見出し画像

【読切掌編小説】とろろ蕎麦 (4026字)

「セフレなの・・・」洋子は、周りに憚り言葉を切った。

 さらに、私の顔色を窺いながら、「私たちって、セフレなの?」洋子は囁くように、そう言い切って、とろろ蕎麦を箸の先で、グルグルと三度かき回す。

 私は聞こえないふりをして、蕎麦猪口に山盛りの蕎麦を音をたてて啜る。

「ねェ~てば~!ヒロはどう思うのよ」洋子は、蕎麦を食べるのを止め、私を睨みつけ詰問する。「ヨッコはどう思うんだい?」私は洋子の顔を見ずに言った。

「なによ!質問に質問で応えるなんて・・・ズル~イッ!」洋子は私のありふれた卑怯な返答に、食べかけのとろろ蕎麦を眺め、口をへの字に結ぶ。その表情が、またとても可愛いくて、私は意地悪くあえて、このへの字を誘うことがある。

 洋子と私は老人同士だ。私が七十四で、洋子は六十七。ところが、二人とも若く見られることが常だ。私は六十前半に、洋子は四十路後半の熟女という感じに。

 それでも、決して若くはない。二人は、必ず年に一度は、深大寺門前のこの蕎麦屋へ、お昼を食べにやって来る。記念すべき場所だからだ。

 二人が付き合うようになって、かれこれ十七年。月一のペースで逢瀬を愉しんでいるのだが。お互い口に出しては言わないが、どちらも家庭持ちで、世間でいうダブル不倫なのだ。

 でも、当人同士には、まったくそんな感覚はない。

 十七年の歳月が、お互いを夫婦以上の関係にした。といっても、もちろん、お互いの夫婦関係に、波風ひとつたてていない。至って平穏な家庭が、それぞれの家族で維持され続けている。

 それは、お互いの家庭のことに一切無頓着で、介入などしなかったからだし、これからもそうするつもりでいる。要するに、パラレルワールドである。

 普段、ヨッコは、妻としてそれなりに、私も家人の夫としてそれなりにちゃんと生活している。そして、ヒロとヨッコとの関係になれば、たちまち、二人だけの世界が別次元に拡がっていく。

 付き合い始めたころは、若い恋人同士のようだった。私が五十七で洋子は「いよいよ大台に乗りました!」って言って舌先を少し出してオドケて見せた。五十路に入ったところだったというのに。

 今から思えば、随分と若かった。付き合いだして、半年ほど過ぎたころだったか、私は二人の深まる関係を真剣に考え込む時期があった。でも、そのころ、洋子はそんなことは、少しも意に介さなかった。

「深刻に悩むことなんかないよ!気の合った者同士が、握手するようなモノよ!セックスなんて!」という洋子の意外なサバサバした感覚に、私の世間体という後ろめたさは打ちのめされ、罪悪感という箍も簡単に外された。

 あれがスイッチとなったというか、合図になって、洋子にのめり込んでいったのだろう。洋子に送った八百編を超す恋愛詩も、彼女への憧憬を譜面にしたオリジナル楽曲も、私自身が驚くほどスラスラ創り出せたのは、愛情の証に他ならない。

 当時、下北沢にあった某劇団の団員だった洋子は、表参道の某事務所所属のモデルの私と、それぞれオーディションで選ばれて、テレビのコマーシャルフイルム出演の撮影現場で出逢った。

 いや!今の関係を思えば、そのとき出逢う運命だったのだという方がより正確だろう。撮影の合間の休憩時間に、「深大寺門前の美味しいって評判の蕎麦でも・・・」が、二人が話すきっかけで、それ以来、年に一度はここへやって来るのだ。

 確か、二度目にここで逢ったときだった、私たちの七月六日は、「ヒロがこの蕎麦美味しいね」って言ったから、サラダ記念日じゃなくって、蕎麦記念日だねって、洋子は大きい瞳を輝かせて微笑んでいた。

 あのとき、その黒豆のような瞳に吸い込まれそうになった私は、初恋に溺れる生な青年のように、毎日胸踊らせていたものだ。語りつくすことと、セックスの月一の逢瀬を、たっぷり愉しんで別れたすぐに、また逢いたくなっていたものだから。

 知り合った年の初秋のこと。「この深大寺さんは、縁結びのお寺さんだって」洋子が友達から聞いて勧められたという、縁結び開運守りを互いに持つことに決めた。

 私は今もそれを愛用バッグのポケットの奥に後生大事に隠し持っている。過日も洋子の化粧ポーチに、括り付けてある少しくたびれた、お守りを見つけて、とてもむず痒くなり、ほくそ笑んでいた私だ。

 十七年も洋子と一緒に、月一の秘密の逢瀬を重ねられるのも、このお守りのご利益なのかもしれない。いや、きっとそうだ。

 いつかのことか、洋子がどこからか仕入れてきた話をした。「ねえねえ本当のご夫婦と、そうでないのを見分け方って知ってる?」洋子は、あえて不倫という言葉を排除し、そうでないと言ったのは、たぶん充分意識していたのだろう。

