社会問題の学校教育化の問題

11月30日は慶應義塾大学で佐久間亜紀先生、藤本和久先生のプロジェクト、ラバリー教授の「アメリカの学校改革の歴史」の講演を聞きにうかがう。

アメリカという国はどんな人たちをどういうふうに育てようとしてきたのかなということが知りたかったのと、尊敬する佐久間亜紀先生、藤本和久先生がアメリカで学んでこられたことの一端に触れられるかなあと思って。

教育学は専門ではないし、勉強不足で、アメリカの教育のこともよく知らないまま参加してしまった。でも、資料が揃っていたし、何とか私でもついていけたように思う。

たぶん、アメリカは、社会問題は何でも教育のせいだ、ということにして、いろいろと教育を変えようとしてきた。それは最初は政治的な思惑からだったけれど、今は、経済的な思惑から教育が動いていて、子どもをアメリカ社会を支える大人にどう育てるかという観点よりもむしろ、個人の利益に焦点が当たっていて、みんな平等にちゃんと育てなければ、と言いつつ、なかなかそれができずにいる、という状況なのだと思う。それで

民主主義の担い手を育てる
生産的労働者を育てる
立身出世しようとする個人を育てる

と教育の目的が動いてきている。というのは日本と同じ。

***** 
で、日本の場合は、アメリカの後を盲目的に追って、
アメリカで悉く失敗してきた改革を真似するんだけれど、
それすら中途半端で、
単に子どもたちに教え込むコンテンツを新しく入れこんだり
新しいプログラムや教科や教具を入れたりして、
というレベルの改革にしかなっていないみたい。

そもそも子どもは
学校でだけ、教えられたことだけを学ぶのではなくて、
起きている間は何かを学んでいるわけで、
それは一体どういうものなのだ?という目で見ないと、
子どもの育ち(その子どもが大人になって社会の成員となる)はわからないと思う。

たとえば、8時間学校、8時間睡眠として、
残りの8時間は、
 部活か、放課後こどもクラブか、塾か習いごとか、
 宿題か夕食かお風呂か、
 ゲームかテレビかスマホ。
という生活体験の中で、
学校と家庭とそれ以外の場所で、
彼らが見ている大人たちの姿はどんなものなのか。
そこから何を学んでいるのか。

・・・それを考えないと、いくら教育コンテンツを週に一時間入れても改革にはならないし、そんな改革で社会問題が解決するわけがないよね。

社会問題を教育のせいにしている、というよりも、
教育で何とかしようとしている、という方が実際に近いな。
だって、他の方法がないと思っているんだもの。
一日8時間だから・・・。影響はあるといえばある。
そもそも学校にいる間、授業の間、教えていることを学んでいる生徒がどの位いるのかというのは大きな疑問ですが。

実は問題はコンテンツではない。

コンテンツではなくて、
子どもたちが日々、どんな授業を受けているか、ではなくて、

「実際には何を学んでいるのか」をちゃんと評価、測定しなくちゃならないと思う。ヒドゥン・カリキュラムとか言うけど、もうそんなレベルじゃなくて、隠れていない諸々のこと。たとえば、

人がしゃべっている間、他のことを考える術を身につけ、
相手の気持ちを理解しない大人こそが権力を持つのをみて、
とりあえずわかりましたと答えておけば日々が過ぎていくこととか、
反対意見は思うだけで言わないほうが得だと多くの人が思っていることや、
人をいじることで面白おかしくことが進んでいくことや、
ケンカしている相手でも人前ではおべっかを使ってごまかすことや、
暗記さえすれば試験の点数はとれることや・・・・

で、道徳の時間には急に模範解答が求められるから、
周りに合わせていいことをいっておけば済むとか?

残念ながら実際はそんなことを授業やテレビで学んでいる子もいるわけで、それよりも実践的な問題解決はスマホの中のゲームで体験している、
という状態。

それでは現実の社会問題は解決しない。当然。

何しろ、大統領が差別したり、首相が反社会的勢力とつながっていたり、官房長官や官僚が嘘をついたり、それで真面目な人が責任を負って自殺したりしても、どちらの国もそのまま進んでいくのだからね。
学校教育の中で授業をちょっと変えたくらいで子どもが変わるわけがない。

学校が社会の縮図であるとするなら、そこで本当に起きていることをちゃんと考えないとね。子どもが社会の宝であるなら、その社会が宝の持ち腐れにならないようにしないとね。

と、いうわけで、結局。子どもの家庭と地域と学校での24時間の学びを大人たちが共同でちゃんと考えていく必要がある、っていう、数年前に文部科研に出して見事に落ちた研究を誰かがうまく引き継いでやってくれないかな、と思って帰ったのでした。

最後に)
北欧などで聞く教育のワードと、アメリカで聞く教育のワードの違い。
そこに流れている人の育ちに対する発想の違いは大きいように思いました。私たちは教育に何を求めているのかな。

私は、北欧に学びたい、アメリカを見ていると、なんだかそちらに焦点が行ってしまって、まずいんじゃないかなと思いました。

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