JR浮間舟渡駅と東京都交通局、蓮根駅の間ぐらいにある教会

半分箇条書きですみません


板橋区の警視庁志村警察署とオリンピックの間にある池21:高島平駅行三軒家と言うバス停から蓮根川緑道を右沿いに歩いて福山通運東京北支店板橋社宅の隣にある教会で、

結論から言いますと「楽しくない、つまらない」礼拝も大事なのでそれが全てではないことも理解しています。

祈りながらという基盤での中での信仰を持つ習慣


洗礼を受けずに信仰告白だけしているおばさんが賛美の奉仕しているのに疑問があることにおかしいと思ったきっかけになる。

聖書の言うことを全部信じていると言うところに不満はないが言うことはとても素晴らしいことで確信を持つことなど今までそういう伝道者はいなかったが今思えばただの口だけのデマ、おかしくてしょうがない、祈るとか役員会で満場一致じゃないと先に進めることはできないなど理不尽なことが多すぎる、テントメーカーとかかっこいいこと言って平日社会で働かないといけないから、まともに教会の仕事はできていない。

役員はもう実の家族が役員だから話にならない。「私が忙しくてもみんながしっかりしているからよかった」と言ったら見たいだけど、私には意味がわかりませんでした。

祖父祖母、子供3人、孫7、もうそれで礼拝出席者8割。いいこと、調子乗っていることばっかり言う、例えば「祈祷会はやらないのですか?」と聞き「子供がいるから仕事終わりの夜はできない」と答えた!? 本当っぽいと思ったけどやはり屁理屈にしか聞こえないの私だけですか?礼拝の奉仕はさせてくれない、永遠と雑用係。必要とされていると騙し続けた結果、いいように使ってただけ。

礼拝も子供が泣いたりすると騒がしくて集中できない不愉快賛美リードもなぜか固定制?

ユースへの伝道することの必要性を実感しなければならない、自殺を止めるのに福音を一人でも多く届けなければならない


超教派の賛美集会は良かったけど、なぜ毎月やらない?子供子供のため、大事だけどなんか囚われすぎって感じ。子供の運動会、七五三の祝福の祈りの特別イベント、クリスマスに子供達にプレゼントすると言う謎の伝統の必須、子供一泊キャンプなど。子供はいずれ成長するが、教会が成長するとは到底思えない。運営が全く成り立っていない。奉仕の分担、リーダーと各チームの設置など。

大きく感じたことは年齢でした。通いやすい年齢には通いやすさの背景がわかる。高齢者ばっかりだと高齢者のことばっかり気にしているため若者は通いづらい。その理論と全く同じ。

ホームページやネットでの運用も全くできていません。「やる人いないんだよね」と口揃えて言いますが。最初は信じていたけどできないなら業者に頼むなど工夫とやる気がないだけ。さらに加え新しい人来られるんだけど定着しなく、一回限りしか来ない人もいる。

最後まで読んでいただきありがとうございます、これから日本がリバイバルが起きることを信じてこれから生きていまいます


どんなにいいことを言っている感じで言っていてもやはり口だけ上手いなと騙され続けていたことにがっかりしています




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