-われわれは天職[calling]と呼んでいるのであるが-が生まれてきた。これは、何か新しい要求、またはある地方に特有の要求があって創られたり発見されたりしたものだと考える人があるかもしれない。しかしそうではない。この要求は、ほとんどこの世界と同じくらい古く、この世界と同じくらい大きく、われわれの生や死と同様にのっぴきならないものなのである。それは病気についての要求である。そしてその芸術とは、病人を看護する芸術である。

ナイチンゲールは、これまで誰にでもできる仕事だと思われていた「看護」を、生や死と同様に非常に重要な「病気」に対する専門的な知識や技術の必要なことだとしました。

ナイチンゲールは病人を看護することを「芸術(art)」だと表現しています。

芸術というと、「表現すること」のイメージが強くありますが、ナイチンゲールが生きた時代においては、芸術家にはどちらかというと「技術・技巧」的なものが強く求められていたようです。

そのため、この翻訳では「芸術」となっていますが「専門的な技術・心得という意味も加えると理解しやすいように思います。

【weblio辞典より】
art :
芸術、芸術作品、美術、美術作品、(何かをする)技巧、術、わざ、熟練、腕、(専門の)技術


大昔は看護に専門的なスキルが求められていなかったのですね。
それが今では国家資格が必要な職業となっています。

専門性を突き詰め、体系化し、教育していく。

それを成すには大きな情熱が必要だと思います。

ナイチンゲールの言葉の節々にはその情熱があります。
世の中を変える大きなことをされたのだなぁと改めて思わされます。


ところで、看護については「神秘」などはまったく存在しない。よい看護というものは、あらゆる病気に共通するこまごまとしたこと、およびひとりひとりの病人に固有のこまごまとしたことを観察すること、ただこの二つだけで成り立っているのである。
ある女性が他人の生命を救うことができるのは、ただこれらのこまごまとした事柄をすべて観察するという、全然わかりにくくもなんともない「はたらき」によるものであり、また別の女性が他人の生命を救う手段を見つけられないのは、このような観察が欠けているからである。

観察が足りていないのだ、とキツく感じてしまう言葉ですが、それがとても重要なことなのだと思わされます。

感覚優位な自分は、強く心に留めるべき言葉です。

客観的な観察を一人ひとりについて行うこと。
型にはめるのではなく、一人ひとりを観察すること。

”人”ではなく”病気”に照準を当てている現代医学には不足しがちなことで、とても重要なことだと思います。

ナイチンゲールは、生命を救う手段が見つけられないのは観察が欠けているのだと切り捨てていますが、これはナイチンゲール自身にも向けた言葉、高いプロ意識としても感じられます。


看護とは何か?この二つの看護(「病人の看護」と「健康への看護」)はいずれも自然が健康を回復させたり健康を維持したりする、つまり自然が病気や傷害を予防したり癒したりするのに最も望ましい条件に生命をおくことである。病気を通して癒そうとする自然の試みが成功するか否かは、部分的にあるいはおそらく大部分、内科医や外科医などの科学的な指導のもとに行われる本来の看護の固有な働きいかんにかかっているにちがいない。

病気を予防したり治療したりする”自然の働きにとって最も望ましい条件”。

その理解と実践が肝のように思います。
しかし、実は結構みんな知っていることなのかもしれません。

”健康的な生活”というのは、今も昔も変わらないように思います。

ただ、細かい点で科学的に証明されているようなものは、今と昔では変わってきていたり、そもそもの生活環境も変わってきています。

その最も望ましい条件に、ちゃんと自分の生命を置けるかどうか(実践)が最大の障壁かもしれませんね。

それを行うのが看護。

なんだか看護師だけでなく、様々な職業もしくは個人においても「看護」の働きが求められているのかもしれないと思わされました。


看護婦は自分の仕事に三重の関心をもたなければならない、ひとつはその事例に対する理性的な関心、そして病人に対する(もっとも強い)心のこもった関心、もうひとつは病人の世話と治療についての技術的(実践的)な関心である。看護婦は病人を看護婦のための存在するとみなしてはならない。看護婦が病人のために存在すると考えなければならない。

人と接する上で「関心」を持つことは重要ですが、ナイチンゲールはその関心を3つに分け、特に「病人に対する心のこもった関心」を強調しています。

・その事例に対する理性的な関心
・病人に対する(もっとも強い)心のこもった関心
・病人の世話と治療についての技術的(実践的)な関心

関心、関心と考えていると、関心の意味がわからなくなってきましたが、調べると「心にかけること」「積極的に興味を持つこと」ですね。

多くの患者さんと接する中で、関心を一人ひとりに持つというのは簡単なことではないと思います。

それに、心にかけた人が苦しんだり、亡くなったりする、そのことは自分自身の苦しみや大きな喪失へ繋がってしまうのではないかと考えてしまいます。

でも、そういうことでは無いんですね。

ただ その人にとって最善のことを考え、行動する。

”看護婦が病人のために存在する”という言葉は、そういった姿を浮かばせます。



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