 私は「不倫カップルと夫婦とか・・・?」と意地悪く、わざわざ言い変えて聞き返すと、洋子は恥ずかし気に俯いて黙ってしまった。

「うん!そうだな~腕を組んでるか?いないのか?」私は極々平凡な回答をしたら、洋子は水を得た魚のように、可愛い小鼻を少し開き気味にして、「違うわよ!愉しく会話が弾んでいるか?無言でいるか?で、すぐに判るんだって」と嬉々として言った。

 確かに私たちが逢えば、千年でも万年でも、会話は途切れない。最近では口が滑って、洋子は夫の話まで持ち出したりする。

「とにかく暑がりで!エアコンを寒いほどに設定するんだから・・・まあ~デブだから仕方ないんだけど・・・」といいかけて、私の不機嫌な顔に慌てて話題を変えたりもする。

 そういえば、初対面の撮影は、初老の夫婦同士という設定で、確かクライアントは大手の生命保険会社だった。ロケーションがいいと選ばれた、神代植物公園を散策しながら、立ち止まってムクゲの花を愛でるヨッコに、私が二言、三言かけるシーンを試し撮りしているときのこと。

「何て?声をかければいいんですか?」と、私が台本にないセリフを、カメラ監督に質問したら、「それね!なんでもいいや!リンゴ、ミカン、スイカ・・・でも言っとけば・・・音は取らないから・・・」と、ぞんざいな答えが返ってきたのに驚いたものだ。

 カメラの後ろで控える、ヘアメイクさんはじめ、百人を超える撮影スタッフに見守れ、一端の芸能人のような優越感に浸っていたのに、ヨッコは目をクルクルまわすし、私は口を開けたまんま、その場に居たたまれなかった。

 あれから、何度目かの蕎麦屋で、当時のその話に花が咲いた。「リンゴ、ミカン、は、ないよね!動画だから、口の動きで何を喋ってるか分かるものよね」洋子は、改めてカメラ監督を非難し、また口をへの字にした。

 私が、その口元を指さして笑ったら、洋子は烏のように、唇を尖らせてから、一緒に大声を出し合って笑い、ほかのお客さんから、顰蹙を買ってしまったこともあった。

 いま考えてみれば、夫婦役だったんだから、声かけることもなかった。むしろ、その方が自然だったのかもしれないが、私は洋子と会話がしたかったから、あんなことを質問したのかもしれない。

 でも、二人の十七年間は、決してそんな順風満帆な日ばかりではなかった。荒波に飲み込まれ、真っ二つに割かれそうな事件が何度かあった。

 そのひとつは、3年目の夏のこと。珍しく洋子の自家用ベンツで、アクアラインを突っ走り、木更津へご飯を食べに行こうということになった。

 その帰り道のこと。

 海ほたるの屋上で夜風に吹かれているとき、その車のナンバープレートの話になった。「この七、一、二、って、ウチの結婚記念日なんだ!」洋子は、多分私の心を試したかったのだろう。

 私の不機嫌な横顔を観ながら、私の変わらぬ愛情を確かめたかったのだろう。私は洋子が送ってくれた、東西線の「木場駅」で別れるまで、一切口を利かなかったし、次の逢瀬の予定も決めなかった。

 そして、毎晩やり取りしていたヤフーメールも、その日を境に途絶えてしまった。ところが、その再開のきっかけは、洋子の趣味の狛犬だった。

「いるんだよ!あの深大寺に狛犬が・・・ね」との私の誘いに、洋子は二つ返事で狛犬に会いに来て、ついでに私に逢いに来た。

「この子は、天保十二年生まれだって・・・まだ若いほうだよ」洋子は、その狛犬の周りを何度かまわりながら、台座を覗き込んで、嬉しそうに言った。

 でも、あのとき、多分狛犬に会いたかったよりも、私と早く再開したかったのだろう。その日の夕刻。ラブホでの洋子の乱れようで、私は確信した。

 最大の二人の危機は、七年目に起こった。

 ヨッコ夫婦が、一週間のヨーロッパ旅行に行くことを聞かされたのだ。青天の霹靂と言うか、死刑宣告された思いがした。なんだよ!何が仮面夫婦なんだ!なんだかんだ言ったって、ちゃんと夫婦やってンじゃん!

 そのとき、私は目が覚め悟った。ヨッコと私は、単なるセフレなんだと。月一は「老人同士の単なる握手会」なのだと。

「ねぇ~!ねぇ~てば?」洋子は私に、おねだりする幼児のように、回答を執拗に求めてくる。私は、そばつゆを飲み干してから、「セフレのどこが悪い!」と強く言い切った。

 洋子はだまって、俯いて、寂しそうにしていた。

「セフレって言ったって、ボクたちのは、ただセックスするだけでないんだから・・・」「・・・」洋子は、食べ残したとろろ蕎麦を、クルクルと回しながら聞いている。

「セフレたって?立派な愛情交換のひとつなんだから・・・」私は、今の心境を適格に伝えられる、その続きの言葉を選び悩んで無言を続ける。

 二人の関係は、十七年間で少しづつ変わってきた。

 逢うだけで楽しかった時期、話にばかリ花が咲いた時期、そして、セックスなしで別れられない時期と。でも二人が大事にしている、年季の入った縁結びのお守りと、洋子が食べかけのとどろ蕎麦を三度回して、思案顔になる癖は、今でも変わっていない。

 そして、私たちがセフレから、茶飲み友達になる日は、すぐそこまで来ているのは確かなことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?