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【日本精神の源流】今だからこそ見つめなおしたい中江藤樹の教え。《陽明学・致良知・心学・近江聖人・徳育》

近江聖人・中江藤樹

現代においては知名度こそ低いですが、日本の長い歴史の中でも特筆すべき偉人です。中江藤樹が残したもののおかげで、今の日本があると言ってもおかしくありません。

中江藤樹は、さまざまな形で後世まで影響を与えています。

  • 日本陽明学の開祖であり

  • 日本で初めて寺子屋を開いた教育者であり

  • 日本で唯一聖人と呼ばれた人物であり

江戸中期頃からは生き方の模範とされ、日本人の道徳心を養うことに貢献し、陽明学は脈々と弟子達に受け継がれ、江戸時代のみならず幕末でも人々を動かす大きな原動力となりました。

陽明学の解説
中国、明の王陽明が唱えた儒学説。形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた。心即理 (しんそくり) 知行合一 (ちこうごういつ) 致良知 (ちりょうち) の説を主要な思想とする。日本では、江戸時代に中江藤樹によって初めて講説された。

※辞書的な解説は記載の通りですが、この解釈に関しては様々あります。作家・陽明学者である林田明大先生の解説が参考になるため参照リンクを掲載します。

出典:デジタル大辞泉(小学館)


中江藤樹は沢山の弟子も育ててきました。有名な弟子だと熊沢蕃山や、淵岡山。後世で影響を受けた人物となると、山田方谷、大塩平八郎、佐藤一斎、吉田松陰など。

藤樹の学問を学びに各地から集まり、そして各地へと散っていき、その弟子達が活躍し、またその弟子、またその弟子・・・といった形で、大切な教えが受け継がれていったのです。

『翁問答』など、当時の庶民でも読みやすいかな混じり文で書物に残したことも大きく、一般庶民にも広く教えが伝わっていきました。戦前の道徳の教科書『修身』でも中江藤樹は取り上げられていて、その教えであり存在は、時代を超えて多くの人に影響を与えてきました。


なぜ、今再び?


今の日本に陽明学が必要だと感じるからです。

陽明学(日本陽明学)が復興することは、今、そしてこれからの日本と世界にとって、大きな意味があるような気がしてなりません。

日本では江戸時代、幕末、そして昭和にいたるまで幾度となく、そして長きにわたって「陽明学ブーム」が起き、時代を動かす大きな原動力になってきた歴史があります。

しかし、今の時代で陽明学が語られることはほとんどありません。存在すら知らないという人がほとんど。大切な歴史が消えかかっている現実があります。そんな中、どういうわけか私は、内村鑑三著『代表的日本人』との出会いによって、高校生の時に中江藤樹先生のこと、そして陽明学のことを知ることになります。

知らなければ、出会わなければ、なにも思うこともなく時間が過ぎ去っていったのだと思います。しかし、その時の出会いというのは、ただ知ったわけではなく、心が動かされる出会いでした。そして、ただ純粋に感動する中で、特別な何かを感じ取り、たいせつに思うようになりました。

王陽明は「最初の一念」が大切だと説いています。
いちばん最初の思い。これが良知からの思いだと。

であるならば、中江藤樹先生に感化され、陽明学(藤樹学)のことをたいせつに思った高校生のときの気持ち、自らの良知に従おうと、今、その思いが深まっています。

そして、それと同時に
一つの大切なバトンをパスされている
ということも感じています。

良知とは

この言葉の意味を上記の作家・陽明学研究家の林田明大先生がわかりやすく紹介してくださっています。

以下に、林田先生の書籍『評伝・中江藤樹 日本精神の源流・日本陽明学の祖 』(2017年 三五館)から引用した文章を掲載します。

「良知」とは
 繰り返しになりますが、ここで思い出してみてください。
 藤樹は、「良知」のことを「明徳物性(めいとくぶっしょう)」と言い換え、王陽明は、「聖人」「天理」「本当の私(真己)」「中庸」などと言い換えました。
 幕末の陽明学者・山田方谷は、「良知」を「自然」と言い換えています。言われみれば、日本人は「善か悪か」ではなく、「君のその言い方は不自然だ」などという場合の、「自然か不自然か」で物事を判断してきたように思えます。
 良知とは、仏教でいう「本来の面目」「真如(しんにょ)」「仏心」のことであり、
 ゲーテのいう
「すべての人間に生まれつき与えられている、神によって創造された道徳的なもの」(『ゲーテとの対話』下)、
 シュタイナー教育の創始者、ルドルフ・シュタイナーのいう
「高次の人間」「日常的な私ではない私」「内なる本性」「人間の内なる神的なもの」、
 キリスト教でいう
「内なるキリスト」(『新訳聖書』「コロサイ人への手紙」)のことなのです。

