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親のこと、親であること③

noteで親のことを書き始めてから、母親のことを書こうと決めていた。

母は手先が器用な人だった。編み物が上手で、私が子どもの頃は手編みのセーターも作ってくれた。セーターのデザインをリクエストすることもできて、黒地のセーターの胸部分に黄色のバッドマンのマークをデザインしたものや茶色ベースの世界地図のデザインをお願いした記憶がある。

私のプロフィール写真のうさぎの編みぐるみも、母が編んだものだ。

この編みぐるみには思い出がある。

妻と私の結婚式で、母にも何か関わってもらいたいと思った。新郎が中座する際のエスコートはお願いしたが、もっと何か、具体的なモノで関わってもらいたいと思った。

妻が「ゲストにプレゼントする編みぐるみなんて、作れるのかなぁ」と提案してくれたので、さっそく母に聞いてみることに。

電話で「お母さん、編みぐるみなんて作れる?(作ってもらえる?)」と聞いたところ、「作れるよ(当たり前でしょ、何年編みものやってると思ってるの!?)」とすぐに回答があった。()の内容は後から聞いた話になるが、私を誰だと思ってるの!と感じて、久しぶりにきた実力発揮の機会に密かに燃えたらしい。

そこからはすごかった。はたして何個作り上げたのか、大小さまざまな、うさぎ・ひつじ・ぶた・ねこの編みぐるみを作り出してくれた。作り始めた頃のぶたの編みぐるみは、特にお尻が大きくてバランスが取れていないものもあったが、それはそれで可愛らしかった。

結婚式では、編みぐるみたちがゲストの方への記念の手作りプレゼントとして置かれ、特別大きなぶたの編みぐるみ以外は、あっという間になくなっていった。

残されたお尻の大きなぶたは、当時の私の上司がもらっていってくれた。

結婚式が終わった後も、編みぐるみ作りは母の生活の一部になり「うさぎが何も着てないんじゃ可哀想だわ」ということで、編みぐるみのうさぎに着せるセーターを編み始めていた。手のひらほどの小さいサイズのセーターを、バランスよく、さまざまなデザインで上手に作っていた。

最終的には、母の友人たちと一緒に地元のカフェで展示会も開催したそうで、そこで出会った方々の元へいくつものうさぎたちが巣立っていった。


その半年後、母は亡くなった。

優しくて強くて、少し話が長くなる母が大好きだ。ほんとは、子どものために強くならないといけなかったんだと、今はわかる。


#写真 、母の元を巣立っていったうさぎたち


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