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【小説】健子という女のこと(28)

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 田端はタオルケットを、一枚だけ掛けられた冴子の胸元あたりに、そっと手をかけた。静かに眠っているようでもあり、朝が来れば何でもなかったように、起きてくるようにも思えた。
「冴子!逝かないでくれ!」田端は確かに、そう呟くのだった。口煩いばかりの<母親>だった筈の冴子が、居なくなるかも知れない状況が、現実味を帯びて田端の優柔不断で、脆弱なこころに、食い込んでくる。
 穏やかだったサラリーマン生活を捨てて<脱サラ>しょうかと、悩んだときに冴子に相談したら、「やってみたら!人生一度だし・・・」そんな冴子のひと言で、起業に精一杯がんばれた。だが、得意先の倒産で、多額の借金を背負うことになってしまった。そんなときも、「なんとかなる」と、励ましてくれた冴子。あの時の苦しい家計を、冴子のパートが支えてくれたのだった。嫌で嫌でしかたのない、スーパーのレジ係を、「これしかない!やるしかない!」と、いいながら朝早くから、そのレジ係で、家計を何とか助けてくれた。
 田端はいつしか、冴子の手を握りしめていた。考えれば、冴子に何もいい思いをさせたことがなかった。何ひとつのプレゼントらしきものもしてやれなかった。何処へも連れて行ってやれなかった。
「冴子!逝かないでくれ!」健三の口から再び、祈るように漏れた。

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「どんなことがあっても、君を守り続けるよ!」健三は手を繋いだ冴子にいう。「何て言ったの?」祭囃子で聞き取れなかった冴子は、健三に聞き返す。「結婚しょう!って言ったんだ!」冴子を引きよせる健三の手を、冴子は、より固く握り返す。祇園祭の人混みの中へ逃げてゆく冴子を、必死で追いかける健三。どんどん離れて、姿が消えて行く冴子・・・。

 冴子の苦しむような、呻き声で健三は目を覚ました。

「冴子!どうしたんだ?・・・冴子!」かぶりを振りながら苦しむ冴子の両肩を抱え、名前を何度も呼ぶ健三。冴子は、言葉にならない呻き声を、健三に返すばかりだ。健三は冴子から目を離さないようにして、押しボタンを必死で弄る。

 辛うじて、押しボタンは押された。


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