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節分の豆を子どもに食べさせないこと、鬼を怖くしないことについて

今日、節分です。
今年は、公からの通達で止めるという園が多いと思います。

それによって、大切な命が守られることには意味があることでしょう。
鬼に無駄に怖がらせられる子どもがいないことも大切でしょう。
また、今回の件で、「これでいいのだろうか」と大人たちがしっかりと考えたとしたら、それは意味のあることでしょう。

昔はそうだったから続けるというだけだったり、
子どもがもし死んだとしても、トラウマを持ったとしても、
それ位は仕方ない、
というような乱暴な考え方をしたりするのではなく、
きちんと現在の状況に関する情報を得て、

「危険なのは確かなようだ。では、来年以降はどうしたらいいか」

と考えることが、建設的だと思います。
今から、どうしたら子どもたちに安全に豆まきを体験させてあげられるかを考え始めることが大切だと思います。

まず、ご家庭と共に、食事のとり方、食べ物の扱い方を考え、
子どもたちの口腔内の発達を促して、
年齢相応の(現代日本の平均、という意味ではなく)食事ができるように育てていくことが必要でしょう。

離乳食の段階から、もしかしたら、授乳の段階から、
自然に、しっかりと、ものを飲み込むこと、
噛んだり咀嚼したりすることができるように、
少しずつ少しずつ慣らして育てていくことが必要でしょう。

口腔機能や嚥下機能の弱い子どもが増えているようですから、
そういう子どもがいないか確認しておくことも必要でしょうし、
生まれつき身体機能が十分でない子どもがいる可能性もあります。
そういう子どもたちに気づいて、育てられるならば育て、
難しいならばどういう配慮ができるか考えなければなりません。

そもそも大人たちは、普段から乾いた豆を食べているのでしょうか。
危険と感じたことがあるでしょうか。
豆を育てる、乾燥させる、豆を炒る、といったところから
子どもたちと一緒に体験する、というようなことはあるのでしょうか。
そういうプロセスがあってもなお、豆はとても危険なものでしょうか。

また、何歳児に食べさせると危険か、
どういう状態の時にどういう姿勢で食べさせると危険か、
もし何かがあったときにはどう対応するのか、
そういう情報はネットを調べれば出ていますから、
(この文章の最初にリンクを貼りました)
予防策を取ることが必要でしょう。

一方、鬼の登場については、
自然の脅威を感じたり、だめなことはだめと言われたり、
自分を必ず守ってくれる人がいるということを感じる機会を
普段から子どもたちに与えていることも必要でしょう。

怖いものから守ってくれる信頼できる人たちに囲まれている自分を感じたり、自分が誰かを守る立場になることを決意したり、
怖いことがあってもそれは一時のことであって、周囲の人たちと共に乗り越えることができるという経験をしたり、
小さな粒が大きな鬼を追い払うことができる、
自分の力がみんなの力と合わさったとき大きな力になる、
自分の食べるものがとても大事なものである、

そういうことを自然に感じさせる節分を、
これまでやってきていたかどうか。
怖がって泣く子どもたちを見て、笑っているだけの大人ではなかったか。
本当に怖がる子どもたちに、どこまで共感できていたか。
いつものようにしっかりと守ってあげたか。
子どもたちは自分を信頼してしがみついてきたか。

普段から子どもたちが家庭や園でどのような怖い思いをしているか、
叱られ方をしているか、脅されているか、
それらに気がついているでしょうか。守ってあげているでしょうか。
その一連の生活の中で、節分の鬼が彼らの世界に登場するのです。

(写真はなまはげです。家庭の中に怠け者はいないかと探して歩きます。
 家の主が丁寧にもてなして、自分がしっかりと対応するからと約束をして 
    帰らせます。ただ脅すだけではないのです。村中の人たちの協力の中で
 行われる、人々の関係性を作る行事なのです。実際にはいろいろあったか
 もしれませんけれど)

どんな行事も、突然ではいけないのだと思います。
予防も、育てるということも、何かの体験が意味を持つためにも、
時間をかけることが必要だと思います。

節分という行事は、節分の時だけのことではなく、
日常の流れの中で起きることなのです。
日々の生活のことなのです。

社会が変化する中で、地域の行事を保育園が担って、保育士さんだけが責任を負うというのも、何かずれているように思います。


さて、子どもの健やかな成長をしっかりと考えないと、
リスクを避けようという声が大きくなります。
責任追及が公に向かうからです。
なにより実際に危険だからです。
子どもの成長を考える余裕がなくなって、
一律に制限をするということが起こります。
それが一番確実な解決方法に思えます。
それが後まで続く問題につながることには
なかなか気づけません。

そして
結果的により多くの子どもたちの成長を止めてしまうことと、
子どもの命が失われることを、
天秤にかけるような議論の仕方になってしまうのです。

さて、上記に書いたことを、面倒だ、よくわからない、と思う人たちは、
節分をやめておいた方がいいと思います。
子どもを育てることをためらってほしいと思います。
命の問題だからです。

現代の虎の赤ちゃんを育てているのは、私たち自身ではないか、
と問うことが必要ではないでしょうか。


注)この文章は、以下の文章の続編として記述しました。
2020年1月30日Facebookグループページ「遊ぶ・学ぶ・育つ」より

40年近く前、学生時代に聞いた話です。

ある大富豪の息子さん(子どもの頃からお小遣いが当時で月に3桁)が、
家でペットを飼おうと思ってペット情報誌を見ていたら、
広告に虎の赤ちゃんが出ていて、
それがかわいかったから、虎の赤ちゃんを購入して、
柔らかいお肉を与えて、大切に育てていたそうです。

ある日、その赤ちゃんに、たまにはと骨付き肉を与えたら、
骨がのどに刺さってけがをしたそうです。
赤ちゃんはどこかに引き取られたそうです。

先日見学させていただいた保育園で、
子どもたちに節分の豆を食べさせないようにと区からお達しが来ていることをうかがいました。
また、怖い鬼はいけないということなので、かわいい鬼にするそうです

保育園の先生たちはまだお若かったのですが、地方出身者が多くて、
子どもの頃は、魚の骨がついたまま食べていた、という話をして、
盛り上がっていました。

死亡事故を防ぐことは何よりも重要です
(ここ、誤解しないでください!!)。

でも、予防のための、一斉指導による禁止は、
子どもたちの発達にとって適切なのでしょうか。

事故が起きるのはどういう状況においてでしょうか。
あげるかあげないかは、誰がどう判断すればいいのでしょうか。

工場の製品管理において、間違いがあってはならない
ということを思い出しました。

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