林田明大著『評伝・中江藤樹 日本精神の源流・日本陽明学の祖 』(2017年 三五館 256P)

ゲーテやシュタイナーやキリスト教の言葉まで引用して、立体的で大変わかりやすく解説されています。良知とは、外側でなく、内側にあるもの。規則や常識を重んじて自分を外に合わすのでなく、自らの内にある宝物ともいえる「明徳を明らかにすること」を、中江藤樹は学問の目的に据えていました。

そのことの大切さに気づいた人物は、一人、二人ではありませんでした。時代を超えて、国境を超えて、気づく人は気づいていた。それだけのものだからこそ、こうした学問は人々を動かす強力な原動力となりました。魂の叫びと表現してもいいかもしれません。自らの内側からの衝動には何ものも勝てません。

だからこそ、陽明学は日本人の道徳心を醸成すると同時に、革命を肯定すると見なされ、危険思想と称される歴史も辿ってきました。こういう学問が庶民に浸透していくと、コントロールしづらくなるというわけです。確かに、良知に致り自由に生きる人物が増えると、それ以上の器がない為政者としては困りますよね。(中江藤樹や熊沢蕃山などに教えを乞うた為政者も存在しています)。

解説にはもう少し続きがあります。

 ちなみに、フロイトの弟子の一人で、 アウシュビッツ強制収容所から奇跡的に生還し、その過酷な体験を『夜と霧』『死と愛』に著したヴィクトール・E・フランクルが、こう述べています。
「 苦悩とは、人間を成熟させて
〈真実の自己〉(ロゴス)
 を呼び覚まし、生きる意味を成就させるチャンスそのものである」
 生きるか死ぬかの過酷な環境に身を置くと、人として最低のレベルにまで堕落する人も多いというのに、そんな中でも、少数ながらも神々しさを失わない「〈わたし〉を見失わなかった英雄的な人」がいたことにフランクルはとても感動し、上記の言葉にあるように、「真実の自己」に気づき、
「苦悩には意味がある」などと語りました。
 もうお分かりでしょう、フランクルのいう「真実の自己」とは、「良知」のことなのです。そして、王陽明(陽明は若い頃結核にかかりました)も中江藤樹も、持病に苦悩し、その持病の悪化がもとで亡くなりました。そんな二人は、艱難辛苦の中で「良知」を自覚し、呼び覚ましたというわけなのです。

林田明大著『評伝・中江藤樹 日本精神の源流・日本陽明学の祖 』(2017年 三五館 257P)

こちらの書籍は林田先生自らお薦めされるほど、中身が濃く、またわかりやすいので、一読をお勧めします。

正しい陽明学理解について知りたい方は、どうか拙著を一読願いたい。拙著の中でも最も一読をお薦めしたいのは『評伝・中江藤樹』(三五館)なのだが、残念ながら数年前に版元が倒産してしまい、絶版となって久しい。本書は、「日本陽明学入門」の唯一の一般書と言ってもよい内容になっているのだが・・・。
 というわけで、拙著『財務の教科書、「財政の巨人」山田方谷の原動力』(三五館)を薦めさせて頂きたい。本書は、継之助の師で陽明学者・山田方谷(ほうこく)の評伝なので、当然のことだが、河井継之助についても「第10章 高弟・河井継之助」で詳説させて頂いている。また、陽明学理解にも資する内容になっている。

ブログ 林田明大の「夢酔独言」より

※後者の書籍も含めて絶版となっているようで、現在Amazonでは中古のみ扱っている状況です(値段が上がっています)。


これから


今まで講師として提供してきた「笑い(ラフターヨガ)」や、意味のない言葉を口に出す「Gibberish(ジブリッシュ)」によって、人々が元々もっている心が輝きだす場面を幾度となく見てきました。

特に言うことはなかったし、常に意識していたわけではなかったのですが、自然と現代の陽明学のような感覚で捉えて、提供してきました。

そして、今。

最初の出会いから16年を経て、改めて中江藤樹先生という存在、陽明学と向き合うと、この16年の経験のすべてに意味があったように思えてきます。書籍を読むと、あらゆることがつながってくるのです。

(ジブリッシュとの関連性について、色んな角度から記事にしていこうと思うので、よかったらまた読んでやってくださいね。)

脈々と受け継がれてきた歴史には重みがあります。陽明学徒としては未熟ですので、自分自身もゼロから学び直しながら、受け継ぐべきものを受け継ぎ、このバトンを大切に渡していけたらと思います。



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